奪えるもんなら
あの青い粒子が形を成したのは、かほが叫んだ直後だった。
それは、誰も言葉にできないほど一瞬の出来事であり、認識した時には彼女は既に巨大なカプセルの中にいた。
黒色を基調とした謎の紋様入りの奇妙な形状をした球体だ。大樹の根が地表に露出したかのような歪さで、時々、紋様が虹の色を伴って妖しく光る。外側から内側は見ることができない。だが、かほがこの中に囚われたことは紛うこと無き事実である。
次の異変は、反射的に彼女を救おうと僕が動き出した時起こった。
闇夜から、何かが現れ出でたのだ。
――翼だ。
青い剛翼、両足の鋭利な爪、そして獲物を狙う冷酷な瞳。
その威風堂々とした姿はまさに「鷹」であった。
鷹は僕をただ一点に凝視する。それは、自分がターゲットであるからか。
――恐れているのか、僕は?
身体が動かない。手から足の指先まで硬直して、思考がなにも機能しない。当然、感情を認識する余地など一切無かった。
何も感じない。
今、自分は巨人の手のひらのような翼になぎ倒されて、吹き飛ばされて、腹を爪で一突きされて。
全て、目の前で起こっている事実を受けとめながら、麻痺した脳髄にありのままに伝える。このまま、僕は痛みも感情も感じること無く、血反吐を吐いて死ぬのだろうか。
――もしかしたら、これが、この思考状態こそが僕の願いだったりして…
次に認識したのは、僕が強風で背中を背後の木に叩きつけられた映像だった。
気分は、テレビの前で全滅寸前で絶体絶命のアクションゲームをプレイしているような感じだ。硬直した身体と機能不全の脳はこのまま動かないままで、景色は徐々にフェードアウトしていく。
――後悔なんて…無いよな…
▽▽▽
雑木林に囲まれた広々とした草原と、平屋建ての廃屋が一軒。そこに居るのは、幼い男女が二人。
「侵入者!! 私の秘密基地から出てって!!」
少女は、この場所に不似合いなほど可愛らしいワンピースを着ている。外見からは心なしか育ちの良さを感じさせられる。そう、外見だけは。
「早く出てかないと武力行使よ!!」
「…ブリョクコウシ? よく分からないけど、簡単に出てく気はないよ」
「なんで? ここは私の場所なの! バーカ、バーカ」
「僕だって気になるんだよ。だって、偶然こんな場所を見つけたんだからさ!」
少年は意気揚々と語る。一方、少女は怒りで顔を歪めている。
「いいわ、武力行使ね」
「だからブリョクコウシって…?」
次の瞬間、少年の横顔に少女の回し蹴りが認識する暇も無くクリーンヒットした。
少年はその場で倒れこんだが、すぐに立ち上がり、少女を睨む。
「何よ? まだ続けるつもり?」
「うん。そこまで僕のことが嫌いなら、気が済むまで蹴り飛ばしてみなよ! 何度でも立ち上がってみせる!」
「ふーん、君、デリカシーとかそういうの無いのね? じゃあ立ち上がらなくなるまでやるまでよ!」
一体何度、蹴られたのだろうか。
気がつけば空は赤色に染まり、少年の服は薄汚れて、身体は傷だらけであった。
「…はぁ、はぁ、次で決める! 会心の一撃よ!」
脇腹に当たった、少女のローキックに少年は嗚咽を上げる。
それでも少年は地べたの草を掴んで、果敢に立ち上がろうとする。
「何で…何で…。何でそんなにボロボロになってまで立ち上がるの!? 早く諦めてよ!!!」
「…だって、学校で見た君がずっと一人で寂しそうだったから…」
その時、怒りにまかせて歪めていた少女の顔の緊張が少し解れたような気がした。それでも、少年を見つめる瞳には確かな敵意を露わにしていた。
「学校って…?」
「僕、2週間前くらい前に転校してきたんだ。そう、鯨見小学校に。変わった名前だよねー! くじらが見える小学校って、国語の教科書みたい」
「…」
「あっ、そうだ名前! 僕の名前は堂本響揮。よろしくねー!」
「いっ…いや、そんなこと知らないわよ! ストーカーよ! ストーカー…」
