第十話 奴隷の一等客室と、戦争なき絶滅
「君たちがスレッドを今夜中にすべて削除し、管理人IDを国に譲渡してくれるなら、君たちの未来はすべて約束される。……賢い君たちなら、どちらが得か、分かるだろう?」
図書室の静寂の中で、文科省の成瀬調査官が差し出してきた最高峰の「勝ち組の切符」。国が責任を持って将来のキャリア(官僚)の席を保証するという、あまりにも巨大な大人の取引だった。
隣に座る御剣が、冷徹な瞳のまま、じっと俺の顔を見た。
大人の差し出してきたその極上の提案を前にして、俺の胸の奥から、ある感情が急速にせり上がってきた。
「……ハハ」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
成瀬が「おや、嬉しすぎて笑ってしまったかね」と言わんばかりに、満足げに口元を歪める。
だが、俺の笑いは止まらなかった。
「ハハハ……ハハハハハハハ!」
張り詰めた図書室の空気を破り、俺はお腹を抱えて大笑いし始めた。
前世の四十八年間、就職氷河期という不条理な社会の底辺で、大人の綺麗事やシステムの嘘に散々泣かされ、それでもネットの海で世界の真実を貪り読み続けてきた俺だ。だからこそ、この男が笑顔で差し出してきた「アメ」の、薄汚い正体が誰よりも見抜けてしまう。
突然大笑いし出した俺を見て、成瀬の完璧な笑顔が、ピキリと不気味に凍りついた。
「……何がおかしいのかね、佐藤くん」
「おかしくて堪らないさ、成瀬さん」
俺は笑いを収め、底冷えするような冷徹な目で成瀬を見据えた。
「あんたの言う『日本の最高峰の席』ってのは、あの百兆円の上納金を他国に貢ぎ続ける、操り人形の泥船の一等客室のことか? 国家のキャリア官僚なんて、結局は外国の作ったルールの上で、自国民から効率よく税金を巻き上げて上納するだけの『上級管理職』だろ。そんな奴隷の特等席を、自分の人生と引き換えにするわけがないだろ」
「君……っ!」
成瀬が顔を真っ赤にして立ち上がったが、俺は椅子を引いて先に立ち上がった。
「話はそれだけか? 悪いが、俺たちの未来はあんたたちに切り売りされるほど安くない。行くぞ、御剣」
「ええ」
御剣は最初からこうなることを知っていたかのように、フッと妖艶に微笑むと、呆然と立ち尽くす成瀬を図書室に残して、俺の隣を悠然と歩き出した。
放課後の教室に戻り、俺たちはノートPCを開いた。
アメすら通用しなかった以上、国家が次にどんな汚い手を打ってくるか分からない。だからこそ、今この瞬間に、彼らが一番隠したい『この国の余命』をネットの海へ陳列してやる。
「佐藤くん、大人が義務教育の洗脳で最も隠し通したい、最大の『結果』を叩き込んでやりましょう」
「ああ、とっておきの事実カードだ」
俺は管理人IDを入力し、第八弾となるスレッドをネットの海へ放流した。
『オキュパイドジャパンの事実陳列』
『第八弾:戦争なき絶滅――超高速の少子化という不妊化プログラムの正体』
俺たちが並べたのは、厚生労働省の人口動態統計から抽出した、一切の感情を排した「余命の数字」だ。
【1:我が国『オキュパイドジャパン』では、戦争も飢餓も起きていないにもかかわらず、毎年丸ごと一つの県が消滅するペース(年間約80万人以上)で人口が減り続けている。これが『戦後、最も成功した平和な国』と教科書に書かれた我が国の現在地である。】
【2:政府は『若者の結婚観の変化』や『晩婚化』を理由にするが、本質は違う。国を愛せと教えながら主権を他国に握らせ、国民のサイフから百兆円を毟り取って未来への希望を絶望に変えた『戦後システム(義務教育)』そのものが、若者から子供を産み育てる気力を奪っている。】
【3:つまり、文部科学省が戦後七十年守り続けてきた学校教育システムの本質とは、国民を従順な羊に調教し、自ら進んで絶滅へのカウントダウンを受け入れさせるための【合法的な不妊化プログラム】である。数字が示す我が国の未来は、ただの緩やかな死だ。】
エンターキーを叩いた瞬間、データはネットの海へ爆弾のように着弾した。
「毎年一つの県が消える」という冷徹な数字の恐怖、そして義務教育そのものを「国を滅ぼす犯人」と断言した凶悪なデータロジックに、ネット住民たちは戦慄し、大いに湧き立った。
「毎年一つの県が消えるってマジの数字じゃん……。本当に俺たち、戦争もしてないのに滅びかけてるんだ」
「文科省が不妊化プログラムの実行犯……ぐうの音も出ねえ法律とデータの暴力だ……」
「このスレ、ヤバすぎる。国の寿命のカウントダウンを見せられてる気分だわ」
その頃、図書室に一人取り残されていた成瀬のスマートフォンにも、スレッドの爆発的な拡散を知らせるアラートが鳴り響いていた。
画面に並ぶ「文科省は不妊化プログラムの実行犯」という高校生たちの冷徹な書き込み。彼がドヤ顔で差し出した最高峰の切符は、彼らの前で、ただの無力な紙屑へと完全に変わっていた。
(第十話 終)




