第13話 自殺未遂
「あ~、危なかった。うっかりあの子の夢を壊すとこだった」
帰宅した全は、玄関のドアを閉めながら独り言を漏らした。
「憧れは憧れのままにしといてやらんとな」
そして、靴を脱ぎ捨て、部屋へ向かう。
「それに、これから宝くじの当選画面を拝むのに、自殺なんかするわけねぇよな、っと」
全は床に転がっていたタブレットを拾い上げ、ネットバンクにログインした。
当選結果の発表ページを見た瞬間、全の頭の中に、心電図モニターが心拍停止を告げるピーッという音が響き渡った。
全は白目をむいたまま、首を右に30度傾けた。
今度は首を左に60度傾ける。
それからしばらくの間、全は夕焼け色に染まった部屋の真ん中で、あぐらをかいたまま固まっていた。
「…………」
やがて全はレジ袋の中から薬局で買った小さな箱を取り出し、『解熱鎮痛剤』の文字をじっと見つめる。
「…………この方法だと失敗することもあるらしいが、ま、宝くじが当たる確率よりはマシだろう」
全は虚ろな目のまま仰向けに倒れ込み、ふと自分が小学1年生だったころのことを思い出した。
「「「──楽しいね~♪」」」
クラスの児童たちが楽しそうに合唱している中、全の顔を見た担任教師は、バンッと教卓を強く叩いた。
それに驚いた子供たちは一斉に口をつぐんだ。
「やっぱり歌うのはやめましょう! 1人だけ、つまらなそうな顔してる子がいるからね!」
「──思えば、あのころから人間社会で生きてくのに無理があったのかもなぁ」
家のすぐ近くにある森から、風が吹くたびに木々の葉が揺れる音が聞こえてくる。
少しだけ開いた窓の隙間から、冷たい空気が吹き込む。
ふと気づくと、半分に折られた紙切れが風に乗って全の目の前まで飛んできた。
全は手を伸ばしてそれを拾い上げる。
紙切れの下半分には、幼い字で『ありがとう、おじさん』と書かれていた。
「これは…………」
行方不明になった瞳の顔を思い浮かべながら、全はゆっくりと上体を起こし、折りたたまれた部分を開いた。
すると上半分には『死んでくれて』と書かれており、繋げると『死んでくれて、ありがとう、おじさん』という文になった。
その直後、部屋の照明が突然消え、全のすぐ横にあるクローゼットが、ギギギと不気味な音を立ててゆっくりと開き始めた。
まるで怨霊のようにぬらりと現れたイエンと、それにまったく動じることのない全。
2人の視線が交わる。
「「…………」」
全は、周囲の空間が歪むほどの不気味なオーラを放ちながら、突然首を右に90度傾け、のんきにつぶやいた。
「ホラー映画好きの泥棒かな?」
全から殺気すら超える何かを感じ取ったイエンは、ビクッと肩を震わせ、手に持っていた照明のリモコンを床に落とした。
「どうでもいいが、8000円もしたんだから、こっちで死なせてくれないとな…………」
そう言って全は薬の箱を開け、中に入っていた大量の錠剤を口の中に放り込むと、床に転がっていたペットボトルの水で一気に流し込んだ。
空になったペットボトルを床に置き、天井に向かって深く息を吐き出す。
(なんか俺ってこんなんじゃ死ねなかったような気がするが…………。ま、いいや、寝よ)
全はそのまま横に倒れ込み、眠りについた。
それからの十数時間、イエンは全身から滝のように冷や汗を流しながら、恐怖で1歩も動くことができなかった。
【3月16日(水曜日)】
「おいっ、おいっ! あんた、無事か!?」
翌朝、知聡に激しく体を揺さぶられて、全は目を覚ました。
「ん…………、ここは…………」
「生きてたか。ここは県内北部の森の中だ。あんた、危うくさらわれるところだったんだぞ」
「…………え?」
