第9話 スタミナうどん
病院の診察室は狭い。医者と向き合うと、さらに圧迫感がある。消毒液の匂いもツンと鼻につく。廊下からは看護師たちの慌てた声も響く。急患が出たのかもしれないが、今の代田真衣子には、そんなことはどうでも良かった。
今、主治医から検査結果を聞いていたからだ。初老の医者だが、専門用語をまくしたて、早口で聞き取りにくい。ダラダラと最後まで聞き、ようやく要点がわかった。
「つまり、手術しないと余命一年ってことですかね?」
真衣子が質問すると、医者が頷く。真衣子の目元が潤み、泣きたくなってきた。四十五歳の真衣子だった。健康的な身体は奇跡的に得られるものだと悟り、もう何の声も出てこない。
思えばこの一年、ふんだり蹴ったりだった。まずは夫が浮気相手に本気になり、離婚が決まった。幸か不幸か子供はいなかったし、慰謝料ももらえたが、同時に実家の両親が相次ぎ病死し、会社にもリストラされた。結局、今は実家のボロ屋を処理しつつ、ハローワークに通っていたが、突然ひどい頭痛に襲われ、病院に駆け込み、検査を受けたらこんな結末。元夫からの慰謝料も、この病気の治療代に消える未来しか見えない。むしろ笑えてくるぐらい不幸てんこ盛り。全て失ったと言っていい状態だ。
その後、医者から大まかな治療方針や入院の説明を受けた。手術の成功確率など聞くと、不安しかないが仕方ない。
病気の症状か、投与された薬の副作用か不明だが、頭がふらつき、視界も暗く見えた。これは精神面が影響しているのかもしれない。まさにお先真っ暗だ。
そんな状態で病院から家に帰ろうとしたせいだろうか。乗るバスを間違え、道に迷ってしまった。
元々過疎化が進み、限界集落とも言われていたこの土地。田舎の山、田んぼ、畑など見ていても別に全く癒されない。むしろ、余計に目の前が暗く見える。
「あぁ。これからどうしようかな……」
バツイチ、子なし、無職、両親もいない。病気もちで入院予定の四十五歳の女。金もない。友達もいない。趣味や推しもない。ないものを数えたら、暗闇に引きずり込まれそう。立ってられない。日も暮れてきた。今は春なのに、寒気もしてきた時だった。
「え、個人経営のコンビニ?」
目の前にコンビニがあった。夕陽に照らされた看板は、どう見てもセブンイレブンやファミリーマートじゃない。ベンダーショップ・天国という店らしい。昭和レトロなロゴだ。気になってきた。こういうコンビニ、昭和生まれの真衣子にはちょっと懐かしいと思いながら入店。小学生の頃ぐらいまではコンビニもちょっと珍しい存在だった。今では信じられないが、そういう時代だった。
「え、ここ無人コンビニだったの?」
しかし一歩入って驚く。通常のコンビニにあるようなレジがない。商品の陳列棚もない。その代わり自動販売機がずらりと並べられていた。
うどん、そば、トーストサンドなどが自動販売機で帰るらしいが、その全てが昭和レトロなデザインの自動販売機だった。おかげで無人店舗の割に、無機質感が薄い。昭和レトロな自動販売機のデザインは妙に華やかで、素朴で、温かみも滲んでいた。
思わず天井を見たが、監視カメラはなかった。店の入り口周辺には野菜も売っていたが、これもお代を貯金箱に入れるシステムらしい。田舎によくある無人野菜販売だったが、性善説すぎる。長らく都会で暮らしていた真衣子は戸惑う。
それに壁には変なポスターもあった。隣に地図も貼ってあったが、「逃げろ! 食え 寝ろ!」という文字は何だろう。何かの標語だろうか。思わず真衣子は首を傾げた。
店の窓からは夕陽が差し込んでいた。眩しい。昭和レトロな自動販売機、オレンジ色やイエローのデザインもあり、余計に視が眩しくなってきたが、入院したら、あんまりジャンキーなものは食べられないかもしれない。万が一、回復したとしても、暴飲暴食はもう絶対にできない。
