第5話 無創全
それから5年の月日が流れた。
西暦20XX年。
とあるIT企業に勤める平社員の男――無創全は、終業時刻の17時30分になった瞬間、迷わずパソコンの電源を落として席を立った。
「それでは、お先に失礼します」
「…………おい、無創、お前、今日も定時で帰るつもりか?」
全は、隣の席にふんぞり返っている上司に呼び止められた。
「はい。自分の仕事は終わりましたので…………」
「いつも逃げるように帰りやがって、他の皆が連日徹夜で残業してるのを知らないのか!?」
「…………」
全は心底だるそうに視線を逸らす。
「ったく、何でいつもお前は人の目を見て話せないんだ、クズが」
上司はデスクの引き出しから、コピー用紙を1枚乱暴に取り出した。
「よし、じゃあ仕事がないなら、今すぐお前の欠点一覧表を作れ」
「え?」
「『え?』じゃないだろ。欠点がないとでも言うつもりか?」
「いえ、逆に多すぎて、終電までかかると思いますが」
「だったら終電まで残って書け! やる気がないお前を見て育つ後輩がかわいそうだと思わないのか!」
「…………」
「完成したら200部コピーして、俺の机の上に置いとけよ。明日、それを社員全員に配るからな」
さらに、そのやり取りを見ていた先輩社員が全に話しかけてくる。
「ああ、ちょうどよかった。無創。お前、携帯持ってないの?」
「はい」
「昨日お前が帰ったあと、問題が発生して大変だったんだよ? そんなとき携帯がないと、すぐ呼び戻せないだろうが」
「すみません。別のプロジェクト担当なもので」
「ほら、またそうやって言い訳してる。俺らが苦労したって話してんのに、相変わらずいい性格してるね」
先輩社員の嫌味に、上司も便乗する。
「うちじゃ携帯を持つのは義務じゃあないが、番号登録してないの、お前だけだぞ? まさかお前、本当にその世代で携帯持ってないとか言うなよ?」
「持ってません」
「ん・な・わ・け・あ・る・か。…………ったく」
「あー、でも課長。こいつ、ほら、見るからに友達も彼女もいないタイプですから…………。テレビすら見ないから誰とも話が合いませんし…………」
「ああ。そう言えばカラオケで空気読まずに歌わないのもこいつだけだったな」
「昼飯だって、毎日1人で外へ食いに行くの、こいつだけですよ。飲み会でも、いつもつまらなそうにして…………」
「おっと、そろそろ会議の時間だ。そういや、なぜか無創も呼ぶよう社長から言われてたんだった」
上司は腕時計を見ながら言った。
「はは。もしかして、クビですかね? 無創くん、がんばって~?」
3人のやり取りを遠巻きに見ていた他の同僚たちは、心酔した眼差しで上司を見つめていた。
「やっぱ、うちの課長ってボスって感じでかっこいいよな~。マジ憧れるわ~」
【2月23日(水曜日)】
夕日でオレンジ色に染まった帰り道を1人歩きながら、全は軽くため息をついた。
(…………ようやく1人になれる)
全は数日前の会議室での出来事を思い返す。
「──というわけで、今後はより一層忙しくなるだろうから、皆がんばってくれ」
約10人の社員たちを前にして、恰幅のいい社長が会議を締めくくった。
「…………おい、無創。お前も何かしゃべれよ」
上司は、隣に座る全を小突いて小声で命令する。
「…………」
しかし全は頬杖をついたまま一切のやる気を感じさせない態度で黙り込んでいた。
「チッ、会議中に頬杖をつくな! 覇気のない顔しやがって!」
上司はわざとらしく大きく手を挙げて、社長にアピールした。
「はいはーい! 社長、私から1つ提案がありまーす!」
「ん?」
「ただぼーっと座ってただけの無創くんは、今すぐ会議室から追い出すべきだと思いまーす」
「こらこら田原くん。いいんだよ。彼から報告することは何もないんだから」
「え? じゃあ、何でわざわざ呼んだんですか?」
「そうだね。人事の話を先にするべきだったか」
上司の田原は、予想外の言葉にキョトンとした。
「…………ゴホン。え~、皆気づいている通り、無創くんは社会人としては何もできないし、常識や教養が抜け落ちている人間だが、エンジニアとしては信じられないくらい優秀だ。彼はまだ入社2年目だが、今のままではその能力を活かしきれないと判断した。よって、今日から田原くんと同じ立場で我が社を支えてもらうことにする」
「──!」
田原は完全に目が点になり、やがて心底悔しそうにわなわなと全身を震わせ始めた。
社長は優しく全の肩をポンと叩いた。
「今日から君は『無創課長』だ。うちでは例がないスピード出世だね」
(──出世だけはしたくなかったのにな)
全はコンビニのアイスやカップ麺が詰まったレジ袋を提げ、自分の住むボロアパートに到着した。
そのまま自室のドアへ向かって外廊下を歩いていると、少し先で立ち話をしている同じアパートの住人たちが目に入った。
全が露骨に眉をひそめてきびすを返した瞬間、彼の右目に装着されている特殊なコンタクトレンズが青い光を放った。
コンタクトレンズにはパソコンのような電子画面が浮かび上がっており、全が頭の中で軽く念じるだけで、『近所の人に挨拶しない方法』という文字が検索フォームに入力された。
瞬時に表示された検索結果のトップにあった、『挨拶を嫌がる人間は絶対に出世しない』という見出しを見て、全は馬鹿馬鹿しいとばかりに首を横に振った。
全は視界の画面を、ショットガンでゾンビを撃つ1人称視点のシューティングゲームに切り替えると、近くの山の方へ歩き出した。
山の入り口には、登山者に向けて『グラトンモンスターの出没に注意』と書かれた立て看板が設置されていたが、ゲームに夢中な全はそれにまったく気づいていなかった。
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