第四話 事実の虐殺と本物の銃口
第三弾として、政府未公表のニアミス事故と数千億円の経済損失データを投下した直後、スレッドの様相は一変した。
それまでは静かに事実を受け入れていたネットの海から、泥水のような反発が一気に湧き上がってきたのだ。
スマホの画面を更新するたびに、数十件の書き込みが猛スピードで流れていく。
『また陰謀論者が妄想で電波飛ばしてるよ。ソースどこだよ』
『これだから現実を見ない反日サヨクは。米軍を叩きたいだけの活動家だろ、通報しとくわ』
『そもそも航空法を読めば民間機がどこを飛ぼうが自由って書いてある。主は法律の勉強し直せよ(笑)』
『アメリカ軍のおかげでこの国が守られてるんだから、空域くらい貸して当然。嫌ならお前が代わりに前線で戦えよ』
感情的な罵倒、政治的なレッテル貼り、そして一見もっともらしいが完全に的外れな法律の誤用。
いわゆる「ごまかし」と「勘違い」による火消しの嵐だった。
普通のネット民なら、この圧倒的な物量と罵詈雑言に怖気づき、スレを閉じてしまうかもしれない。
「……ひどいものね。事実を直視できない人間たちの、典型的な防衛本能だわ」
放課後。薄暗くなり始めた教室の隅で、俺のスマホを覗き込んでいた御剣怜が、冷徹な声で吐き捨てた。
彼女の瞳には、焦りも恐怖も一切ない。ただ、実験室で不純物を見つめるような、底冷えするほどの蔑みだけがあった。
「どうする、佐藤くん。このまま放置すれば、せっかく積み上げたデータが『ただのデマ』として埋もれてしまうわよ」
「放置するわけないだろ。むしろ好都合だ。感情でしか返せないやつらに、文字通り『言葉の通じない恐怖』を教えてやる」
俺はノートPCを開き、管理人IDでログインした。
キーボードを叩く指が、心地よいリズムを刻む。
【管理人より、的外れな反論に対する事実の再陳列を行う。】
俺は、安易な知ったかぶりでマウントをとってきたレスに対し、淡々とアンカー(返信)を打っていった。
【>>航空法を読めば自由と叫ぶ者へ。我が国には『日米地位協定の実施に伴う航空法の特例法』が存在する。これにより、米軍機および米軍が管制する空域内では、日本の航空法第6章(航空機の運航ルール)の大部分が『適用除外』となる。条文の原文リンクを以下に添付する。勉強し直すべきはどちらか、数字を読める頭があるなら確認されたし。】
【>>『防衛の必要性』を持ち出す者へ。議論のすり替えは見苦しい。今ここで陳列されているのは、防衛の是非ではなく『主権が制限されているという事実』そのものである。感情論での擁護は、自国が占領下であるという事実の証明にしかならない。】
一言の罵倒も使わず、ただ冷徹な条文の原文と、行政の一次ソースのURLだけを機械的に貼り付けていく。
感情に対して、感情で返せば泥仕合になる。だが、感情に対して「圧倒的な事実」を無表情で突きつけ続ければ、それはただの虐殺に変わる。
1時間後。あれほど勢いのあった勘違い反論やレッテル貼りの書き込みは、ピタリと止まった。ぐうの音も出ない法律の証拠を突きつけられ、荒らし屋たちが完全に戦意を喪失したのだ。
スレの空気は、再びあの不気味なほどの「静寂」を取り戻していた。
「見事ね。これで雑音は消えたわ」
御剣がフッと口元を綻ばせた、その時だった。画面の最下部、新着レスの通知が赤く点滅した。
たった1件の書き込み。
だが、そのレスが画面に表示された瞬間、俺と御剣の身体が同時に凍りついた。
その書き込みは、これまでの有象無象の荒らしとは、明らかに一線を画していた。ネット特有の崩した言葉遣いは一切ない。極めて事務的で、理路整然とした公文書のような文章。そして、そこに添付されていたのは、防衛省のロゴが入った『極秘』の印が押されたPDFのスクリーンショットだった。
『管理人へ。あなたが提示した横田空域の経済損失試算およびニアミス事案のデータは、防衛省訓令第〇号における安全保障情報の定義に抵触する恐れがあります。また、当該データは不完全な抽出であり、実際の運用実態とは異なります。直ちにスレッドを閉鎖し、管理人IDの破棄を推奨します。これは公的な警告です』
「……お父さんの部署の、本物の内部資料のヘッダー(管理番号)が映ってる……」
御剣の声から、初めて余裕が消えた。
一般のネット民の勘違いを叩き潰した結果、俺たちの前に現れたのは、ごまかしの効かない「本物の国家の関係者」だった。
画面の向こうから、冷たい銃口を突きつけられたような錯覚が、放課後の教室を支配した。
(第四話 終)




