第三話 数字が語る占領の対価
御剣と放課後の教室で「同盟」を組んでから、さらに一週間。
俺たちの『事実陳列』は、ついにネットの枠を超えて現実の権力を揺るがし始めていた。
ノートPCの画面に表示されたアクセス解析のログを見て、俺は小さく息を呑んだ。
「……おい、御剣。これを見てくれ」
「どうしたの?」
俺の隣に椅子を寄せ、画面を覗き込んできた御剣の髪から、かすかに紅茶のような香りがする。
画面に並ぶ文字列――それはスレッドへの訪問者がどこからアクセスしているかを示すドメインの履歴だった。
「ただのネットユーザーや、まとめサイトの巡回だけじゃない。『go.oj』……オキュパイドジャパン政府機関のドメインがいくつも混ざっている。霞が関の官庁街から、このスレが監視され始めてるぞ」
「当然ね。第二弾で並べた横田空域の事実は、彼らにとって『触れられたくない既得権益』そのものだもの。でも、本当の勝負はここからよ」
御剣はそう言って、自分のローカルフォルダから暗号化された新しいファイルを展開した。
画面に表示されたのは、防衛省の末端組織や国土交通省の航空統計から集約された、生々しい数字の羅列だった。
「第三弾のテーマは、第一弾と第二弾を統合した『実態』の陳列。タイトルはこれでいきましょう」
画面にテキストが打ち込まれていく。
『オキュパイドジャパンの事実陳列』
『第三弾:歪んだ制空権がもたらす、数千億円の経済損失と未公表の危機』
「感情論で『主権を返せ』と叫んでも誰も聞かない。だから、この国がどれほど具体的な不利益を被っているか、数字の暴力で叩きつけるの」
御剣が持ってきたデータは、背筋が凍るほど冷静で、かつ致命的なものだった。
【1:民間機が横田空域を迂回するために浪費している飛行時間は、年間合計で約数千時間に及び、それに伴う無駄な航空燃料費は年間で数百億円規模に達している(国土交通省統計ベースの試算による)。】
【2:さらに、自衛隊の補給統括部が保存している末端の報告書によると、今年度に入ってから横田空域周辺における米軍機と民間機のニアミス事故(急接近)は前年比2.4倍。衝突未遂にあたる事案もすでに7件発生している。】
【3:これらはすべて『国防上の配慮』として、政府から国民へはいっさい公表されていない。】
「おい……これ、流石にラインを越えてないか? 補給統括官の娘が持っていていいデータじゃないだろ」
俺の背中に冷たい汗が流れる。
これまでの法律や空域の話は、調べれば一般の文献でも辿り着ける「公然の秘密」だった。だが、この具体的な損失額の試算と、未公表のニアミス事故の数字は、完全に国家の不都合な裏側に触れている。
しかし、御剣は冷徹な瞳で俺を見つめ返した。その瞳には、恐怖も躊躇いもなかった。
「言ったはずよ、世界のバグを直すって。お父さんはデータを『保存』しているだけ。これは情報漏洩ではなく、ただ埋もれていた事実の精査よ。ネットの住民たちが、自分たちの足元がどれほど脆い泥船なのかを自覚するために、この数字は絶対に必要だわ」
彼女の指が、キーボードの「投稿」ボタンの直前で止まった。
「これをアップロードすれば、もう後戻りはできない。掲示板の管理人IDを持つあなたにも、サイバー警察や公安の調査が入る可能性がある。……どうする?」
夕日が完全に沈み、誰もいない教室に深い群青色の影が落ちる。俺は御剣の張り詰めた視線を受け止め、自分の手でPCを引き寄せた。
「元から引き返すつもりなんてないさ。事実を恐れるのは、嘘の上に座っている奴らだけだ」
エンターキーを強く叩く。データは静かにネットの海へと放流された。
数秒の静寂のあと、F5キーを押すたびに、閲覧数のカウンターが今までにない爆発的な速度で回り始めた。
それと同時に、霞が関(go.oj)からのアクセスを示すログが、不気味なほど一気に増殖していく。
俺たちの目の前で、静かに、しかし確実に、戦後の平穏という名の砂上の楼閣が崩れ始めていた。
(第三話 終)




