第5話 レタスバーガー
確かに今日、マッチングアプリで知り合った男と会うはずだった。
「来ない……」
柏木シズクは腕時計を見つめながら呟く。もう駅前のカフェに一時間以上いたが、相手がくる様子もない。時間だけは容赦なくすすみ、夕方に近い。日も影ってきた。仕方ない。シズクは立ち上がり、会計し、カフェを出ることにした。
マッチングアプリの相手に指定されたこのカフェは、田舎。正直、土地勘がない。この後、電車に乗り、バスにも乗ったが、行き先を間違えてしまったらしい。迷ってしまった。
「ここ、どこ……?」
田舎の道を歩きながら、途方に暮れていた。周りは里山。人も歩いていない。いわゆる限界集落に迷い込んでしまったらしい。
どうにか地図アプリを見ながら歩くが、シズクは後悔していた。既婚者専用のマッチングアプリなんて使うんじゃなかった。他人目を気にして田舎で会うことにしたわけだが、こんな結果になるなんて……。
去年、婚活して結婚した。相手は焼肉屋を経営している起業家。金だけはある男だったが、それだけで結婚した決断をすぐに後悔した。仕事が忙しく家に帰って来ないし、モラハラ発言も多い。妊活中だったが、いい結果も出ず、全部シズクのせいにされた。義母も同様った。シズクも自分を責めてしまっていた。
毎日が不満。仕事も妊活でセーブしていたし、結婚生活も想像と全く違う。急に世間から透明人間にされてしまったような気がして、既婚者専用のマッチングアプリに手を出したが、結果はこの有り様。
「あれ、雨降ってきた……?」
しかもポツポツと雨が降ってきたが、傘やレインコートの持っていない。春とはいえ、雨が降ると肌寒い。ぶるっと震えてしまう。
「本当にもう、なんなの……」
踏んだり蹴ったりだ。泣き言しか出てこない。田舎で道に迷い、雨にまで降られたことを世界の終わりみたいに感じてしまうったが、ふと、顔を上げるとコンビニがあった。
「あれ、個人経営のコンビニ?」
里山にぽつんとコンビニの灯りが見えた。店名はベンダーショップ・天国。どう見てもチェーン店のコンビニではないが、雨も強くなってきた。選択肢はない。とりあえず、雨宿りで入ってみる。
驚いた。中は無人経営の店だ。全部、自動販売機で商品が提供されているらしい。ずらりと並んだ自動販売機は全部が昭和レトロな趣きだ。古めかしいデザインや色合い、サイズだったが、丁寧にメンテナンスされているようだ。大きな傷、錆、へこみなどもなく、元気に稼働中。
こんな珍しい店に偶然入り込んでしまった。急に面白くなってきた。暗かったシズクの目が、少し光りが差し込んできた。
「へえ、珍しい。昭和レトロ? え、うどんとかハンバーガーも買える? 嘘?」
その珍しさに、今までの不満がふわっと消えた気がする。忘れてはいないが、気がそれたというか、マッチングアプリとか妊活とか、モラハラ気味の夫とか、一旦、今は横に置いてみてもいいかと思う。
壁には変なポスターも貼ってあった。「逃げろ! 食え! 寝ろ!」と。どういう意味かさっぱりわからないが、今は逃げて食べる時?
しとしとと雨音が響く店内。他に誰もいない。静かだ。こんな世界の終わりなら、悪くもない気がする。
「どれ食べてみようかな?」
自動販売機の前に立つ。ハンバーガーの自動販売機と目が合った。変なイラストの自動販売機だった。ニワトリのキャラクターがチキン料理を作っている。昭和らしいシュールさ。コンプライアンスやポリコレ、多様性も無視した自由さが、眩しい。令和が捨ててしまった何かが目の前に現れたような。
結局、ハンバーガーの自動販売機にお金を入れた。チャリン、チャリンと百円玉を三枚。五百円玉や千円札は使えないのに、驚く。しかもレタスバーガーのボタンを押すと、一分もしないうちに出てきた。
「え、早すぎる。こんなすぐ? しかも箱に入ってるし、温かい……」
余計に驚いた。シズクの目が丸くなっていたが、これは手品か。
ソファに座り、箱の中身を開けてみた。白い紙に包まれていたが、いい匂い。温めた紙もいい匂いがするのか。
パンズはぺしゃっとしている。レタスもペラペラ。肉も薄い。ケチャップ味だけ濃いめ。全体的にチープで手作り感が溢れていた。
「うーん、美味しいとは言えない」
それでも、昭和レトロな自動販売機に囲まれた環境で食べると、不味くはない。これは、これでアリだった。
「なんかオモチャみたいなバーガーだった」
おいしさ以外の何かをここで売っているのかもしれない。
それに、こんな珍しい自動販売機の店に偶然出会った。今、抱えている悩みも不満も、偶然、思いがけない方法で解決するかもしれない。そんな気がした。
「え、傘借りてもいいの?」
そんなことを考えていたせいだろうか。店の隅にある傘立てに目がついた。傘立てにはビニール傘が数本あったが、側の張り紙を見たら、貸し出しOKだという。
「あぁ、助かった……」
まさか、傘まで手に入るとは。もう泣き言や不満を言う気は消えてしまった。
「あ、ここにノートがある」
テーブルの隅にノートがあった。どうやら客が食事の感想やクレームなど自由に書き込めるノートらしい。まだ新しいノートだったが、熱心なファンも多いらしい。近くの自殺スポットに行こうとしたところ、この店に出会し、なんとなく気が抜けてしまい、家に帰る予定というコメントもあった。それを読みながら、シズクも頷く。
「うん、そうだね。なんか気が抜けるよなぁ」
苦笑しながら、傘を借りること、自分も悩んでいたことを忘れてしまったこと、そしてお礼のメッセージを書いたら、余計に気が抜けてきた。あくびも出る。背伸びをしながら、外の雨音を聞く。
相変わらずポツポツと雨音は響いていた。気づくと、夜になっていたが、今は傘があるから、大丈夫。濡れずに帰れる。
「ありがとう。また傘を返しにくるよ」
自動販売機に手を振り、この店を後にする。いい雨宿りだった。今度は晴れた日にまた行きたいと思う。




