第九話 百兆円の上納金と大人のアメ
「……そこまで知っていて、ただの掲示板の悪戯で終わらせるつもりかね?」
校長室に響いた、成瀬調査官の地を這うような低い声。物腰柔らかな仮面を脱ぎ捨てた大人の「本当の牙」が、俺たちを値踏みするように睨みつけている。
後ろで山崎先生が恐怖でガタガタと震えているのが分かった。
だが、俺と御剣は、その底冷えするような威圧感に対して同時にフッと冷ややかに笑った。
「私たちはただ、誰もが見られる公開データを正しく精査し、事実を並べているだけです。それがただの悪戯かどうかは、ネットの海が判断することだわ。失礼します」
御剣がそう言い放ち、成瀬が口を開く前に背を向けて校長室のドアを開けた。俺もそれに続く。
後ろから成瀬の「後悔することになるぞ」という静かな視線が背中に突き刺さったが、振り返る必要はなかった。
学校からの帰り道。夕日が赤く染める住宅街を歩きながら、俺たちはスマートフォンの画面に文字を打ち込んでいた。
「完全に一線を越えたな、御剣」
「ええ。でもこれで私たちの勝ちよ。国がここまで必死になる事実だってことが証明されたわ。……さあ、彼らが一番隠したい『財布の裏側』を陳列してやりましょう」
俺は歩きながら、管理人IDで第七弾となるスレッドを投下した。
『オキュパイドジャパンの事実陳列』
『第七弾:国内は増税、他国には貢ぎ物――歪んだ財政の百兆円利権』
俺たちが並べたのは、財務省や日銀の公開バランスシートから抽出した、冷徹な「お金の事実」だ。
【1:オキュパイドジャパン政府は『財政難』『社会保障費の増大』を理由に、国内の消費税や所得税の増税を繰り返している。しかしその裏で、この国が他国の国債(米国債等)を【百兆円以上】も買い支えている事実を国民は誰も知らない。】
【2:他国の国債をこれほど大量に保有している理由は『同盟国のための為替介入』や『国際協力』と説明されているが、この国債は売却して国内の財政に充てることが事実上『禁止』されている。つまり、買わされているだけで二度と手元に戻らない、事実上の【占領への上納金】である。】
【3:国内の国民には『国の借金で破綻する』と嘘の危機感を煽り、身内(国民)の生活を増税で締め上げながら、外国のサイフを百兆円規模で支え続けている。これが、この国の歪んだ財政の真実である。】
エンターキーを叩き、ネットの海へデータを放流する。
今までの空域や軍隊の話とは違い、サラリーマン層や一般の納税者たちの「サイフ(税金)」に直結する生々しい数字が暴かれたことで、スレッドは過去最大の炎上(大拡散)を見せた。
「俺たちの税金がどこに消えてるか分かったぞ。ただの上納金じゃねえか!」
「国内の増税で苦しんでるのがバカバカしくなってきた……」
「この国、マジでただの搾取対象の泥船だ……」
ネット住民たちの狂熱はもはや誰にも止められない濁流となり、社会現象化の波紋はさらに大きく広がっていった。
*
それから、三日後の放課後だった。
あの日以来、なぜか国側からの不自然なアクセスやハッキング、警告文の書き込みはピタリと止まっていた。
不気味なほどの静寂。だが、嵐の前の静けさであることは分かっていた。
図書室の窓際の席で、俺と御剣が次の事実カード『超高速の少子化(毎年ひとつの県が消える異常)』のデータを整理していた時だった。
「やあ。先日は取り乱してすまなかったね」
静まり返った図書室に、場違いなほど明るい声が響いた。
顔を上げると、そこに立っていたのは文科省の成瀬だった。
あの日の冷酷な表情はどこへやら、最初に見せた以上の「完璧な紳士の笑顔」を浮かべている。
成瀬は俺たちの向かいの席に静かに腰掛け、声を潜めてこう囁いた。
「君たちの『事実を調べる能力』、そしてデータを読み解く圧倒的な知性は、本当に我が国の宝だよ。こんな地方の底辺高校で腐らせておくのはもったいない。……どうだね、文部科学省の【特級推薦枠】を使って、最高峰の国立大学への進学を約束しよう。もちろん、卒業後の官僚としての席も、国が責任を持って保証する」
脅しのムチが効かないと知った国家が、今度は俺たちの人生を人質にした、甘い「アメ(買収)」を差し出してきたのだ。
「君たちがスレッドを今夜中にすべて削除し、管理人IDを国に譲渡してくれるなら、君たちの未来はすべて約束される。……賢い君たちなら、どちらが得か、分かるだろう?」
成瀬が差し出してきた、あまりにも巨大な大人の取引。
御剣が冷徹な瞳のまま、じっと俺の顔を見た。
前世で不条理な社会に苦しんできた俺の前に、国家が用意した最高峰の「勝ち組の切符」が置かれていた。
(第九話 終)




