10話 男女の機微①
広々としたベッドから身を起こし、東雲白檀は窓の外を眺めていた。
重厚感と優雅さが漂うベッドだが、医療用としても優れているそれは、背と脚が連動し電動でリクライニングするようになっている。そしてベッド脇には在宅医療の為の医療機器が配置されている。
窓から見えるのは、色とりどりの花々が目に痛いくらいの彩度で咲き誇っている庭園。活き活きとした生命力に溢れるそれを、白檀はどこか愛おし気に見つめている。
「体調は如何ですか」
庭を眺める白檀に声を掛けたのは東雲松之だった。
白檀は、松之に振り向くと病人とは思えぬほど張りのある声で笑った。
「ああ!最高に調子が良いぞ!やはり若者を見ていると、こちらまで若返るようだ」
「では、話を進めるということでよろしいですか」
「うむ、順番に呼ぶように」
白檀の言葉に松之は低頭でもって応える。
そんな松之を白檀は嗤う。
「松之よ、不満か?」
顔を上げた松之は白檀に指摘される程に、その心持ちが眉間の皺として如実に表れていた。
「不満?不満など……私はただ東雲松之の名に恥じぬよう振舞うだけです」
松之は踵を返し、足早に退室した。
白檀は再び窓の外を見る。雲一つない青空に、照り付ける太陽。
さあ、若人たちよ命を燃やせ。その輝きをこの老いぼれに見せておくれ。
東雲白檀は人知れず笑う。庭を照らす日光に劣らぬ強さを湛えた瞳を爛爛とぎらつかせながら。
ああしかし、負けはしない。同じ舞台に立つのだから老いぼれといえども負けはせぬ。
この東雲白檀、この大舞台を演じきってみせよう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
庭作業に区切りをつけ、片付けを終えた柊弥は内勤に戻るため本館へ向かっていた。
しかし、その足取りは重い。先程の蓮の態度がずっと気がかりで仕方がない。
どうして、堂本は良くて自分は拒否されたのだろう。
どうして、手を伸ばされたのが自分じゃなく堂本だったのだろう。
そんなことを考えていたからか、悩みの一端である堂本が別館の方向に歩いていくのを遠くに見つけた。柊弥は少しの逡巡の後、小走りで堂本を追いかけた。
「堂本さん!」
「ん?ああ、浅見か。お疲れ」
「お疲れ様です。取り敢えず頼まれた箇所だけは肥料撒いておきました。あとの肥料は全部納屋に運び入れておきましたけど」
「そうか、すまなかったな。そこまでやらせるつもりはなかったんだが、助かるよ。今、本館の人手は間に合っているようだから、指示があるまで暫く休んでいいぞ」
「あの、蓮の様子は……」
「ああ、本当にただの貧血のようだ。心配いらない」
それを聞いて柊弥はひとまずほっと胸をなでおろしたが、わだかまりは未だ残ったままだ。
ふと、堂本がじっと柊弥を意味ありげに見つめているのに気が付いた。それは見つめているというよりも観察しているようだった。
「浅見、蓮の様子を見て来てくれないか?」
「え?」
「いや、無理にとは言わない。疲れているだろう、自らの仕事に加え後輩を指導するのは楽じゃない。休める時に休むのも仕事の内だ」
すると、腕輪から小さく電子音がした。柊弥は腕輪に記されたメッセージを見る。
『堂本の頼みを聞きますか? はいorいいえ』
突然の選択肢に柊弥は驚きつつも考えを巡らせる。
この頼みを聞くか否かで何か特別なことが起こるかもしれない。
もしくは、何かの分岐点か。
「そういえば蘭子様がクッキーを焼いたから皆に振舞うとおっしゃっていた。娯楽室で茶会をするからと、蓮とお前にも声をかけるつもりのご様子だったが」
どちらをとっても何かしらイベントが起こりそうだ。そこで考える。もしも堂本を見つけることなく、追いかけもせず声を掛けていなかったら。
そのまま本館に行き、そこで蘭子や他のPCに出くわして蘭子お手製のクッキーを皆で食べることになる。この選択肢は生まれない。
よりレアリティの高い選択肢は――。
「俺、蓮の様子見てきますよ」
柊弥は堂本にそう答えた。腕輪がまた小さく鳴って選択肢と文面が消える。
「そうか、すまないな。蓮は別館一階、西側の突き当りの部屋にいる。通常お前たちは立ち入り禁止で、限られたスタッフしか入室できないのだが……気にせず入りなさい」
限られたスタッフ。それは運営の……?
