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9話 私は執事

今回少しだけ長めです。

 真夏の日差しは殺人的な強さで容赦なく照り付けてくる。

 そんなうだるような暑さの中、私は青々と生い茂る庭に水を撒いていた。

 自分の後頭部に手を当ててみると驚くほど熱くて、私は帽子でも借りてくればよかったと後悔した。

 朝から調子が悪い。理由はわかっている。さらにこの炎天下で不快感が増すばかりだ。

 そもそも執事の服は堅苦しくて外のこういった作業には向いていない。あまりに暑苦しくて上着はおろかベストもネクタイも外してしまった。本館の室内勤務ではないからこのくらいは許されるだろう。働かせるのは結構だが、どうせなら動きやすく通気性のいい作業着でも用意してほしいものだ。私は心の中で運営に悪態を吐きながら庭の草木に水を撒く。

 すると、自分の頭上に影が落ちた。


「わぁっ!」


 頭に衝撃を受けて私は思わず声を上げた。

 振り向くと私の上司、浅見柊弥が立っていた。


「こんな炎天下でそのままじゃ倒れるぞ」


 自分の頭を再度確認すると、麦わら帽子が被せられていた。


「浅見さん……ありがとうございます、助かります」


 柊弥はタオルを二枚持っていて一枚を私に手渡し、もう一枚を自分の頭に被せ頭の後ろで両端を縛った。

 私は渡されたタオルを握りしめる。タオルは水に濡らしてあって、冷たく心地がよかった。


「首にでも巻いときな」


 頭にタオルを巻いて腕まくりをする柊弥を何となしに見つめる。


「……何?」

「いや、やっぱりちゃんとしてるんだなって」


 社会人経験の差とでもいうべきか。役としては自分が新米執事で柊弥がベテラン執事であっても、PL自身としてはお互いに数日前に執事なったばかりの筈なのだ。しかし自分と違って柊弥は妙に様になっている。慣れない仕事の筈なのに大抵のことはそつなくこなすし、ゲーム初日から鑑みても想定外の出来事もその場で上手く乗り切ってしまう。有体に言えば、要領がいいのだ。

 私は役割を果たすだけでも結構いっぱいいっぱいなのに。


「浅見さんは何でもそつなくこなせて凄いですね」

「何だよ急に……」

「浅見さんはしっかりしたオトナな人だなって。まともな、ちゃんとした社会人なんだなって……思っただけですよ」


 ホント、何でこの人こんなゲームに参加してるんだ。

 ここにいるのが不思議なくらいまっとうな人間に思える。

 ああ暑い。なんだか苛々してきた。未だに掴めない御厨蓮という男性PC像、進まない謎解き。真夏の炎天下。ままならないこの身体。

 全てが煩わしく思えてくる。


「お前、どこか調子悪いのか?」

「……別にそんなことはないですけど」

「ならいいけど」


 柊弥の勘の鋭さと洞察力の高さが、今は返って忌々しいほどだ。

 私は話題を変えることにする。


「結局、葵ちゃんはあの部屋に閉じ込められたままなんですよね?」


 私は横で肥料を撒く柊弥に尋ねた。


「多分な。一夜明けて葵はどうしているのか堂本さんに聞いたけど、昨日と同じで謹慎中だの一点張り」

「はあ、お手上げですね」

「そういえば……あの後、藤太さんに会って……何かちょっと不信に思われたかも」

「藤太さんに?またどうして…」

「俺が部屋の前で葵を呼びながら扉を煩く叩いてたから……そこへ藤太さんが通りがかってさ」


 本当に、何なのだこの人は。

 何でもそつなくこなす癖に、どこか緊張感に欠けている。人の心配はするくせにいざ自分のこととなると途端に適当になる。


「不用心。人の心配ばっかりしてるから自分のことが疎かになるんです」

「いやでも、俺も藤太さんも葵を心配してるって認識は一致してたし、自分の部下である葵を心配してあの場にいるのは俺の立場上不自然じゃないだろ」

「でもそのせいで堂本さんに見つかってあの部屋に近づけなくなったんでしょう。今朝、気になってあの部屋に行ったら扉の前にあの強面のNPCが二人も立ってて、しっかり見張ってましたよ。はー、あれはそういう経緯だったんですね」

「俺のせいか?それ」

「それ以外にあります?昨夜まではノーガードだったんですから。運営側に警戒されたんでしょ」

「お前……どうしてそんなに苛々してるんだよ。何かあったのか?」

「何もないです」


 私はキッパリそう言い切ると、水を噴射していたシャワーノズルを調節して水を止める。

 水を撒き終わった区画は雑草がかなり目立っていた。水を撒いて土壌を緩くしてからでないと、この日照りで乾いて固まった土では広く根を張った雑草を引き抜くのもままならない。

