15話 暗闇と体温
部屋の外に誰かがいる。
それを知って急に焦り出した蓮は、柊弥を押しのけて部屋の扉に耳を当てた。
「落ち着けって、普通こんな空き部屋に用なんてないだろ。大人しくしていれば何処かに行くさ」
柊弥は蓮を宥めようとした。
しかし、蓮は何を思ったのか左手の腕輪に呼びかける。
「ミズノさん!GM!どちらでもいい、特殊技能を使いますっ……ダイス振ってください、早く!外の人間に見つかる前に」
すぐさま腕輪から軽い電子音が鳴って、今日一日で聞きなれてしまった落ち着いた声が響く。
『GMです。技能をどのように使用するつもりですか?』
「技能を使用する対象を御厨蓮と浅見柊弥とします、だから私と浅見さんを……っ」
『……人そのものを対象とするには技能の解釈を広げ過ぎかと』
「だったら!技能に使用するポイントを上乗せして……五十ポイント突っ込みます!」
「対象一つにつき五十ポイント、計百ポイントで許可します」
「いい!それでもいいから早くっ」
「おい!蓮、俺は別に……」
「っさいな、黙っててよ!」
蓮のその豹変ぶりに柊弥は戸惑いを隠せない。
『では1d6で二人分の判定を行います。偶数で成功、奇数で失敗、確率は二分の一です』
明らかに冷静さを欠いた蓮を止めようと、柊弥は蓮の左手を掴む。しかし、柊弥が止める間もなく蓮の左手の腕輪から電子音が響く。腕輪には「2」と表示されている。どうやら腕輪は表面が液晶画面のようになっていて文字が表示される使用のようだ。
その時、突然扉がガチャリと金属音をたてて引かれた。
思わず飛び上がりそうになる。当然鍵が掛かっているため扉が開くことはない。それでも、何度もドアノブを回し扉を開けようとしている。
まさか本当にこの部屋に来るとは思わなかった。
扉の向こうから声が聞こえる。どうやら部屋の目の前で話しているようだ。
柊弥は再び蓮の左手の腕輪を見た。
“成功:クローゼット”
腕輪にそう示された途端、今度は逆に蓮が柊弥の腕を掴んで強引に引っ張った。
向かう先は部屋の奥、壁面収納型のクローゼット。
蓮はクローゼットを開けると力任せに柊弥をクローゼットに押し込もうとした。
「待て……蓮っ」
当然、柊弥は蓮を押しとどめようとした。しかし。
「ぅぐっ……!」
蓮が全体重をかけ、体当たりするような勢いで自分の体ごと柊弥をその中に押し込んだ。
背中と頭を強かに打ち付けて、その痛みに呻いている間にクローゼットの扉が閉まる。扉が閉まると同時に、何故か鍵のかかる鈍い音がした。
薄暗いクローゼットの中、蓮の腕輪の液晶画面が淡く光っている。
“物音を立てたりクローゼットから出ない限り見つからない。外の人間がクローゼットを開けようとしても鍵がかかっているため開けられることはない”
液晶画面に文字が流れ、暫くして消えると完全にクローゼットの中は闇に包まれた。
「いっ……つ、蓮、お前……むぐっ」
「静かに」
口を強く抑えられて再び後頭部をクローゼットの壁に打ち付ける。
流石に腹が立って何か言い返してやろうと蓮の手を引きはがそうとしたとき、部屋の扉が開く音がした。
「んー?おかしいな、さっき鍵を開けたまま出たはずなのにな?」
男の声がクローゼットの外から聞こえる。聞き覚えのあるバリトンの声。
「でもでもぉ~すごいですぅ!ヘアピンで鍵開けなんてドラマみたい!」
