第9話 マリアとエミー
【3月14日(月曜日)】
『まもなく、2番線に普通、三重行きが参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
全は両手をズボンのポケットに入れたまま、駅のホームで立ち尽くしていた。
先月会社で社長と交わした会話が全の脳裏に浮かぶ。
「──田原くんに続いて君まで辞めるなんて…………。どうして」
「いえ、なんとなくいろいろあったので…………」
「…………そうか。まさか大きなプロジェクトを任せたこのタイミングとはね。場合によっては損害賠償請求するから覚悟しておきなよ。あと、懲戒解雇扱いだからね」
『──この列車は4つドア10両です』
次に、労働基準監督署の職員に相談したときの内容を思い出す。
「──最近同じような相談が増えてますけどね。よほど悪質でなければ、実際に損害賠償請求してくることはないと思いますよ。懲戒解雇も脅し文句でしょう」
「そうですか」
「民法上は申し出から2週間で退職できますからね。無創さんのケースなら問題ないはずです」
『──ホームと電車の間が空いています。足元にご注意ください』
最後に、不動産屋のスタッフと話した内容が蘇る。
「──では、賃貸物件をお探しですね」
「はい」
「お一人でのご入居ですか?」
「はい。ただ、無職で貯金は少なく家族もいませんので…………」
「なるほど…………、それだと選択肢は限られてきますが…………、お車は運転されますか?」
「いえ、免許はありませんし、荷物もほとんどありません」
「では、ご希望の地域はございますか?」
「前の職場の人…………、東京の人と顔を合わせることなく、できれば近所付き合いせずに済むとこなら…………、あとは安ければどこでもいいです」
「そうですか。ん~、それなら1件だけ…………。訳アリですが、ここなんてどうでしょう。建物の状態は良く、格安なんですが、付近で神隠しが頻発していまして…………」
「じゃ、そこでいいです」
『──ドアが閉まります。ご注意ください』
発車メロディが鳴り終わり、全を乗せた電車は駅を出発した。
朝の光に包まれたとある町の歩道では、女子生徒たちがぞろぞろと同じ方向へ歩いていた。
彼女たちが向かう先にある学校の校門には、「卒業式 三重県立一島女子高等学校」と筆文字で書かれた立て看板が設置されている。
校舎の佇まいも生徒たちの雰囲気も、どこにでもあるごく普通の女子高のものだった。
朝の挨拶を済ませた2人の女子生徒が雑談を始める。
「知ってる? うちから初めて京大合格者が出たんだって」
「伊邪那さんでしょ? でも進学はしないらしいよ」
「以上をもちまして、卒業式を閉式いたします」
卒業式を終えた女子生徒たちは、教室に戻って最後の自由な時間を賑やかに過ごしていた。
そんな中、ぽつんと1人だけ立ったまま、窓から外の景色を眺めている女子生徒もいた。
「にゃっにゃ、にゃっにゃ、にゃっにゃ、にゃっにゃ、にゃっにゃ」
そこへ、非常に小柄な女子生徒がぱたぱたと走りながら教室に入ってくると、彼女の背後から近づいてきた。
「ちょっとエミー、同級生なんだからママじゃないでしょ~?」
マリアは苦笑しながら振り返り、エミーの顔を見て言った。
「じゃあ、卒業生代表、伊邪那マリアさん! ハイ!」
エミーはぴょんとジャンプし、おんぶをねだる子供のようにマリアの背中にしがみつくと、そのまま片手を元気よく挙げて叫んだ。
「でも覚えてるのはそこまででしょ?」
「ほにゃ? そういえばそうだネ」
「エミーが寝てるの、壇上からもよく見えてたよ…………」
「にゃははははははは! そうだったんだ!」
「もう…………。ほら、帰ろ」
「うん!」
学校の外は、校舎を背景にして家族や友達と写真を撮ったり、別れを惜しんだりする生徒たちで溢れかえっていた。
マリアとエミーは校門をくぐり抜け、見慣れた住宅街を並んで歩き始める。
「にゃん、にゃん、にゃん、にゃん、あ!」
エミーは突然走り出し、近くの街路樹の根元でしゃがみ込んだ。
「ん~、あった!」
エミーは生えていた草を1本むしり取ると、マリアの元へ駆け戻ってきた。
「マリアちゃん、これ!」
「あら、四つ葉のクローバーだね。今日は何かいいことが起こるのかな」
「にゅう~♪」
エミーはニコニコ笑いながら、無意識のうちにその四つ葉のクローバーを口へと運び、むしゃむしゃと食べ始めた。
マリアは目を丸くしてその様子を見ていた。
「あ、こ~らっ」
「にゅう~?」
「それ汚いかもしれないのに、何で今、その辺に生えてる草、食べちゃったの?」
エミーはマリアの顔を不思議そうに見上げながら、ぺろぺろと自分の口の周りを舐めている。
マリアがエミーの正面にしゃがみ込むと、エミーはマリアの顔を視線で追った。
「この子、ちょっと目を離すと、す~ぐ何でも食べちゃう!」
「にゅうっ、にゅうっ、にゅうっ」
同じころ、全は電車に揺られながら、車掌のアナウンスをぼんやりと聞いていた。
『次は、三重、三重です』
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