第一話 入団
あれから約六年の時が経った。
眼前には六年前にも見た白壁と人型の奇妙な彫刻の施された大門がそびえる。その先は絢爛な石造りの間が広がっていた。
額をたたく突風にアサクラの朱い髪が靡く。
「前へッ!!」
試験官の肺腑突く声が分厚い壁に反響した。
あの時は受けなかった〔魔導騎士入団試験〕──その会場に今、私は立っている。
と言ってもあまり実感がない。かといって緊張していないわけでもなく、己の足が生む地響きも号令の怒声もすべてが耳を素通りしている。
「「イチッ! ニッ!」」
九年前、私は十五という人生の節目に立たされていた。豊かではない家庭と弟の医療費のために就職を考えていた。考えていたというより、そうするつもりだった。
弟は今や呆れるほど元気なのだが、ちょうどその頃、肺に遺伝子変異が見つかった。体よりも何倍も大きい装置と繋がれていないと、一人で呼吸もできなかった。もちろん、外出などできるはずもない。
弟のありふれた日常を取り戻すためには、変異した遺伝子を交換するための莫大な手術費が必要だったのだ。
だが結局は家族との、特に弟との相談により進学を選んだ。両親はお金のことなら任せなさいと言ってくれた。弟は私の魔法が好きだと言ってくれた。私は〔魔導騎士団〕からの勧誘を蹴り、魔法学校に入学した。
弟の手術が成功し、家族全員で写った入学式の写真は私の宝だ。
「総員、直れッ!」
まさか入団試験を受ける日が来るとは、あの時の私には予想もできなかっただろう。
もちろん、試験前に弟を説得できれば、こんなことにならなかったわけだが。
「「ハッ!!!!」」
受験年齢に上限はない。万年人手不足の騎士団らしい、都合のいい規則だった。二十四になった今でも、あの日使わなかった権利をこうして使うことが出来る。
「傾注!」
遠くで並んでいるアワノは緊張しているのか、それとも高揚しているのか、区別のつかない顔をしていた。十五になった弟は、ときたま経過観察で入院することもあるものの、背ばかり伸びてすっかり大人のような顔つきをしている。もう昔のように足をばたつかせて喜ぶことはない。それでも、時折笑いかけるその表情に昔の面影が重なる。その笑顔が私の目的を今一度、思い出させてくれた。
弟を守る。ここまで来た理由はそれがすべてだ。
よそ見をしているうちに、騎士団代表による全体演説が始まっていた。
「我ら魔導騎士団は、死してなお戦う。」
これだから弟には入団してほしくないのだ。とんだ阿呆よ。死してどう戦う。
「我々は、その覚悟を持つ者を求める。」
しかし、一度の試験で『神寵の騎士』になれるのは、たった一人。その一人を除いた全員は落第する。
落第すれば──
「我らと再会するは、入団式のみ。一世一代のバルゼウリ山である! 各々楽しんでくれたまえ!!」
つまり、再び試験を受けることは許されない。噂によると、試験官は全員の顔を覚えているらしく二回目に挑んだ猛者は見せしめに切り伏せられたとか。定かではないが、魔導騎士団は騎士全体の風格を下げかねない行動を平然とこなす野蛮な集団であることは確かだ。
そんなところに弟を送り込めるとでも?
