1話 信頼の選択
浅見柊弥はとても疲れていた。
午後の日差しが差し込む休憩室で、一人テーブルに伏して十数分微動だにしないくらいには疲労を感じていた。
眠い。怠い。
寝不足が祟って今日一日気分がすぐれないまま使用人業務をこなしていた。朝から堂本に連れられて館中を歩き回り、あっという間に午後になってしまった。PC浅見柊弥は東雲家の執事としては教育係も任せられる中堅の設定である。その設定に近づける為、少しでも早くこの館のことを把握する為にも必要なことだとはわかっているのだが、まあ大変なのである。
「結構しっかり仕事させられてる……これ普通に転職したのと変わらないんじゃないか」
「そうですね、給料も出てるみたいですし」
その声に、柊弥は突っ伏した状態から勢いよく顔を上げた。その勢いで、テーブルが音を立てて揺れ、中央に置いてあった花の活けられた花瓶が倒れそうになる。慌てて花瓶を支える。
御厨蓮が、少し驚いた様子でこちらを見ている。
「お疲れ様です」
「あ、うん。お疲れ」
蓮は軽く挨拶を交わすと直ぐに目線を逸らし、シンク横の戸棚を開ける。
「紅茶、飲みますか?それともコーヒーの方がいいですか?」
「えっ……あー、俺はどっちでも。蓮と同じのでいいよ」
「じゃあ紅茶で」
蓮は戸棚から紅茶缶を取り出すと、今度は湯を沸かし始める。
黙って紅茶を用意する蓮の後姿を、柊弥は何とも落ち着かない心持ちで盗み見る。
昨夜、あの出来事からまともに話していない。
“最上葵は浅見柊弥に殺される”
あのメッセージカードを発見した後、直ぐにお互いの部屋に戻った。柊弥は訳がわからず、とにかくマネージャーに報告しようと思い、そのメッセージカードを持ち去った。
その際、蓮とは何と言って別れたのだったか。
メッセージの不気味さから、一刻も早くあの空き部屋から離れたかった。
柊弥は蓮とそれについてろくに意見を交わすこと無く、一方的に自室に逃げ帰ったのだった。
正直、蓮がカードを置いたのではないかと疑った。
しかし、直ぐにそう考えたことを後悔する羽目になる。
部屋に戻った後、直ぐにサエキと連絡をとった。サエキに報告すると「成程な」と一言返された。
「成程な、じゃなくて助言を下さい!このメッセージに何の意味がとか、誰がとか、何かあるでしょう!」
「それを考えるのは俺じゃない」
サエキはいつになく、冷たく突き放すように言った。
「マネージャーはあくまでもPLが円滑にゲームを進められるようサポートするのが仕事だ。俺達はシナリオ外の人間、運営側の人間だってこと忘れてるだろ」
画面越しのサエキが、厳しい表情で柊弥を見ている。
「助言はする。推理も聞こう。が、間違えるな。このゲームはお前が考え、お前の意思で、お前自身が行動するんだ。いいな、浅見柊弥」
そしていつものように、一方的に通信を切られたのだった。
柊弥は、急に未開の地に一人放り出された気分になった。
そして、蓮と謎のメッセージについて語らないまま別れたことを後悔した。よくよく考えれば、メッセージの内容からして疑われるのは自分の方ではないか。密告文のようなそれは、柊弥が葵を殺そうとしていると警告しているようにもとれる。自分が蓮の立場なら、そう読み解くだろう。
あの場で何の弁明もせず、逃げるようにして去ってしまった自分を見て、蓮はどう思っただろう。
不信に思ったに違いない。
その証拠に今朝から蓮が昨日に比べどこかよそよそしい。本日、朝から今に至るまで挨拶以外まともに会話をしていない。目が合わない、むしろさりげなく逸らされる。寝不足よりも、そちらの方に参っている。
謎のメッセージについて誰にも話せない憤り。疑われているかもしれない不安。これからの自分の行動。昨夜からずっと悩まされ、精神的に疲弊してしまった。
先程からずっと黙ったまま、湯が沸くのを待っている蓮。
相手が話しかけてこない以上、こちらから話しかけるしかない。
「蓮……あのさ、ちょっと」
「何ですか?」
蓮はティーカップを湯で暖めながら、柊弥には振り向かずに返事をした。
「その……給料支払われてるって何のこと?」
柊弥は、安パイな会話に逃げた自分を心底殴りたいと思った。
「私たちが働いている間、ポイントが支払われているみたいですよ。時給か日給かわかりませんけど。一応タダ働きではないみたいですね」
「へえ、まあ他のPCは悠々自適に休暇を楽しんでるのに俺たちだけ労働してるんじゃ、割に合わないもんな」
会話が終わる。再び沈黙が流れる。
本当に話したいことはもっと他にあるのに。
昨日あれだけ饒舌に推理を聞かせてきた蓮が、昨夜の出来事やメッセージカードの謎に触れてこないのは流石に違和感がある。
やはり、疑われているのだろうか。あのメッセージの内容で。