「噂の神隠しってやつだよ。あんたが運ばれてるところを、たまたま巡回中に見かけたんだ」
全がのそりと起き上がると、知聡も立ち上がった。
「ふぅ、さて、んじゃ、ちょっくら犯人を捕まえてくるから、それまでここで待っててくれ」
「え?」
「あたしの追跡に気づいて、犯人はあんたを置いてったんだ。身軽になったせいか、かなり遠くまで逃げられちまった」
「いや、でも1人で追いかけるのは…………。およ」
そのとき、全の口元からタラーッとヨダレが垂れた。
「ふん、体調が悪いみたいだから、安静にしてなっ」
知聡は全の肩をポンと叩くと、高さ10メートル以上はある大木のてっぺんまで一気に跳躍し、周囲を見渡した。
すると、遠くの岩場から谷底へ滑り降りていくイエンの姿が見えた。
「よっし、見つけたぁ!」
知聡は白い歯を見せて笑うと、常識外れの脚力で空を飛ぶように前方へとジャンプしていった。
(ぬぅ…………、どうやら薬は逆流してくるだけ…………。てことは8000円が無駄になったってことか…………)
全は小さくなっていく知聡の背中を呆然と見つめながら、瞳の笑顔と駅に落ちていた財布のことを思い出していた。
「…………」
イエンは険しい谷底を歩きながら、忌々しそうにつぶやいていた。
「まさか電能隊に見つかるとはね。けど、いろんな意味で肩の荷が下りたわ。わざわざ三重まで追ってきたけど、あの変な男を本国へ連れ帰ったら、何かとてつもない災いがもたらされる予感がする…………」
イエンは瞳をさらったあと、全のことを執拗に見張っていた。
しかし彼女は終始、全に対して得体の知れない恐怖を抱いており、彼に近づくのをためらっていた。
イエンがそんな物思いにふけっていると、背後から知聡の声が響いた。
「知ってるか? ここは怪奇の谷と言ってな。どこかに怪人でも潜んでやがるのか、約30年前から、この島にはこうしたおかしな地形がときどき作られるんだ」
イエンが振り返ると、すぐ近くの谷底に、いつの間にか降り立っていた知聡の姿が目に入った。
「…………ここまでずっと追ってくるとは驚きだわ」
知聡はイエンの目に星が1つしかないことを確認し、余裕の笑みを浮かべた。
「いんや、ほんの1分前まで被害者の近くにいたが?」
「…………あの場所からここまで4キロは離れているはず。嘘はよしなさい」
「てめぇらは昔から国ぐるみで嘘ついてるから、他人の言葉が信じられねぇんだろ」
知聡は挑発するようにニヤニヤと笑った。
イエンは鋭い眼光で知聡を睨みつける。
「5年前に敗戦して以来、私たちは極力あなたたちとの交戦を避けるよう命じられている。けど、どうかしらね。ここなら増援だってすぐには駆けつけられないでしょうし…………」
イエンは長い黒髪を後ろで束ねながら言い放った。
「そうだなぁ。あたしゃ、敵国人より先に日本を裏切る日本人に対処するべきだと思ってるクチだが、ここにはあたしと敵国人しかいねぇから――」
知聡はそう言うと、腰の刀を素早く鞘から抜いた。
「お前と戦うしかねぇわなぁ!」
イエンの目がさらに吊り上がる。
「ふん。日本猿の分際で」
イエンが臨戦態勢をとった瞬間、彼女の両腕が全長1メートルほどの鋭い刃物へと変貌した。
「私の殺傷力は1500よ。大口叩くならアメリカ海兵隊でも連れてくるべきだったんじゃない?」
「はっ。お前らのおかげで日米同盟はもう存在しねーよ」
「ふふふ。そうだったわ…………ね…………!」
最後の言葉を発した瞬間、イエンは残像を残して姿を消した。
しかし、その動きを完全に見切っていた知聡は、横目でイエンを捉えながら不敵に口角を上げた。
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