そしてそれに応える女の高い声。つい先ほども聞いた、しかしそれよりも数段媚びた声。
本当にこの部屋に入ってくるとは思いもしなかった。しかも鍵を開けられるとは。
「皆には内緒だよ?でも、ごめんね……ヘアピン駄目にしてしまったね」
「そんなこと!気にしないでください……」
姿を見なくてもわかる。しかし、この二人が何故一緒に、しかもこんな空き部屋にいるのかがわからない。
女は最上葵。
そして、男は東雲侘助。
確か娯楽室で、葵は侘助を支持すると言っていた。しかし、これはあまりにも急接近し過ぎではないだろうか。
すると、混乱する柊弥の胸のあたりから舌打ちが聞こえた。
「……あいつ……わざわざ空き部屋なんかで……男の部屋で……ばいいものを」
蓮が忌々しげに呟いた。その口ぶりから、蓮は葵と侘助がこうして会っていることに驚くどころか、むしろ知っていたようだった。
葵と侘助の会話は尚も続く。
「でも、いいのかい?君みたいな若くて可愛い子がこんなおじさん相手で」
「おじさんだなんて……侘助様はすごく魅力的です……」
その、やけに艶めいた会話に柊弥は嫌な予感がした。
衣服の擦れあう音がする。
「明日も早いんだろう?こんなことをして…悪い子だね」
「意地悪言わないで……さっき途中だったから……だから……お願い」
ちょっと待て。
今、ここで、まさか。
勘弁してくれ。盛るな、萎えろ、今すぐ萎えろ。
柊弥は内心で大いに悪態をついた。
このままでは二人のそれが終わるまでここから出られない。声を立てず、微動だにせず、只々聞きたくもない他人の睦言を聞くことになる。
いっそクローゼットから飛び出してしまおうか、今ならまだ間に合うのではないか。柊弥はクローゼットの扉に手を伸ばす。
「……っくそ」
出来るわけがない。言い訳のしようも、説明のしようもない。
そうこうしているうちに、寝具の軋む音が聞こえだす。
今更後悔してもどうしようもない。とにかく絶対に外の二人に気付かれないよう耐えるしかない。男女の息遣いや囁き合うような声が聞こえても平常心に努めるしかない。
物音を立てないよう静止して、声を漏らさぬよう息を潜める。しかしそうしていると、今度は別のことに意識が集中してしまう。
空のクローゼットの中は人が入れる程の空間がある。だが、当然ながら大人二人が入るには狭すぎる。クローゼットに押し込まれた際に体当たりしてきた蓮を抱きとめた形のまま動けずにいる。この狭い空間で下手に動けば物音を立ててしまう。
それでもこのままの体勢は非常にまずい。
暗く狭い密閉された空間に二人、しかも薄い板を挟んだ直ぐ向こうでは男女の情事が繰り広げられている。最早気まずいという度合いを超えている。
密着しているその体の柔らかさ。その体温。
暗闇の中、視界が見えない分、より鮮明に感じてしまう。
どうにかして体を離せないだろうか。
柊弥は蓮の肩をぎこちなく掴んで引き剥がそうとした。すると、逆に蓮は柊弥により密着するように体を押し付けてくる。
「蓮……ちょっと」
「駄目、このまま……」
その、か細い声は今まで聞いてきた彼女のどの声とも違っていた。おちゃらけた明るい声でも、推理中の凛とした声でもない。
何だろう、これは。
この状況はもしかすると――……俺は今、誘惑されているのでは?