「だったら、ここで最後の晩餐でもする?」
苦笑しながら自動販売機の前に立ち、どれを食べようか悩む。トーストサンドの自動販売機はオレンジ色に塗装され、それがなんとも食欲をそそる。昭和レトロな派手なオレンジ色、この色合い、令和には絶対出せないだろうが、うどんやそばの自動販売機のデザインも魅力的。パネルはステンドグラス調で、渋い。どこか懐かしい渋み。こっちも魅力的だ。
それにうどんの自動販売機、スタミナうどんというメニューも気になる。スタミナ。そうか、病気の今は、スタミナつけてもいいかもしれない。
「五百円玉も千円札も使えない?」
相当な年季の入るようだ。こんな自動販売機みたことはないが、両替機もあった。千円札をくずし、百円玉をチャリン、チャリンと入れ、スタミナうどんのボタンを押す。
「はやいよー」
驚いた。一分もしないうちに出てきた。しかも、ちゃんと温かい。手品みたいな自動販売機だ。
器はプラスチック製で安っぽい。それでも具沢山だ。ゆで卵、わかめ、揚げ玉、かまぼこ、ネギも入り、ピリッとした匂いもする。なるほど、これは間違いなくスタミナうどんだ。
店の中央にあるテーブルにつき、食べ始めた。テーブルには割り箸や七味も置いてあった。
味はニンニクも効き、少し辛め。具沢山で食べていて飽きない。サイズは大きくはないが、うどんはつるっと本格派。確かにうどんチェーン店のものと比べたらチープ。でも、手作り感もあり、昭和レトロな自動販売機に見守れながら食事をするのも悪くない。
食べながら、チラリと昭和レトロな自動販売機を見てみる。令和にはない自由さ、華やか、それに生命力がある。不便な面もあっただろうが、豊かな時代だったのだろうか。真衣子は昭和生まれだが、当時の記憶はない。だから余計に美化できるのかもしれない。
「ごちそうさま」
気づくとスープも飲み干し、完食。食べ終えると汗も出てきた。最近はすっかり運動不足だったが、こうして汗が出るのか。医者に余命宣告もされ入院予定だったが、まだ汗が出てくるんだ。大丈夫、生きてる。いや、生かされている?
そう思い、額の汗を拭った時だった。隣のテーブルを見ると、一冊のノートがあった。客が自由に書き込めるノートらしい。ここの料理の感想、リクエストだけでなく、お悩み相談的なコメントもあった。
この近くには自殺スポットがあるらしい。それを目的にきた客が何人かいるらしい。
「へえ……」
ノートを読む限り、生きづらく大変そうな若者らしい。真衣子自身も、今の現状は悪いくせに、どうしてか励ましたくなってしまう。だからって良い言葉は思いつかず、猫やウサギのイラストを描いてみた。そういえば、子供の頃から絵を描くのは嫌いではなかった。
なぜか描いている真衣子の方が励まされているようだ。楽しくなってきた。そうだ、悲惨な現状だが、自分だけが不幸だと思い、嘆き続けているのは違う。
イラストを描き終えたら、元気が出てきた。あのスタミナうどん、元気が出る成分でも入っていたのだろうか。
「さあ、もう帰るか」
そっとノートを閉じ、帰る支度を始める。窓の外も暗くなってきたし、もうお腹いっぱいだ。最後の晩餐も、これで満足だ。真衣子の顔は、きた時より明るくなっていた。
「よし、退院したら、また来るからね! 次はトーストサンドとか、ハンバーガーとか食べたいし!」
わざと明るく独り言を口にし、店を後にする。
そうだ。まだ未来はわからないから。元気になって再びこの店に行ける可能性、きっとゼロじゃない。
少しだけ涙は出そうだったけれど、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせていると、無理矢理にでも笑えそうだった。