 私は下がってきたシャツの袖をまくり上げ直して雑草の群れを眺めた。


「使ったものは片付けてから次の作業に入れよ。まだ使うなら別だけど」


 柊弥は私が乱雑に放置した園芸用のシャワーホースを指さして注意した。


「すみません、片付けます」

「あと、これ」


 柊弥がズボンのポケットからそれを取り出して私の前に差し出す。


「草むしりするならちゃんと軍手はめてやりな」

「……草むしるだけですし、そこまでしなくても素手で……」

「手が土やら草の汁で汚れるだろ。特に草の汁はなかなか手を洗っても落ちにくいんだ。それに草の葉は結構手を切りやすいし、毒虫に刺されたりしたらどうする」

「…………わかりました、ありがとうございます」

「それからお前、ちゃんと日焼け止め塗ったか?」

「はぁあ?」


 私は思わず渡された軍手を取り落としそうになった。

 あんたは私の母親か何かか!喉元まで出かかった言葉を辛うじて飲み込む。


「だってこんな日差しの中で仕事してたら日に焼けるだろ。そんな腕まくって肌出して、今の若いうちからちゃんとケアしておかないと数年後にシミになるかもしれないぞ」

「……それ誰から聞いたんですか?」

「っ!……誰だっていいじゃないか、別に……」


 どうせここに来る前に付き合ってた女にでも聞いたのだろう。わかりやすい人だ。


「浅見さん、女みたいなこと言わないでくださいよ」


 私は柊弥に釘を刺す意味で敢えて少し小馬鹿にしたように笑って言った。

 案の定、柊弥はムッとしたように眉間にしわを寄せて私を見返した。

 しかめ面をしたいのはこっちの方だ。ただでさえ自分の中で男性PC像が定まっていないのに露骨に女性扱いされても困る。昨日の葵に対してもそうだ。紳士的なのは結構だがそれが裏目に出ることだってある。

 私は踵を返してシャワーホースを掴むと、ホースを繋いである庭用の水道に引きずっていく。そして何故か私の後ろを柊弥がついてくる。

 

「お前やっぱりちょっと変だぞ。また何か考え事でもしてるんじゃないのか?」

「何もありませんって、暑くてダレ気味なだけです」

「いや、嘘だな。お前がそういう顔してる時は何か悩んでる時だ」

「……どんな顔だよ」

「無表情の鉄面皮。おまけに今は目が据わってる。いいから話してみろって、何かあったんだろ?」


 勘弁してよ。本当に何でもないんだってば。

 私は絡んだホースを引っ張ってまとめ直す。絡まったホースはなかなか解けない。

 ああ苛々する。暑い。

 首筋を伝って胸元を通る汗が不快でたまらない。

 シャツのボタンを一つ外して胸元を摘まんでパタパタと風を送る。

 すると柊弥がわざとらしく咳払いをした。


「蓮、シャツのボタンはせめて第二ボタンまではちゃんと留めなさい」

「……さっきから何なんですか」


 私はとうとう我慢できずに反抗してしまう。


「貴方は私の保護者か何かですか?上司としての注意や助言は当然聞きますよ。けどちょっとこれは度が過ぎてやしませんか?何ですか、私ってそんなに頼りないですか?そりゃ、貴方からしたら何から何まで半人前ですけどね」