──であれば、今日しかあるまい。
弟の代わりに私が選ばれればいい。それだけの単純な話のはずだった。
そんな思考を吹き飛ばすが如く、試験官の大声音が響き渡る。
「ハロルド・ライセン。前へッ!」
試験内容は体力、学力、そして魔力の三要素で構成されている。しかし、この魔力測定が雌雄を決するといっていい。アサクラが騎士団に勧誘された際も、「貴公ほどの魔力であれば合格は間違いない」と太鼓判を押されたほどだ。
ハロルドと呼ばれた女は水晶の前に立った。
「ハロルド・ライセン!! 属性は【海】、水の派生でありますわ!」
水晶と言っても一人では到底持ちきれないほどの大きさだ。三、四人は必要だろう。
ハロルドはその水晶に両手をかざす。
すると、水晶はきらきらと反射光を強めながら淡い瑠璃色の輝きを放った。
この女も運がいい。私と受験期が被らなければ、危うく合格していたかもしれん。いや、私がいなくとも弟が合格してしまうな。
そんなアサクラをよそに、受験者を見下ろすように置かれた試験官席から声が上がる。
「……青は別にイイんだけど」
「いいえ、いい人材ですぃね。青は赤と対を成ぃす」
「喋り方、気色ワル。まじでダイジョウブなんだけど」
試験官達は次々に口を開いた。ある者は苦虫を噛み潰したような顔をして、飛んできた横槍を掴んで投げ返す。ある者は目の焦点が合っていないが、書き込む手が一向に止むところを知らない。
その異様な光景に引きながらも、誰もが手に汗握った。
「終わりなんだけど。次」
一人の試験官が、けだるげにそう言った。それを見た藍髪の騎士団員は何か言いたそうだったが進行のため、なんとか飲み込んだようだ。
「アワノ・レイ、前へ!」
弟がその名を呼ばれ、前に出る。周囲の視線が、一点に集まるのが分かった。今年の入団試験、最有力候補の一人。誰かが、そう囁くのが聞こえる。
アワノは威勢よく口を開いた。
「アワノ・レイ。属性【翼】です」
水晶に弟の手がかざされる。掌から溢れ出す魔力が、光となって水晶を満たしていく。その光は蒼空に広がる【翼】のように水晶の中で羽ばたいた。
羽ばたきから生まれた風が、周囲のどよめきを巻き上げた。
「これで十五、だと……」
「ええ? あれって、天使の……翼? だよね」
試験官達の呟きが耳に届く。誇らしさと、それ以上の焦りが、胸の奥で渦巻きだした。
弟にあんな力があったなど、全く知らなかった。
──勝てない。
そんな言葉が胃から這い上がってきた。それが溢れてしまわぬよう、慌てて口を塞ぐ。
質も、練度も一級品であることに加え、魔力量もきっと随分余裕があるようだった。あれでせいぜい全力の五十分の一といった具合か。
それは火を見るより明らかだった。あれ以上のものが私にあるはずがない。
思えば、これまで弟の魔法を見たことがなかった。
というより、ずっと私の魔法が見たいといって頑なに魔法を使おうとしなかった。使う機会を私が奪っていたのもあるだろうが、使わなかった理由がほかにあったとすれば……。
最低だ。
今だけは『アサクラ・レイ』を辞めたかった。
!-!-!-!-!-!ー!-!ー!-!
気が付くと、足が勝手に動いていた。
「おい、あんた!」
引き留めた手を振りほどき、躓きながら列を外れ、長く続く廊下を走り続ける。
逃げきれないとわかっていても逃げずにはいられなかった。出口は近づけど近づけど、遠くなるばかりで。
壮麗な噴水が規則正しく轟音を響かせる。
水面に写る己を睨んでひとり、呟いた。
「もう、止められないのか……?」
弟を守りたい。
それだけだった。
なのに、私は弟に騙されていたという。
──違う。弟はそんな人間ではない。
それでも、疑ってしまう自分が許せなかった。
もう駄目だ私は。
とにかく、ただ勇敢に挑み玉砕すればいい。
それ以外、選べる道はなかった。
私にもっと力があれば、他の道もあったのだろう。しかし、私にそれはない。
運命は元から決まっている。
そう己に言い聞かせた。弟には言い聞かせる機会すら得られなかったというのに。
激流に打たれ続けた岩は今にも壊れそうなほどえぐれていた。
水嗚だけが、この場を満たしてゆく。
──人、裁きを受けねど、罪は消えず。罪は消えず、人に非ざるとせん。
それは、まるで見計らったかのような頃合いだった。静寂を裂く、地響きのような音。
──この《刑罰神》ノ=アラヴェン、汝に裁きを与えん。
頭蓋を直に揺らすその声は、神を自称した。