「それからこれを蓮に渡してくれ」
堂本は柊弥に小さな紙袋を手渡した。
「頼んだぞ」
中身が何かを一言も言わず堂本は立ち去った。
紙袋の中身は気になるが、ひとまず蓮のもとへ行くことにする。
通常運営の人間しか立ち入れない部屋に入れるということはやはりレアケースなのだろう。やはりこちらの選択肢を選んで正解だった。
いや、そんなのは詭弁だ。
蓮の様子が気になったから、ただそれだけの理由だ。
別館は本館とは違い、シンプルかつ実用的だ。というより見るからに施設といった外見、内装をしている。療養所を改築したらしいが、それは舞台設定というよりも事実なのだろう。
そして広い院内…否、館内はところどころ鍵が掛かっていたり区域ごと立ち入り禁止になっていたりする。それは本館も同様であるが、別館は特に立ち入れる場所が限られている。それは運営スタッフの実務の為の領域なのか、それとももっと別の理由か。
考えているうちに一階西側の突き当り、堂本が言っていた部屋の前まで来た。
扉には確かに「STAFF ONLY・立ち入り禁止」と書かれている。
何故、蓮が運営の人間しか入れない部屋にいるのか。
それを確かめるためにも扉を開けて室内に入る。
「……本当に病院だな、これは」
その部屋は病院の診察室、もしくは学校の保健室のようだった。
簡素なデスクに、薬品棚。そしてカーテンの引かれたベッド。
柊弥は静かにベッドに近づくと、ゆっくりとカーテンを開けた。
「……蓮」
柊弥は呼びかけとも呟きともしれない小さな声を漏らした。
蓮は、ベッドに静かに横たわっていた。
くりくりとした猫目は閉じられ、規則正しく静かに寝息を立てている。
柊弥は持っていた紙袋をデスクの上に置くと、キャスターの付いた椅子をベッド脇に移動させて座った。
じっと蓮の横顔を見つめる。
「俺は……そんなに頼りないかな」
“私ってそんなに頼りないですか?”
蓮は柊弥にそう言った。
そうじゃない、頼りないとは思わない、そうではなくて。
「もっと頼れよ俺を……だって、お前は――……」
お前は、女なんだから。
その言葉は口を動かしただけで、声にはならなかった。
蓮を起こさないように触れるか触れないかの感覚で頭を撫でる。
そうして、そのまま蓮の髪に指を絡めた。
普段一つに括られている蓮の髪は、横になるのに不都合だったのか今は解かれている。
柔らかい、艶やかな黒髪。まだ少し濡れているようだ。
「ボタン留めろって言ったのにな……」
蓮のシャツはあの時のまま第二ボタンが外れている。
こちら側に向いて横たわっている為、白い胸元が覗いている。
なだらかな曲線、シミひとつない瑞々しい肌。柊弥は意識してそこから目線を逸らした。
蓮の体にはタオルケットが掛けられているが腰回りにまとまって掛かっている為、あまり意味をなさないように見える。濡れた服のまま、冷房が効きすぎなくらいのこの部屋で寝ていてはかえって体調を崩すのではないか。柊弥はタオルケットを引き上げるようにして蓮に掛け直した。
すると、蓮が苦しそうに呻いた。横たわったまま、腹を抱えるようにして丸くなる。
「蓮?どうした、辛いのか?」
柊弥は気遣うように声を掛けた。その声に反応してか蓮が薄っすらと目を開ける。
「んぅ……あ、れ?」
蓮が目を覚まし柊弥の姿を視界に入れた。
途端――
「な、何で貴方がここにいるんですか!?」
蓮は驚愕の表情を浮かべ、半ば悲鳴に近い声を上げた。