 相棒だバディだと言っておきながら、何も信用されていないのではないかと勘繰ってしまう。

 私はつい苛立ちに任せて蛇口に繋がっているホースの元栓を捥ぎ取るようにして取り外した。

 その途端。


「わっ!バカ何やってんだ」


 水道の蛇口を閉めないままホースを外そうとした私の顔に、勢いよく水が噴射した。

 慌てて横にいた柊弥が蛇口を閉める。

 ここに来てからよく水を被るものだ。

 ああでも、ちょっと頭が冷えたかもしれない。


「何ぼーっとしてるんだよ、ほらちゃんとタオルで拭けって!……ホントにお前大丈夫か?」


 柊弥が私の首にかかったタオルで顔や服にかかった水を拭き取る。

 世話焼きだなあ、と思いつつ何だかもうどうでもよくなってしまった。酷く体が怠い。

 すると柊弥が何かに気付いたように目を見開いて、それから慌てて目を逸らす。


「取り敢えず、ここは片付けておいてやるから着替えてきたらどうだ?」

「えぇ……?この間みたいに頭からつま先まで水被ったわけじゃないし……このくらいすぐ乾きますよ、この炎天下ならあっという間に」

「じゃあ、せめてベストを着ろ」

「嫌ですよ。この暑いのに。今せっかくちょっとだけ涼しくなったっていうのに」


 今日の私がおかしいって言うけど、十分貴方もおかしいよ。ほっといてくれればいいのに。


「いいから着替えるかベスト着るかしろって」

「嫌です」

「蓮、上司からの命令だ」

「そんな意味の分からない命令聞けませぇん」


 倦怠感が物凄い。身体全体に感じる不快感は募るばかりだ。そして締め付けられるような鈍痛は先程から一向に治まらない。

 心底面倒な気分を隠さずに間延びした返事をすると、柊弥は逸らしていた顔を正面に戻し、盛大に眉間にしわを寄せて目を細め私に向き直った。


「ああそうかよ。じゃあ言うけどな…………お前のシャツ、水と汗でめちゃめちゃ透けてんだよ」


 その言葉で、私は今、自分がどんな格好をしているのか気付かされた。

 羞恥に耐えられなくなって、反射的に水道脇の植木に掛けておいたベストを引っ手繰るようにして手に取る。

 そこで、私は急に浮遊感に襲われた。

 それは無論、気持ちのいいものではなく全身から血の気が失せるような貧血特有の不快感を伴うものだ。

 ああ倒れる、そう思った時には背中を支えられて抱き留められていた。


「っと、危な……おい、蓮!お前……顔が真っ青だ、やっぱり体調悪かったんじゃないか!」

「いや……大丈夫です。ちょっと立ち眩みというか……軽い貧血ですから……」


 私が自力で立ち上がろうとすると、柊弥は支えていた腕をそのままに、もう片方の手を膝裏に回して私を抱き上げた。


「お前の大丈夫はもう聞かない。別館に戻るぞ。取り敢えず休憩室でいいか?それともお前の部屋にするか?」

「あの、降ろしてください……ホントに、頼むから」


 私の言葉に聞く耳を持たず、彼は私を横抱きにしたまま庭を横切っていく。

 こんなところ他の誰かに見られたら何と言われるだろう。

 そう思った矢先、庭の温室の前に堂本がいるのが目に入った。そして堂本も私たちに気が付いたようで、手にしていた剪定鋏を置いてこちらに向かってくる。


「どうしたんだお前たち」

「堂本さん、蓮が体調悪いみたいなので今日の業務は休ませます」

「浅見さん!大丈夫ですってば!ただの貧血です、もう何ともないから…降ろしてくださいっ……堂本さんっ…本当に何でもないんです」


 柊弥が聞く耳を持たないので堂本に助けを求める。


「……蓮、本当に大丈夫なのか?」

「……はい」


 そう答えたものの、身体に力か入らない。頭が重くて出来ればこのまま意識を飛ばしてしまいたいくらいだ。

 しかし、それだけはいけない。

 お願いです、堂本さん、どうにか察してください、この状況はまずいんです。

 意思を言葉に出来ない変わりに私は堂本に手を伸ばした。


「浅見、蓮を降ろしなさい」

「は?いや、でも」

「私が別館に連れていこう。作業途中で慌てて来たのだろう、キリのいいところで終わらせて片付け終わったらお前も内勤に戻れ。この炎天下で長時間の業務はよくない」


 堂本が私を抱える柊弥の目の前でしゃがみ込む。


「蓮、おぶさりなさい。遠慮はいらない」

 

 堂本の言う通り、私は柊弥に降ろしてもらうと、そのまま今度は堂本の背中に遠慮なくしがみついた。

 柊弥はどこか納得いかないような顔でこちらを見ている。私は柊弥の視線から逃げるように反対側を向くと、堂本の背中に横顔を押し付けた。


「浅見、お前も無理をするなよ。お前たちは本当によくやってくれているが、やるべきことが他にもあるのだから」

 

 堂本が私をおぶったまま歩き出す。

 しばらく歩いたところで堂本がこちらを窺うように顔を傾けるのが背中越しにわかった。


「別館の医務室に連れて行く。そこは我々スタッフしか入らない。だから安心して休め」

「……ありがとうございます」

「体調が優れないことはマネージャーから聞いている。後で、メイドを誰か使いにやるから何か必要なものがあれば何でも言うといい」

「……おじいちゃん」

「……なんだって?」

「すみません。なんか……思い出しちゃって……わたし……おじいちゃん子だったんです」

「そうか、私はお前の祖父に似ているか」

「……全然……似てない……」

「そうか」


 堂本の背中越しに彼が笑っているのが伝わってくる。

 私は目を開けているのも億劫になってゆっくりと目を閉じた。


この辺りから恋愛描写が増えますがお付き合いください。

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