少女の顔からはすっかり怒りのような感情は抜け落ちていた。代わりに現れたのは先程までの彼女の言動からは考えられないほど悲しげな表情と、大粒の涙だった。
少女は泣き声で少年に問う。
「…どうしてっ…私なの…? どうしてっ…何度も立ち上がれるの?」
「…だって…」
少年は少女に微笑みかけるような顔で、それでいて堂々とした声で告げる。
「ひとりぼっちだった君と仲良くなりたいっていう想いを諦めたくなかったから!」
「…!」
「僕、諦めるのがすっっっっごーく嫌いだから! さあ、蹴り足りないならまだ付き合うよ! それとも、ビビってんの?」
少年は挑発的な視線を少女に向ける。
「ビッ…ビビってなんかないわ! でも、私…もうあなたを傷つけることはできない…」
「ビビってんじゃん」
「黙ってよ!! このドMが!」
「それを言ったら、君だってドえ…」
「もうそれ以上言わないで! ドドMめ!」
少女の悲嘆に暮れた表情は、気づけば笑みに変わっていた。
▽▽▽
――心臓はまだ動いている。
胸に手を当てる。細かに、でも確かにドクン、ドクンと脈を打っているのを感じる。
今のは夢だったのだろうか。もしかして、あれは過去の自分の姿なのだろうか。
脳裏に浮かんだ自分の姿は、今の自分ではとても考えられないようない振る舞いであった。
でも、何故だろう。思い起こすと、胸が火傷するように熱く感じる。
――何でそんなにボロボロになってまで立ち上がるの!?早く諦めてよ!!!
昔の僕だったら簡単に目の前の状況を諦めるだろうか。大切な人を残して、かほを救えずじまいで…。
僕の本心は……一体何処にあるんだ!?
――自分の心に素直に生きろ。それが絶対的な「正解」だ
素直な自分って何なんだ?「正解」は何なんだ!?
教えてくれ!!
僕は僕を知りたいんだ!!!
『まだ気づかないのか、お前は』
あぁ、気づいてない。これが僕だ…。
『かほや水落が授けてくれた針をどうして、信じないんだ。お前の仕事はお前のレコードを回すだけだろうが』
針?レコード?
『お前の仲間が助けてほしいって泣いてるぞ。何だお前ビビってんのか? 諦め嫌いのお前はどこにいっちまったんだよ!』
ビビってなんか…。
『進めよ! かつてのお前は宣言したんだよ! 世界に音楽を取り戻すとな!! 記憶を盗られたんだが何だかは知らねぇが、お前という人間は、そんな奴だ!!』
僕が音楽を…でも…。
『つべこべ言うな! 世界に引導を渡すのは、何処の誰でもねぇ――』
世界に…引導を?
『お前だよ!!!』
▽▽▽
眠っていた何かがかき乱されたのは、その瞬間であった。
必死に押し固めていたものが瓦解する。
もう、我慢できない。
目にする世界がどんなに絶望的であっても、自分の力で打開してやりたい。歪めてやりたい。
「そう…だよな…!」
何処の誰が僕に言ってくれたのかは分からない。だけど、あいつの言ったことは間違ってなんかいなかった。
「僕は諦めるのが…嫌いだ」
ボロボロに傷ついた身体をきつく押さえつけて、血をゴホッと吐きながら立ち上がる。
理性が訴えかける声だなんてもう知らない。
「僕は、生きるのを諦めない! 僕は、かほを助けるのを諦めない!」
草原に鎮座する鷹に、一歩一歩着実に進み、歩いて行く。
――思い出したよ、本当に大事な想い。
「そして、僕が愛する音楽が存在しない世界なんて……そんなもの絶対に認めない!!!」
心の中で強く響いている。心音に似た骨肉のリズム、僕を後押しする勇気のグルーブ、そして、巡り巡って鳴り止まない熱情のメロディ。
響揮の赤く輝いた瞳はただまっすぐに鷹を見つめていた。
彼が肩にかけているのは、赤色のストラトキャスター。ボロボロの制服は、気がつくとラフな格好になっていて、整った黒髪は破天荒なボサボサの髪型に変わっていた。
ギターネックを左手で強く握りしめて、ピックを持つ右手で鷹に指さして声高々に宣言する。
「こっからは俺の出番だ」
音楽も記憶も感情も。
――奪えるもんなら、
「奪ってみやがれ」




