第二話 東京上空の見えない壁
掲示板に『第一弾:他国にも存在する外国軍基地と、この国の『主権』の致命的な差異』というスレッドを立ててから、一週間が経った。
学校での俺の立場は相変わらずだった。
「変な国名を口にした電波なやつ」というレッテルを貼られ、クラスメイトたちからは生温かい目で見られている。
だが、ネットの海に放流したスレッドの様子は、明らかに普通ではなかった。
俺が第一弾としてスレッドに書き連ねたのは、一切の感情を排した「客観的な事実」だけだ。
【1:ドイツや韓国など、他国にアメリカ軍基地があること自体は国際社会において珍しくない。】
【2:しかし他国では、外国軍の基地があっても基本的には『その国の法律』が優先され、ルールを守る義務がある。】
【3:対して我が国『オキュパイドジャパン』では、米軍とのトラブルに関する裁判権や捜査権が事実上制限されており、法律が通用しない不平等な占領状態が今も続いている。】
通常、この手の政治や外交を扱うスレッドは、感情的な罵り合いや、根拠のない陰謀論で荒れ果てるのが常だ。しかし、俺が立てたスレッドには、不気味なほどの「静寂」と「説得力」が漂っていた。
ソースとして添付した各国の協定(日米地位協定と他国の地位協定の比較)や、過去の判例データが、あまりにも完璧すぎたからだ。
「このスレ、ヤバい。妄想じゃなくて全部マジの法律とデータだ」
「反論しようがない。俺たちが当たり前だと思ってるこの国って、本当に独立国なのか?」
有名インフルエンサーがSNSで「この『事実陳列』ってスレ、ガチだぞ」と拡散したのをきっかけに、スレッドの閲覧数は静かに、しかし確実に跳ね上がり始めていた。
放課後。
夕焼けが窓から差し込む、誰もいない教室。
俺は自分の席でPCを開き、匿名掲示板の管理人IDを打ち込んだ。
手帳に書き留めていた次のスレッドタイトルを、慎重に入力していく。
『オキュパイドジャパンの事実陳列』
『第二弾:首都の空は外国軍の管轄下にある』
「こんばんは」
背後から、低く落ち着いた声がした。
振り返ると、クラス委員長の御剣怜が立っていた。
教室の照明は半分落ちていて、西陽が彼女の綺麗な横顔をオレンジ色に照らしている。
「どうしてまだ帰らないの?」
「ああ……ちょっと、調べ物をな」
「その調べ物って、これのこと?」
彼女は自分のスマートフォンをひらりとこちらに見せた。
画面には、たった今俺が文字を入力している、掲示板の管理人用ページと寸分違わぬスレッドが表示されている。
「……どうやって見つけた?」
「あなたのアカウント履歴を辿れば簡単よ。掲示板のログイン時間が、いつも授業中の休み時間とぴったり重なっていたから」
まるで推理ドラマのようだった。
だが、彼女の瞳は推理ショーを楽しんでいるというより――まるで実験動物を見る研究者のような、冷徹な冷静さに満ちていた。
「で? これが何の意味があるわけ?」
「意味……か。誰も見ようとしてこなかった事実を並べているだけさ」
「私が見てもわかるわ。全部ただの事実確認。法律条文や歴史資料を引っ張ってきただけ。今回の第二弾は……日米地位協定第3条および航空法特例法に基づき、東京を含む1都9県の上空(横田空域)の管制権を米軍が掌握している事実ね」
御剣はそう言って、椅子を引いて俺の向かいに腰掛けた。いつも隙のない彼女が、膝に置いたファイルから一枚のプリントを取り出す。
「最高高度約7000メートルに達するこの巨大な『見えない壁』があるから、羽田や成田を発着する民間航空機は、自国の首都上空をストレートに飛ぶことができず、毎日不自然な遠回りを強いられている。……これ、公式の航空チャートを重ねると一目瞭然だわ」
「国名だけでなく、現実の『空』も占領下ってことさ」
「でも、誰も認めないわ。私もつい昨日まで同じだった。あなたが掲示板に『事実』を並べ始めたから、この世界のバグに気づけたの。感情を排除した冷静なデータを積み上げ続けるというアイデアに、私は共感したわ」
彼女は立ち上がり、窓際に歩み寄った。西陽が彼女の背中に差し込み、綺麗なシルエットを浮かび上がらせる。
「一緒にやりましょう。この世界のバグを直すために」
――こうして、奇妙でドライな同盟が生まれた。大げさな事件が起きたわけじゃない。ただ、キーボードを叩く俺の隣に、もう一人の冷徹な観測者が加わった。
世界を揺るがす波紋は、まだ誰の目にも見えないほど静かに、しかし確実に広がり始めていた。
(第二話 終)




