第五話 深淵からの返答
画面の最下部に突如として現れた、本物の防衛省内部資料のスクリーンショット。そして「直ちにスレッドを閉鎖しろ」という冷徹な公的警告。
ネットの向こう側から、本物の国家権力に首筋を冷たい刃で撫でられたような錯覚が、誰もいない放課後の教室を支配していた。
「……お父さんの部署の、本物の内部資料のヘッダーが映ってる……」
隣に座る御剣の声から、初めて余裕が消えていた。
いつも冷静な彼女の指先が、かすかに震えている。
だが、俺はノートPCの画面に映るその警告文を、穴が空くほど凝視していた。前世の引きこもり生活で培った、ネットのあらゆる修羅場を見てきた直感が、頭の中で警報を鳴らしている。
――違和感がある。
「待て、御剣。落ち着いてよく見てみろ」
「え……?」
「もし本物の公安や、防衛省のサイバー対策班が本気で俺たちを潰す気なら、わざわざ掲示板にこんな親切な警告文なんて書き込むか?」
俺の言葉に、御剣が大きく目を見開いた。
「本物の『組織の命令』なら、裏からハッキングしてサーバーごとこのスレを強制削除するか、俺たちのIPアドレスを特定して、今頃この教室に警察が直接踏み込んで拘束しにきているはずだ。それをしてこないってことは――」
御剣がハッとしたように息を呑み、いつもの冷徹な知性を取り戻していく。
「……そうね。わざわざ『極秘』と書かれた国家機密の資料を一般の掲示板に晒すなんて、国家公務員の守秘義務違反を自ら犯すようなもの。つまりこれは、組織の公式な動きじゃない。お父さんの部署のデータを盗み見られる立場にいる『誰か』が、個人のPCから私たちを脅しにきているんだわ」
「ビンゴだ。本物の国家権力じゃなく、焦った役人個人の独断による『ハッタリ』だ」
正体さえ見抜けば、もう恐れるものは何もない。
俺は不敵に笑い、キーボードへと指を走らせた。
感情を排し、今度はこちらから「法律の刃」を突き返す番だ。
【管理人より、警告を書き込んだ国家公務員(自衛官)の方へ。】
俺は、その公的警告のレスに対して、真っ向からアンカー(返信)を叩きつけた。
【>>あなたが提示した『防衛省訓令』は、あくまで自衛隊員や省内の役人を縛るための内部ルール(行政規則)に過ぎない。ただの一般国民である俺たち民間人を逮捕・処罰する法的な根拠(刑罰)には一切ならない。】
【むしろ、公務員であるあなたが一般の匿名掲示板に内部資料の画像をアップロードして一般公開した行為こそ、国家公務員法第100条の『守秘義務違反』に完全に抵触している。】
【直ちに該当の画像を削除し、回線を切断することを推奨する。これは一般国民からの、あなたに対する公的な忠告だ。】
エンターキーを強く押し込む。
俺たちの反論が、スレッドの最前線に躍り出た。
数分前まで「おい、マジで国家機密なのかよ」「管理人逃げろ、逮捕されるぞ」とパニックになりかけていたネット住民たちが、この書き込みを見て一斉に沸き立った。
「おい管理人強すぎるだろwww」
「法律の特大ブーメラン突き刺さってて草」
「防衛省訓令は一般人に適用されない、完全な論破だ」
数分後、あの防衛省の資料が貼られた警告レスは、一瞬で削除されて消えた。相手の役人が、自分自身の違法性を突きつけられて完全に恐怖し、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
「ふふ……あははは!」
それを見た御剣が、ついに堪えきれずに小さく、しかし愉しげに笑声を漏らした。
「見事だわ、佐藤くん。まさか国家の脅しを、法律の盾で逆に叩きのめすなんてね。あなたのその冷静さと知識、本当に行動心理学の研究対象にしたいくらいだわ」
「雑音が消えたなら、作業に戻るぞ。御剣、次のデータは?」
「ええ、用意してあるわ。今ので確信した。この国を裏で縛っている『本当の不平等』を、もっと引きずり出してやりましょう」
御剣がファイルから、次の資料を取り出す。そこには、日本の安全保障の根幹でありながら、誰も直視しようとしない最大の矛盾が記されていた。
俺は次のスレッドタイトルを、静かに打ち込んでいく。
『オキュパイドジャパンの事実陳列』
『第五弾:戦力を否定しながら世界トップクラスの軍隊を持つ矛盾と、日米地位協定の歪み』
国家の不条理を逆論破したことで、スレッドの勢いはもはや誰にも止められない濁流となり、さらなる狂熱を帯びてネットの海を侵食し始めていた。
(第五話 終)