もしくはあのクローゼットの中で、自分は蓮に何か警戒されるようなことをしただろうか。
頭を撫でたり、背中を撫でたり。抱きしめたような気もする。
セクハラ、猥褻、痴漢。
複数の単語が思い浮かんで青ざめる。
柊弥が頭を抱えそうになっていると、蓮が淹れたての紅茶を柊弥の目の前に置いた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
蓮は自分の分の紅茶を柊弥の対面に置いて椅子を引いた。
しかし、なかなか座ろうとしない。
「あの……昨夜のことですけど」
蓮のその言葉に、柊弥は何を言われるのかと身構えた。
しかし、次の瞬間、蓮は柊弥に深々と頭を下げた。
「すみませんでした」
突然の謝罪に柊弥は口を開けたまま蓮を呆然と見つめた。
「え……何が……何のこと?」
「私の勝手な行動に貴方を巻き込んでしまった」
そう言われて柊弥は考えを巡らす。どうやら蓮の中では、あのクローゼットに隠れた一件は自分が柊弥を巻き込んだと考えているらしい。
「それは別に、蓮が謝ることじゃ……むしろ俺は助けられたんだよ」
「私は貴方の制止も聞かず強引に……自分のダイスロールに貴方まで巻き添えにしました」
「と、取り敢えず顔あげて!座って、ほら!紅茶でも飲んで」
まさか謝罪されるとは思いもせず、柊弥は動揺を隠せない。つい、蓮が淹れた紅茶を蓮自身に勧めるという間抜けな行動をとってしまった。
蓮が随分と神妙な面持ちでテーブルに着く。柊弥には何をそこまで気に病むことがあるのかわからない。
「蓮が俺に謝ることなんて何もないから。助けてくれて、ありがとうな」
「あれが失敗していたら貴方もきっとその代償を支払うことになっていたでしょう。浅見さん、私は貴方と協力関係でありたいと思っています。出来ることなら敵対したくもありません。ですが無理に共闘する必要もありません。所詮個人プレイですから」
「……蓮、何が言いたい?」
「ですから……浅見さんは無理に私と組まなくても……別に……」
蓮の言葉は昨日のような明朗なものとは違い、歯切れが悪くどこか言い訳めいていた。
「個人プレイなんだから、手を組むとしたら互いに利用価値がないと意味が無いじゃないですか……利用価値がないと共闘する理由にならない」
また、理由付けだ。
柊弥は昨日ここでした会話を思い出す。あの時も蓮は、柊弥に手を組むことを促しながらも互いに協力する為の理由に最後まで拘っていた。
利用価値と言う割に謝らなくてもいいようなことに頭下げて、気に病まなくてもいいことに対してそんな顔をする。人を利用しようとするならもっと上手くやればいいのに。
柊弥は蓮の淹れた紅茶をゆっくりと味わう。豊かな香りと風味が口の中に広まり、寝不足と疲労に苛まれていた体に染み渡る。一息ついた柊弥は蓮に告げる。
「共同戦線張る理由は昨日話した通り。最終的には勝つのは一人かもしれないけど……それでも、俺はお前と組むのが得策だと思ってる」
「……そうですか」
「はっきり言っとくけど、昨日のことも踏まえて俺はある程度お前を信頼してるし、組んで得だと思ってる。別に信じてくれとは言わないけど、蓮は蓮の考えで俺を利用したらいいよ。その上で提案なんだけど……」
これは昨日の、昼に話したことの延長だ。だからこそはっきりさせておこうと柊弥は思った。
「俺さ、バディものの映画とかドラマって結構好きでさ。男同士の友情とか相棒との信頼とか、何かいいよな。ああいうの」
柊弥が一見脈絡もない話を振ってきたので、蓮はどこか困惑したような表情を浮かべている。柊弥の言葉の意図を図りかねているようだった。
柊弥は構わず続ける。
「だから改めて提案する。俺達もバディ組まないか?相棒ってことで」
「バディ、ですか」
蓮は眉間にしわを寄せて、暫く黙った。柊弥の言葉を自分なりに解釈しようとしているらしい。柊弥は昨日まで、蓮の度々見せる適当さや舞台挨拶での奔放な様子が、素なのか演技なのか分かりかねていた。しかし、どうやら本質はこちらのようだ。
「バディって、刑事ドラマで二人一組で行動するあれですか?」
「そう!それそれ」
「もしくはホームズとワトソンみたいな?」
「あー、まあそうなるかな?」
「成程、わかりました……そういうことなら、自分は浅見さんの助手ってことでいいですか?事件の謎を追う探偵と助手みたいな」
「俺が探偵?探偵は蓮の方だろ」
「いや、浅見さんの方が冷静で探偵向きでしょ?自分は結構短気で短絡的ですから」
蓮は妙に納得した様子で一人頷いている。それは先程までとは違い少し楽しそうだ。
柊弥としては蓮が納得すれば正直何でもよかったので訂正しないでおくことにした。
「はい、じゃあこの話は終わり。本題に入ろうか?助手君」




