第11話 すれ違う想い
「…………ん、と。どっかで会いましたっけ?」
「…………」
全の問いかけに、マリアはわずかにうつむいた。
「あ、道案内とかなら、俺、今日こっちに引っ越してきたばかりなので…………。正確には、戻ってきたばかり、なんですけど、どっちにしろ復興後の街のことはよく知らなくて…………」
マリアは柔らかい笑みを浮かべて口を開いた。
「いえ…………。ただ、少しご気分が悪そうに見えましたので、どうされたのかな、と思いまして」
「ああ、何だ、そういう…………」
全はマリアと目を合わせないようにしながら、右手の人差し指で頬をポリポリとかく。
そのとき、全の手の甲に刻まれた古い傷跡がマリアの視界に入った。
「…………あ、それ、ちょっと待っててくださいね」
マリアは自分の鞄を探り、全が持っているものとまったく同じハンカチを取り出した。
そして、それを全の手に押し当てた。
「──!? え…………、あの、これは…………?」
「…………手にお怪我をされているようでしたから」
「へ?」
全はハンカチから手を引き、自分の手の甲を見つめた。
「ああ、これは昔からある傷なんで大丈夫ですよ」
「…………そうだったんですか。ごめんなさい…………、私、つい…………」
「いや、別に、謝ることじゃ…………」
「…………」
「…………」
(…………おかしい。俺に話しかけてくる女性なんて、この世にいるはずないんだが…………)
そこで全はハッとある可能性に思い至る。
(そういうことか)
「…………え~と、その、ものすごく聞きづらいことなんですが」
「はい」
マリアはほんの少しだけ緊張したような声で応じた。
「もしかして、お金に困ってるとか、そういう話だったりしますか? だったら貧乏人の俺を狙うより、あそこを歩いてるサラリーマンの方がよさそうですが…………」
「…………」
「ははははは…………、は…………。あ…………」
しばらく頭をかきながら笑ってごまかそうとしていた全だったが、マリアの表情がみるみる暗くなっていくのに気づいて口をつぐんだ。
「そう…………、ですよね。不自然…………、ですよね」
「いや…………、えと…………」
「…………大変失礼しました。どうか今のことは忘れてください」
マリアは深く一礼すると、足早にその場から立ち去っていった。
(しまった、純粋な親切心だったのか…………)
全は遠ざかるマリアの背中に向かって弱々しく片手を伸ばしたまま、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。
(そろそろ失言してから気づく癖、何とかせんとな…………)
それから全は、駅から徒歩15分のはずの道のりを約30分かけて歩き、ようやく目的地に到着した。
「ふぅ。地図なんて渡されても、見方が分かんねぇから迷ったぜ」
全は不動産屋でもらった地図をズボンのポケットにしまい、これから住む家を見上げる。
レンガ敷きの小道を挟んで、三十坪ほどの木造二階建て住宅が整然と立ち並んでいる。
その光景は、まるで別荘地を思わせるものだった。
「これで家賃2万か…………」
その後、全は新しい家の室内をぐるりと見て回ったが、結局、大きな掃き出し窓がついている1階の角部屋だけを使うことに決めた。
全は光るコンタクトレンズで、一軒家に引っ越した際のマニュアルを確認した。
そこには、『まずは拭き掃除から始めましょう』と書かれている。
「よく分かんねぇや」
全はそうつぶやくと、乾いた雑巾を壁に数回こすりつけただけで、それを部屋の中央へと放り投げた。
部屋の中には生活に必要な家具や家電がほとんどなく、転がった雑巾の他には小さなちゃぶ台、日用品が詰まったレジ袋、そして段ボール箱が2箱あるだけだった。
全が窓の外を見ると、日は西に傾き、夕暮れ時になっていた。
「…………買い物も明日でいっか」
全はそのまま床に大の字になって寝転がった。
そして天井に向けて右手を伸ばしながら、先ほどのマリアの顔を思い浮かべる。
(…………まさか生身の人間から心配してもらえる日が来るなんてな。この世にあんなにいい子がいるとは)
全は自分の手の甲にある古傷を見つめた。
(こんな小さな傷に気づくとは…………。それに、さっきのハンカチって…………。…………ん!?)
全の脳裏に、5年前の出来事がフラッシュバックする。
──燃え盛る街の中、うずくまっていたマリアに手を差し伸べた記憶。
──そして、泣いていたマリアに自分のハンカチを渡した記憶。
(──げ、あのときの子か! 確か…………、伊邪那マリア!)
全は右手を握りしめ、自分の額にコツンと当てた。
(…………ま、向こうも俺だと気づいてなかったみたいだし、問題ないか)
カチ…………、カチ…………、カチ…………。
静まり返った部屋の中に、レジ袋に入ったままの安い置時計の秒針の音だけが響いている。
全はしばらくぼんやりと天井を見上げていたが、やがて段ボールの中からタブレットを取り出し、うつ伏せの姿勢で画面を操作し始めた。
ネットバンクの口座にアクセスすると、画面上には『残高: 880,405円』と表示された。
(…………まずいな。またなんも考えずに会社を辞めちまったが、今回も貯金がなくなる前に次の仕事が見つかるか…………)
その後、目的もなくネットバンクのページを眺めていると、画面の端にあるバナー広告が全の目を引いた。
「ん?」
それは毎日結果が発表されるネット販売限定の宝くじで、1等しか存在せず、40万分の1の確率で最高3000万円が当たると宣伝されていた。
全は『3000万』という文字にすっかり釘付けになる。
「ほーほーほー」
「よしよし、これで1万円分しか買わなかった奴の80倍の確率で当たるぞ。ふっへっへっへっへっへっ」
しばらくの間だらしなく笑い続けたあと、全は眠りについた。
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