第8話 神隠し
2人はそれからもしばらくの間、たわいない話を続けていた。
「あ、もうそろそろ門限の時間なので、私、帰らないと」
「そっか。俺はこれ全部食ってから帰るから」
全は大量のアイスが詰め込まれたレジ袋を指さして言った。
瞳はベンチから立ち上がって鞄を持つと、不安そうな表情で薄暗い森のほうを振り返った。
「あの…………、無創さんは失踪事件…………、神隠しの噂をどこまで信じていますか?」
「へ? 神隠し? 悪いけど俺、新聞とかニュース、見ないから」
「そうですか…………。実は、さっきのモンスターが現れたあとは…………」
瞳は言葉を濁し、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ、やっぱりこんな話、信じてもらえないと思いますので気にしないでください」
瞳は右手で左手をぎゅっと握りしめた。
「けど、もしよろしければ、家まで送ってくれませんか? うち、そこの階段を下りてすぐのところにあるので…………」
全は瞳が指さした方角に目を向けた。
(俺んちの目の前か…………)
「いやぁさすがにそれは…………。国越さんはまだ子供だからギリギリ話せたけど、途中で親御さんに会ったら、どう対応していいか分からない。だから…………」
「そうですか…………」
「すまねぇ…………」
「いえ。それでは、失礼します」
「ああ」
瞳は軽くお辞儀をしてから、全に背を向けて歩き出した。
全はアイスを一口かじり、ふと思いついたように口を開く。
「あ、珍しく言いたいことが整理できた」
「え?」
瞳は足を止め、振り返って全を見た。
「さっきの先生の話だけど、学校を卒業したあとも、ぶっちゃけめんどくせぇことは続く。俺も今まで職場になじめたことがないから、だいたい2年ごとに会社をやめてる。けど、それでもテキトーに長生きしてこれた奴がここにいたことを覚えておくといい」
全は口の中で溶けかけたアイスをゴクンと飲み込んだ。
「国越さんもあと2年の辛抱だ」
瞳はぱあっと笑みを浮かべた。
「はい!」
瞳はもう一度深くお辞儀をしてから、今度こそその場を去っていった。
(…………久々に人間と話した気がするな)
このとき、全と瞳のやり取りを暗い木立の陰からじっと見つめている不審な人影がいた。
イエンの異様に長く伸びた前髪の隙間から、赤い眼に浮かぶ1つの黄色い星が不気味な光を放っている。
【2月24日(木曜日)】
「お疲れ様でした」
その日の仕事を終えた全は、オフィスビルのエレベーターホールで待っていた3人の若い女性社員たちに向かって挨拶をした。
彼女たちは無言のまま、ほんのわずかに首を動かす程度の冷たい会釈を返すだけだった。
『7階です』
エレベーターの到着を知らせる無機質な音声が流れ、全と女性社員たちは一緒にエレベーターへ乗り込んだ。
エレベーターが下へと動いている間、息が詰まるような沈黙が続く。
『1階です』
やがてドアが開き、女性社員たちが逃げるように降りたあと、全もゆっくりとエレベーターを出た。
全は彼女たちと一定の距離を保ちながら、駅へ向かって歩き出す。
「ねぇ、無創くんって先週の飲み会で、シメの挨拶を頼まれて自分の首をシメてた人でしょ?」
「あのとき、小麦粉って言葉を初めて知った的なことも言ってたよ」
「私なんて、隣の席に座ってたとき、1時間に3回は『こんにちは』って言われたし…………」
前方を歩く女性社員たちのひそひそ話など気にも留めず、全はただぼーっと宙を見つめながら歩き続けた。
(…………そろそろ2年か)
駅周辺の巨大な街頭ビジョンには、報道番組が映し出されている。
『先日都内で目撃されたグラトンモンスターは電能隊が退治したと、先ほど防衛庁より発表されました。この件について動物愛護団体からは抗議が殺到しており、識者からは平和国家日本における電能隊の存在意義を疑問視する声が上がっています』
帰りの満員電車に揺られながら、全が光るコンタクトレンズでゲームをしていると、すぐ近くで談笑するサラリーマンたちの声が耳に入ってきた。
「うちの会社に暗い奴なんかいねぇよ。人事が優秀だから、よく分かってんのさ」
「何を?」
「暗い奴と仕事したって面白くないじゃん。俺なんかいつも飲み会で偉い人、笑わせるのが仕事でさ! この間も、『亀に指を食われた』ってボケて、『いやお前指ついとるやんけ』ってツッコまれて、そんでまた高い酒おごってもらってさ!」
全は不愉快そうに眉間に深いシワを寄せた。
(金さえありゃ、死ぬまで人間の視界に入らない生活ができるんだけどなぁ…………)
全が自宅のアパートへ向かって夜道を歩いていると、近くの公園から中年女性たちのひそひそ声が聞こえてきた。
「ちょっと聞いた?」
「国越さんちの子でしょ」
「怖いわね~」
「ネットではグラトン人にさらわれたんじゃないかって」
「シッ! そんなこと言ったら逮捕されるわよ!」
「そ、そうね。グラトンはこの世の天国なんだから、さらわれればむしろ幸せだし、平和を愛する諸国民が悪いことをするわけないものね」
(国越って…………)
全は角を曲がった直後、ブロック塀に貼られた1枚の張り紙を見つけて足を止めた。
それは、昨晩から行方不明になっている瞳の情報提供を呼びかける手作りのポスターだった。
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