柊弥は思わず生唾を飲み込んだ。
外からは絶えず女の甘ったるい声が聞こえてくる。男女の情事をこんな暗く狭い空間でしかも密着した状態で聞かされている。意識しないわけがない。先程から脇腹辺りに感じる柔らかいものを無視するのにも限界がある。
小柄な矮躯の割にそこそこの大きさのものが押し付けられている。あの蘭子には負けるが、どう見繕っても茜と葵よりは立派なものが。
下世話な考えを巡らせていると、外から一際甲高い声が聞こえて柊弥は我にかえる。
柊弥はうわずりそうになる声を必死に堪えて蓮に呼びかける。
「あの……蓮、君?」
敢えての呼称で男性PCだということを自分にも言い聞かせる。
蓮は柊弥の胸元でくぐもった声で呟く。
「駄目だよ……見つかる……怒られるよ」
それは、ほとんど泣きそうな声だった。
その声を聞いて、柊弥は自分が軽く掴んでいる蓮の両肩が震えていることに気付いた。そしてこれも視界が暗くて気が付かなかったが、どうも蓮は先程からずっと耳を塞いでいるようだった。両手で必死に耳を塞ぎ柊弥の胸に額を押し付けている。
クローゼットの外からは断続的に女の甲高い声が聞こえてくる。それに交じって時折男の息遣いと情事特有の水気を含んだ音が響く。その度に蓮が柊弥の胸に強く額を押し付けてくる。
柊弥は迷った挙句、蓮の頭を軽く撫でた。
「……っ!」
蓮が一瞬体をこわばらせたのが密着しているためはっきりと伝わってきた。そして蓮が顔を上げて柊弥を見上げているのも撫でている手のひらからなんとなく感じ取れる。
柊弥はそのまま蓮の頭を撫で続ける。蓮は暫し柊弥を見上げて固まっているようだったが、そのうち顔を横に向け柊弥の胸に耳を当てる形で落ち着いた。耳を塞いでいた手は柊弥の服を掴んでいる。
なんとなくもう片方の手で蓮の背中を幼い子供をあやすイメージで優しく擦ってみる。強張っていた体が解れていくのが伝わる。いつの間にか蓮の体の震えも治まっていた。
柊弥は暗いクローゼットの中、蓮を抱きしめながら人知れず天を仰いだ。
初日から肩入れしすぎだ。自分はこの娘のことをまだ何一つ知らない。ゲームが始まる以前に出会った、それだけでは彼女を特別視する理由にはならなのに。
それから決して短くない時間、クローゼットの中で息を潜めて外の男女がことを終えるのを待った。
その後、葵と侘助の二人が部屋から出て行くのを扉の開閉音で確認して、部屋から離れたであろう頃合いを見計らってクローゼットの扉を押した。すると軽い解錠音の後、いとも簡単に扉は開かれた。
「はあぁー、きっつ」
クローゼットから出た柊弥は深く長く息を吐いた。
色んな意味で厳しい状況だったと肩を回しながら部屋に目をやると、乱れたベッドが目に入って再び気まずい心持ちになった。
「あー……蓮、君……大丈夫?」
あまりの気まずさに、不自然極まりない呼びかけになってしまう。柊弥は蓮の表情を横目で伺う。
蓮は、心底眠たそうに大きく欠伸をした。
「疲れましたね」
その表情は何事も無かったかのようにあっけらかんとしていた。
「帰りますか」
そう言うと蓮は部屋を出るために扉へ向かう。
その際にベッドを横切ったが、一瞥をくれるだけで何の感慨もなさそうに通り過ぎた。
何とも煮え切らない面持ちで柊弥は頭を掻いた。敢えてそれについて言及しろとは言わないが、その反応はあまりに不自然すぎるだろう。あと、この乱れたベッドはこのままでいいのだろうか。自分達が乱したわけではないからどうということもないが。
初日からままならないことばかりだ。
さっさと部屋に戻って、今日は何も考えずに休もうと心の中で固く誓って蓮の後に続く。
しかし、蓮が扉の前に佇んだまま一向に出て行こうとしない。
「今度は何?また誰かいるのか?」
柊弥が語りかけても俯いて応える気配はない。また、何か考えているのか。それともさっきのことが尾を引いているのか。
柊弥は蓮の顔を見てなんとなくその目線の先を見た。
扉の前に何か落ちている。
それは葉書サイズのメッセージカード。縁取りに金のアラベスク模様が施されている美しいカードだ。
柊弥は蓮と同じようにそのメッセージカードを見つめる。
そこに書かれたメッセージはたった一文で、手に取らなくても直ぐに分かった。
それはとても短く、簡素な一文。
“最上葵は浅見柊弥に殺される”




