第4話 ホットコーヒー
夜のベンダーショップ・天国は静かだ。遠くの方のバイクの音、風の音は響くが、人の声はない。テレビや動画サイトの音もない。さすが、自動販売機の無人店舗といったところか。
今、星川圭人はこの店の中にいた。壁一面には昭和レトロな自動販売機が並び、ソファやテーブルも完備されていた。一見、コンビニのような外観の店だったが、中は隠れ家のよう。ソファやテーブルも昭和レトロな雰囲気だったが、昔の家に置いてありそうな雰囲気。壁には地図や変なポスターも貼ってあったが、その雑多な感じも逆に落ち着く。
実際、アイドルとして活動中の圭人はお忍びで来ていた。夜中にこっそりホテルから抜け出していたが、マネージャーやスタッフにばれていない。ファンにも見つかっていないようで、ホッとため息が出た。
現在、二十四歳の圭人。昭和生まれじゃないが、なんとなくこういった自動販売機にひかれる。落ち着く。コンサートで全国を巡る時、こういった店を探し、必ず立ち寄っていた。
「お、今日はツナマヨトーストサンドにするか」
トーストサンドの自動販売機の前に立ち、チャリン、チャリンと百円玉を投入。オレンジ色の派手な自動販売機だ。この昭和らしい色遣い、決して令和ではお目にかかれれないが、なんかほっとする。昭和時代を知らないくせに、懐かしいとすら感じるのはなぜだろう。
「お、できた」
トーストサンドは一分もしないうちにできた。全面をアルミホイルで包まれ、熱々。素手だと火傷しそう。自動販売機に備えつけられていたトングを使い、テーブルまで運ぶと、ソファに座る。
この店は自動販売機だけでなく、ソファやテーブルも昭和レトロなデザインだった。余計に隠れ家にいるような気分だ。
圭人は自身の髪の毛をぐしゃぐしゃとかく。仕事中はがちっとセットしてもらうが、今はラフだった。服装もジャージ。無精髭も生えている。それに少し猫背だった。
「お、少し冷めてきた。くうかー」
アルミホイルをガサガサと開く。シワっぽいアルミホイルは、それだけで素朴な雰囲気。スーパーやコンビニでは決して見られない見た目。中身も焼きむらがあったが、熱々だ。余計にツナマヨの味がトロッとし、サクサクと咀嚼音が響く。
姿勢もだらしない。素手で食べている。どう考えても行儀は良くないが、今はアイドル星川圭人は全部捨てた。
あとは引退コンサートや細かい仕事は残っていたが、未練はない。むしろ、去年、武道館でコンサートが成功し、燃え尽きてしまった。
この業界、上には上がいる。その割に加齢は容赦なく訪れる。そのためには個性、才能、オーラなど全部が大事だが、その実力も、自分がよくわかっていた。これ以上の伸びしろはないと分かったら、仕事への未練は全部消えてしまった。
いわゆる燃え尽き症候群にもなった。鬱っぽい日々も続き、未来への不安も続いていたが、今日はせっかく昭和レトロな自動販売機の店に来ているんだ。
そんなことは全部忘れ、目の前のツナマヨトーストサンドだけ全力になろう。
確かに特別に美味しい味じゃない。焼きむらもある。端の方は焦げててる。パンも薄め。ツナマヨも一般的な味だった。チープで素朴な一品だ。でも、そこがかえっていい。高級グルメような「美味しいって思え」という圧がない。完璧じゃなくてもOKだと解放されるような。そんな味だ。
「うん、よかった」
すっかり完食し、アルミホイルを丸める。ガサガサと音が響き、余計に満腹感も感じてきた。
「へえ。この店もノートがあるんか」
隣のテーブルにノートがあるのに気づく。確か似たような昭和レトロな自動販売機の店でも、客が感想やクレームなど巻き込めるノートを見たことがある。確かコインレストラン・佳味という店でもノートを通して客や店主が交流していたことを思い出す。
ノートはまだ新しい。さほどコメントは残されていなかったが、驚いた。ファンからのコメントがあった。確かにコンサート会場から距離があるわけでもない。ファンからコメントがあってもおかしくはない。遠征でここにきていたことや、今までの労いやお礼の言葉が綴られていた。丁寧で誠実そうな文字だった。
「なんか急に未練っぽい気がしてきたような……」
ふいにファンからのコメントを目にしたせいか。捨てたはずのものが、急に惜しくなってきた。歓声、スポットライト、ファンデーション、台本、うちわ、ペンライト……。過去の断片が頭を駆け巡るが、ぶんぶんと首を振る。
「いやいや、もう引退するって決めたから……」
この未練も、一瞬の気の迷いだろう。しばらく無言でノートを見つめていたら、落ち着いてきた。
「コーヒーでも飲むかー」
そっとノートを閉じ、紙コップ飲料の自動販売機の前に立つ。昭和レトロな自動販売機の中で比較的新しいものだが、木目調のデザインはどう見てもレトロ。
紙コップに入ったホットコーヒーも三十秒ほどであっという間にできた。紙コップ越しにも熱が伝わり、一口だけ飲んだ。一気に口の中に苦味が広がり、ツナマヨトーストサンドの後味も流れていく。
一瞬感じた未練も、スッキリと洗い流すようだった。今はもう、スポットライトが当たる世界には何の感情もない。
「さあ、飲んだら帰るかー」
少し背伸びし、再びホットコーヒーを口に含む。やはり苦い。夜に飲むのはカフェインが心配だったが、まあ、今日ぐらいはいいだろう。
今日ぐらいは、完璧さとか、アイドルとか、人の期待とか、将来とか全部忘れても、悪くないはず。
「ごちそうさま。またいつか来るよ……」
コーヒーを飲み干し、自動販売機に挨拶して帰る。当然、返事はあるわけない。思わず苦笑してしまっていた。




