020 嫌だね、すぐに暴力に訴える人間は……
「嫌だと言ったら?」
沙門は沙紗に問いかけながら、後ろに回している左腕を、さり気なく槐花の腰に回す。
「問答無用!」
沙紗は手にした軟鞭を振り上げ、沙門に向けて振り下ろす。
蛇の様にしなる鞭の尖端が、風を切る音を立て、沙門に迫る。
「嫌だね、すぐに暴力に訴える人間は……」
呆れた様に呟きつつ、沙門は槐花を引き寄せながら、瞬時に内功を硬功から軽功に切り替える。
かなり荒っぽい扱いで、背包の上から槐花を強引に背負うと、沙門は一気に十歩程の高さまで跳躍する。
沙紗の操る軟鞭が、只の軟鞭で無いのは明白なので、この場で攻撃をかわしたり捌いたりするだけでは、対処し切れないと沙門は考えた。
故に、軽功を使って逃げる事を、とりあえず選択したのだ。
「しっかり掴まってろ! 馬どこじゃない揺れ方するぞ!」
宙に舞いながらの沙門の指示に、槐花は沙門の首に両腕を回して、強く抱き付きながら答える。
「はいっ!」
近くにある二階建ての建物の屋根に、ひらりと飛び乗った沙門は、槐花が自力で掴まっているのを確認した上で、掴んでいた槐花の腕から手を離す。
そして、鈍色の瓦葺の屋根や、磚を敷き詰めたままの平らな屋根が並ぶ、街並の建物の上を、駆け抜けて逃げようとする。
だが、沙門達が逃げ去るのを、沙紗達が黙って見過ごす訳は無い。
沙紗達も沙門の後を追って、一跳びで屋根の上に飛び乗り、沙門達を追って屋根の上を駆け始める。
沙紗達は程無く、今度は屋根の上で、沙門と槐花を取り囲んでしまう。
無論、軽功を使わなければ、一跳びで二階建ての屋根の上に、跳び乗る事は出来ない。
鋭い口調で、沙紗は沙門に言い放つ。
「軽功なら、我々も使える。その少女を背負ったまま、我々から逃げ切れると思うな!」
同じ軽功を使っていても、槐花を背負っている分、沙門は追っ手より遅くなってしまう。
おまけに、数の上でも不利なので、沙紗達の追跡を振り切って逃げるのは、難しいだろうと沙門は思う。
(確かに、逃げるのも難しそうだな……。戦うしか無いか)
さり気なく腰に手を回して腰包を開き、小さな筒状の物を二つ取り出すと、沙門は両掌に一つずつ忍ばせる。
沙門は再び身軽な猫の様に跳躍し、別の建物の屋根に移動すると、凄い速さで屋根の上を駆け出す。
沙紗達も跳躍し、沙門と同じ建物の屋根に移動すると、沙門以上の速さで、屋根の上を追いかける。
そして、逃げる沙門と追う沙紗達は、寧波のあちこちで跳躍と疾走を繰り返し、鬼ごっこでも始めたかの様な状況となる。
屋根の上や大通り、庭園や川の畔など、様々な場所を跳ね回り、駆け回りながら逃げ回った沙門は、沙紗達を振り切れないと悟った風に、大通りの中央に着地する。
蒼界の街では有り勝ちな、平らに切り出した灰色の石の板が敷き詰められた、石畳の大通りだ。
すぐに沙紗達も追い付いて、沙門達を取り囲む形で、大通りに着地する。
「どうやら、我々から逃げ遂せるのは不可能だと、ようやく悟った様だな」
立ち止まって槐花を下ろした沙門を見て、そう沙紗は判断したのだ。
「何言ってんの? 逃げられない事なんか、あんた達に屋根の上で囲まれた時点で、分ってたよ」
「――だったら、何故……逃げ回っていた?」
「逃げ回ってた訳じゃ無いんだけど……俺」
不敵な笑みを浮かべながら、そう呟いた直後、沙門の全身が一瞬だけ、強烈な黄色い光を放つ。
まるで、雷光の如き閃光を。
「その輝き、雷神功かっ!」
沙門が内功を、軽功から雷神功に切り替えたのだと、沙紗は一目で見切る。
雷神功は軽功や硬功とは違い、経絡が全開の人間でなければ修得出来ない、上級内功である。
経絡が全開状態の竜銘主なので、沙門は上級内功を修得出来る。
しかし現在の所、沙門が修得した上級内功は、落雷を身に受けたかの様な衝撃を、敵に与えて攻撃する、雷神功だけなのだ。
雷神功には、二つの利点がある。
一つ目の利点は、軽い痛みを与える程度から殺傷に至るまで、威力を自在に調節し易い事。
ただし、沙門の雷神功は、人と竜銘は殺せない。
人を殺せないのは、治安の良い国で生まれ育った沙門は、人を殺すのに躊躇いがあり、対人戦闘時は威力を無意識に抑えてしまうせいだ。
竜銘を殺せないのは、単に竜銘を殺すだけの威力が、沙門の雷神功には無いから。
沙門が全力で雷神功の雷撃を放っても、竜銘は気絶させられるだけ……政宗の様に強力な竜銘であれば、苦痛を与えられはしても、気絶すらさせられない。
二つ目の利点は、雷神功で受けた損傷からの回復には、治療回復用途の内功や竜功を使おうが、時間がかかってしまう事。
治療や回復を得意とする仲間がいたとしても、短期間での戦線復帰が不可能な状態に、雷神功は追い込み易いのである。
ただし、雷神功には欠点も二つある。
一つ目の欠点は、硬功発動中の相手には、あっさり無効化されてしまうという事であり、二つ目の欠点は、掌力を塊にして飛ばせないという事である(掌力を直接、掌打と共に叩き込むのは可能)。
掌力を塊にして飛ばせない内功は通常、遠距離攻撃に使えない為、接近戦専用の内功とならざるを得ない。
そして、接近戦で多用される硬功で無効化される内功は、接近戦においても、余り有効では無いのが現実。
遠距離戦に使えない上、接近戦でも余り有効ではない雷神功は、役立たずの上級内功だというのが、一般的な評価である。
それ故、修得する者も使う者も、殆どいないのだ。




