10話 気持ちの問題
この館には家人の生活する本館とは別に、住み込みの使用人が居住する別館が存在する。
現在、柊弥達使用人PCの自室はこの別館にある。
柊弥は別館内にある使用人の休憩室にいた。
GMがデモンストレーションと称したあの出来事の後、残された柊弥達を堂本が呼びに来た。
「お前達、昼食がまだだろう。ここはもういいから、使用人の休憩室で食べなさい」
びしょ濡れの蓮のことも、中身をぶちまけられたピッチャーのことも、何も聞かれずに退室を促された。
「しかし、茜様からここの片付けを仰せつかって……」
柊弥は堂本に食い下がった。
しかし堂本は首を振って答える。
「他にも使用人はいる。これはお前たちの仕事ではない。お前たちには他にやることがある」
そう言われて、今に至る。
柊弥は休憩室の小窓から外を眺める。
夏の日差しが照り付ける庭。立派なものだ。手入れは屋敷内で見かける名もない使用人NPCがしているのだろうか。
「ねー、食べないの?」
呼びかける声に、柊弥は目線を外の庭から室内に戻した。
最上葵が簡素なテーブルで昼食を摂っている。
「ていうか何でカレーなの?他の人達はコース料理で、何でカレー?不公平じゃない?」
さっきの食事のことを言っているのだろう。
文句を言いながらもしっかりと食べている。寝坊して朝食を抜いていればそれは腹も減るだろう。
「同じなのはデザートだけ」
葵は冷凍庫を開けながら不満げに呟いた。そして本日のデザートである白桃のシャーベットを手に取り、再びキッチンテーブルに腰掛ける。
休憩室は休憩スペースとキッチンが続き部屋となっており、広く快適だ。勿論、この真夏でも冷房完備の室内は涼しく休憩室としては言うことなしである。
「ねえ、柊弥君!聞いてる?」
「聞いてるよ」
柊弥は窓から離れ、休憩スペースのソファに腰を下ろした。
「お腹すいてないの?なら柊弥君のシャーベット貰うよ?」
「……どうぞ」
いつの間にか呼称が浅見さんから柊弥君に変わっているが、どうでもよかった。上司としては咎めた方がいいのだろうが、今はその気すら起こらない。
そうして柊弥が何をするでもなくソファに座っていると、葵が二人分のデザートを食べ終わり立ち上がった。
「んー、お腹いっぱーい。なんか食べたら眠くなってきちゃった。色々あって疲れたしぃ」
「ああそう。じゃあ、代わりに俺が侘助様にコーヒーお持ちするけど、いいね?」
完全に忘れていたであろう事柄を柊弥が告げると、葵は案の定声を上げた。
「ああ!そうよ、忘れるとこだったわ」
その言葉に柊弥は時計を見て葵に告げる。
「ちょっと早いけど、用意してたらいい時間になるだろ。あっちに堂本さんいると思うからちゃんと言うこと聞いて――」
「そうよね!あたし本館に行ってくる!……っと、その前にキッチリ歯磨きして、お化粧直して……」
「もう、いいから。行くなら遅くならないようにな」
「なんか柊弥君拗ねてる?大丈夫、柊弥君も十分カッコいいよ?あたし柊弥君のことも好きだよ?」
ダイスで嵌めようとした相手によく言えたものだ。
柊弥が食堂でのことを思い出して苛々していると、休憩室の扉を叩く音がした。
「お疲れ様でーす」
蓮が間延びした挨拶と共に休憩室に入ってきた。
「……遅かったな」
「いやあ、替えの服がですね、その……用意してもらうのに時間かかっちゃって」
あの後、蓮は柊弥たちと別れて濡れた服を着替えに部屋に戻った。
よく見ると、まだ髪が少し濡れている。
「そういえば葵ちゃん、侘助様にコーヒー持ってかなくていいの?堂本さんがアップルパイ焼いたから、三時になったらコーヒーと一緒に持って行くって言ってたよ」
「もう!わかってるもん、今行こうとしてたのに!」
「ごめんごめん、堂本さん本館のキッチンにいるから」
忘れていたことを完全に棚上げしている。
葵は頬を膨らませて不機嫌そうにしたが、不意に申し訳なさそうな顔で蓮の顔色を窺うそぶりを見せる。
「蓮君……さっきね、その……ごめんね?あたし混乱しちゃって、どうしたらいいかわからなくってそれでっ」
「うん、わかってる。ちゃんとわかってるから気にしないで?」
「ありがとう、蓮君!……大好きっ」
葵が蓮に抱き付いて感極まったように言った。
「じゃあ、あたし行くね!」
そう言って葵は上機嫌で休憩室から出て行った。
「……さてと、お昼食べようかな」
「“こんなことで貸し作ったとか思わないでよね”か……女は怖いな」
柊弥の言葉に蓮が驚いた顔で振り向いた。
「……わぁ、よくその距離で聞こえましたね、地獄耳~」
蓮に抱き付いた葵は、蓮の耳元に唇を寄せ、たった今柊弥が口にした言葉を呟いた。
相変わらず軽い調子の蓮に対し、柊弥は真面目な顔で蓮を見つめた。
蓮はさりげない素振りで柊弥から目を逸らし、テーブルに残された葵の食べ終えた食器をキッチンのシンクに片づける。
「あれ?浅見さんはお昼ご飯食べなかったんですか?食欲ないんですか?デザートも葵ちゃんにあげちゃって、ダイエットですか?」
蓮に指摘されて、柊弥はなんとなくばつが悪くなって眉間にしわを寄せる。
あの女、自分の食べた食器すら洗えないのか。大体カレーは直ぐ洗わないとこびりつくだろうが。
