第15話 宇宙一可愛い
【4月4日(月曜日)】
季節は春。
そこかしこで桜の花がほころび始め、蝶たちが春風に乗って軽やかに舞っていた。
小鳥のさえずりが聞こえる中、全はタブレットでラジオ番組を流しながら、ちゃぶ台の上に置いたカップ麺の蓋をベリッと開けた。
『愛島大臣は昨日、防衛庁を防衛省に昇格させるべきだと発言したそうですが、これはもう議員辞職に値する失言ではないでしょうか』
『そうですね。当番組にも、日本の右傾化に不安を感じる市民の皆様からの声が多数寄せられておりますので、その一部をご紹介します』
『私はグラトンが日本の挑発行為をどう見ているのか心配で…………』
全はラジオから流れる内容をまったく気にする様子もなく、お湯も注がずカップ麺の麺をバリボリとかじり始めた。
同じころ、マリアの家ではエミーがバタバタと廊下を走り回っていた。
「ママ! …………じゃなくて、マリアちゃん! 先に基地行ってるネ!」
「えっ、ちょっとエミー、服装とか大丈夫?」
元気よく玄関から飛び出していったエミーの耳に、マリアの声はまったく届いていなかった。
コトッと全は空になったカップ麺の容器をちゃぶ台に置いた。
「ふぅ」
一息つき、置時計で時刻を確認してから立ち上がる。
「…………今日か」
カランカラン。
入り口に『おのころ島神社』と記された案内板が立つ境内に、エミーが鳴らす鈴の音が響き渡る。
「にゅっにゅっ!」
エミーは拝殿の前で目を閉じ、パンパンと手を叩いた。
全はいつもと変わらないヨレヨレの私服で住宅街の歩道を歩きながら、自宅のポストに入っていた電能隊の募集チラシのことをぼんやりと思い出していた。
(電能隊か。就職先のことなんてまともに考えたことなかったが、そういやデスクワークにこだわる必要はなかったか)
全のポケットに入っている採用通知には、『当日は必ず私服でお越しください。迷彩色の服装はご遠慮ください』と念押しするように書かれていた。
歩いている途中、ベビーカーを覗き込んで「ベロベロバー」と甲高い奇声を発している中年男性を見かける。
(…………うわ、よくあんなことができるな)
さらに進むと、立ち話をしている2人の中年女性とすれ違った。
「それでは明日、引っ越すことになりましたので、今までお世話になりました」
「あなた、近所の人たちが嫌だから引っ越すんでしょ」
彼女たちはお互いに、露骨で薄気味悪い作り笑いを浮かべていた。
全はそれを見て、思わず眉をひそめる。
(人間と関わるからそうなる…………)
そんなことを考えているうちに、全は門の金属プレートに『電気能力警備隊』と刻まれた施設――通称、基地――に到着した。
そのとき、歩道に腹ばいになって野良猫とじゃれ合っているエミーの姿が全の目に入った。
(宇宙一可愛い!!!)
「にゅっにゅ~にゅ、にゅにゅにゅ?」
「ミィー」
「にゅっにゅう、にゅにゅにゅう、にゅっにゅう、にゅっにゅう!」
「ニャー」
猫に向かって一方的に話しかけているのか、それとも会話が成立しているのか。
エミーは猫の鳴き声に合わせて上体を反らしていた。
全はしばらくの間、我を忘れてエミーの愛らしい姿に見入っていた。
「にゅう~? あ!」
全の視線に気づいたエミーは、ペチペチと音を立てながらアザラシのように腹ばいのまま這い進み、彼の足元までやってきた。
「はいっ!」
そして、胸ポケットから取り出した海苔の小袋を、太陽のような笑みを浮かべて全に差し出した。
全は驚いて目を丸くし、ゆっくりとエミーの頭へ右手を伸ばしていった。
「にゅう~~~~!」
全にそっと頭を撫でられ、エミーはこの上なく嬉しそうに目を細める。
「あっ、やべ、つい」
我に返った全は、慌ててエミーの頭から手を引っ込めた。
「『はいっ』。Hi?…………。Hi... I'm sorry, I can't speak English very well.」《どうも…………。すみません、英語があまりうまく話せなくて》
(…………英会話なんざ、ファックとこれだけ覚えときゃ問題ねぇぜ)
「にゃははははははは! 今何て言ったの?」
「あれ、言葉通じるのか」
「にゃんにゃん♪」
(はは、見学に来た小学生かな?)
全はふと視線を上げ、エミーの後ろに何人もの通行人が立ち止まっていることに気がついた。
どうやらエミーが歩道のど真ん中で寝そべって両腕をパタパタさせていたせいで、通行人たちの行く手をふさいでいたようだ。
「あーあー、ほらほら、ちょっとちょっと」
「にゅう~?」
全はエミーの脇に手を入れ、ひょいっと持ち上げて高い高いをしてやってから、歩道の端へと下ろした。
通行人たちは「可愛い~」と口々に言いながら笑顔で通り過ぎていく。
「にゃんにゃん、にゃんにゃん! もっと持ち上げて!」
エミーは両腕をパタパタさせながら、全の足元でピョンピョンと飛び跳ねてねだった。
「よ~し」
全は今まで誰にも見せたことがないような純粋な笑顔を浮かべ、もう一度エミーを持ち上げようと腰をかがめた。
そのとき――。
「その声、エミーなの~?」
遠くからマリアの声が響いてきた。
「ぬ」
全の動きがピタリと固まる。
「あ! マリアちゃん!」
エミーは駆け足で正門の方へ向かった。
「もう…………。また迷子になったのかと思って心配したよ…………」
全がエミーを追うように視線を動かすと、そこには少し息を切らしたマリアの姿があった。
「にゃははははははは! それより聞いてヨ、マリアちゃん! あの人、ワタシのこと撫でてくれたヨ!」
「え?」
マリアはエミーが指さす方向へ視線を向けた。
「それに、他の子のパパがやってるみたいに、高い高いしてくれたの!」
「…………」
「マリアちゃん?」
呆然と立ち尽くしているマリアの顔を、エミーは不思議そうに見上げる。
「…………ど、どうも」
全は冷や汗を流しながら、ぎこちなく頭を下げて挨拶した。
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