柊弥は心の中で葵を詰った。
蓮は食器を一度水に浸すと、コンロに乗っている鍋の蓋を開けた。
「あっ、これは……夏野菜カレーだ!この香りと色はトマトベースかな?美味しそう」
「なあ、それ演技?」
柊弥はソファに座ったまま蓮に言った。
蓮は虚を突かれたといった様子で目を瞬かせている。
それが今の柊弥には馬鹿にされているように思えて、蓮から顔を背けて奥歯を噛み締めた。
「俺、TRPG向いてないわ。そもそもこれのどこがTRPGだよ。適当に人集めて人間観察してるだけだろ。適当に条件つけて、ゲームじゃなくてお遊戯会だ。てかテーブル要素どこ行ったんだよ」
「向いてると思うけどなあ、執事」
「お前、マジで馬鹿にしてんのか」
「そりゃ、演技するでしょ。それが求められてるんだから」
蓮がさも当然のように言ってのける。
ああ、本当に茶番だ。
「日常で役割演技しない人間なんています?TPOに応じて対応変えるなんて社会人なら当たり前でしょ?浅見さん絶対得意だと思ったんだけどな」
「そういうレベルかこれ」
「演技=嘘とは限らないでしょ?」
蓮は更に続ける。
「そこに憤っているんでしょう」
言われて初めて思い当たる。
そうか。この舞台も人間も嘘で紛い物。自分は嘘を吐かれ裏切られ続けているように感じていたのだ。
そして自分も紛い物。
柊弥はソファに体を沈ませ弛緩した。
頭を背もたれに預け天井を見上げる。
結局、逃げてきても居場所など無いのだ。
「……なんだよ?」
不意に上を向いていた柊弥の顔に影が落ちた。
蓮が柊弥の顔を上から覗き込んでいた。
可愛い顔をして、本当は何を考えているのだろう。
改めて見つめなくても、初めて会った時から整った容姿だとは思っていた。正直、好みではある。
柊弥は、至近距離から覗き込む蓮の唇を何となしに見つめる。
そのままキスでもしてくれれば言うことはないのに。
ふいに、視界が遮られた。
「……ぅああぁっっつぅぅ!?んだこれ!?」
顔を襲ったその衝撃に柊弥は奇声を上げた。
「え!うそ、そんなに熱かったですか?保温機から出したばかりだけど、触った感じそんなにだったけどなぁ」
柊弥は顔を覆っていたそれを確認する。
「え……布巾?」
「違いますよ!おしぼり!ちゃんと袋に入った新しいやつ!」
それは、確かに温かいおしぼりだ。
蓮は踵を返し再びシンクに立つ。
「演技か本心かなんてそんなの本人にしかわからないですし」
蓮は食器をカチャリと鳴らした。続いて水道の蛇口を捻る音が聞こえる。
「本心から演じてるかもしれないでしょ?そんなのいちいち気にしてたら頭痛が痛いみたいなことになりません?」
「その例え絶対間違ってると思うぞ」
「第一、私は浅見さんのこと浅見さんだと思ってるし、それ以外にあります?」
柊弥は振り返って蓮の後姿を見た。
「ここにいるってことは私は御厨蓮、貴方は浅見柊弥。もうそれしか無いじゃないですか」
“皆さんは何を担保に参加資格を得ましたか”
GMの言葉が脳裏によぎる。
「私は浅見さんのこと頼りにしてるし、貴方が上司で……兄貴分でよかったって思ってますよ」
「……頼りにされるようなことなんて、何もしてない」
柊弥はおしぼりを目にかぶせて再び上を向いた。
温かいおしぼりを目に当てていると、ささくれ立った気分が和らぐのを感じた。
「助けてくれたじゃないですか、施設で」
「…………へー……覚えてたんだ」
「馬鹿にしてます?」
言及されたくない、もしくは無かったことにしたいのかと思っていた。
水の流れる音と食器の擦れあう音が小さく響く。蓮が食器を洗う音が聞こえる。
「……ごめん」
水音が止む。
「今のは完全に八つ当たりだ。それから……庇ってやれなくてごめんな」
上司役なのに。兄貴分なのに。
八つ当たりして、気遣われて。
「浅見さん……」
「…………おい、今度は何だ冷たいだろ……あ!?お前!手ぇびちょびちょ!!」
蓮は濡れた手で柊弥の両耳を掴んでいた。
「浅見さん、オレは心配ですよ、浅見さん。何でそこで貴方が気に病むんです?それこそ演技だと言ってくれよ!」
「一人称ブレてるぞ」
「手段が目的になってます。ねえ、これ仕事じゃないんですよ?ゲームなんですよ?執事は目的じゃなくて手段。じゃあ、目的は?謎解きでしょ?シナリオクリアでしょ?十億円でしょ!!は~、なまじ仕事が出来て常識人だとそうなるんだな~、器用貧乏そう~」
早口で矢継ぎ早に言われて、反論しようにもほぼ正論である。
「もう、いいからカレー食べましょうよー、待っててくれたんでしょう?ありがとうございますって」
「待ってない」
実際、待っていたのだけれど。
「ええ……マジで食欲ないのかよ……食べながら話そうと思ったのに。こっちだけ食べながらって、気まず」
「話す?何を?」
「ゲームの話!」
蓮が皿に白米を盛り付けながら言った。
柊弥はソファーから立ち上がると、キッチンのテーブルに座り直した。
「わかったよ、TRPGのベテラン君の意見を聞かせてもらおうか」
「ベテランかはさて置き、カレー大盛りでいいですか?」
「…………並盛で」
蓮に見透かされた上に、いいように言いくるめられた気もするが、胸のつかえも取れたので良しとしよう。




