6話 向き合っていきたいと思った
いつものように食事の席に着いた彼女の顔を僕は見ることができなかった。どう話を切り出せばいいのか。どんなふうにすれば、彼女のことを知っていけるのか。それが分からない。
誰とも関わろうとせずに生きてきた僕には、もう普通の会話の仕方さえ忘れていた。
(必要なことがあるから話す。それだけだったんだな……)
悩んでいる僕の様子に気づいたのだろう、彼女は不思議そうに首をかしげる。
「どうかされたんですか?」
彼女は僕と違って些細な変化にすら気付いているようだった。それがさらに僕の口を重く閉ざした。その間も彼女は何も言わずただ、じっと待ってくれている。せっかく温かい食事が覚めることになってしまっているというのに。それでも彼女は待っていた。
やがて僕は、ぽつりと零すように口を開く。
「少し気になったんだ。僕は君のことを縛りつけていたりしないかって」
「縛りつけて……ですか?」
彼女は意味が分からないというように首を傾げる。その事実を口にすることに気分が重くなる。僕は彼女のことを見ることができなくて、視線をそらしてしまう。
「勝手にルールを設定して。君の気持ちを一切聞いていなかった。食事だって君が何を好きなのか聞いてない。嫌いなものも、食べられないものも……」
俯いた視線の先にはコップが置いてあり、ふと沈んだ僕の表情が映っていた。そこにはずっと逃げ続けていた僕がいる。
「なにより、君は僕のことを名前で呼んでくれていたのに、僕は君の名前すら、まともに呼んでなかった」
彼女はしばらく僕を見つめていた。それから、ふっと表情を緩める。
「……そうですね。でも、そんなふうに考えてくれる時点で透さんは私と向き合ってくれてると思いますよ」
そんなことを言われるなんて思われなかった僕は思わず目を見開いて彼女を見つめてしまう。気遣ってくれているのだろうと思ったけれど、彼女は自然な様子で微笑んでいた。
「あの日、初めて会ったとき、私は、この時代の人たちが怖かったんです。知り合いも誰もいない中で、何もかも違っていましたから」
彼女は僕を見つめながら思いだすように少し目の焦点が合わなくなる。再度焦点があった彼女はふっと表情を緩めた。
「そんな中で出逢ったあなたは、私よりも周囲の人を警戒しているようだった。優しく対応する人にも怯えているように見えた。そんなあなたが、私を警戒しながらでも手を差し伸べてくれた」
優しげな視線になる彼女は
「だから、私は少し安心できたんですよ。この時代にも優しい人がいるんだって」
肯定する言葉をいってくれるなんて思いもしなかった。同時にそんな人物ではないと思う
「僕は君がいうような優しい人じゃないよ。自分のことで精一杯だし。君を助けたのだって、過去の自分と重ねて不憫に思ったからだ」
「それでもあなたはこうして向き合ってくれる。苦しそうしながらも、前へ一歩踏み出してくれた。そんな人だから私はつい、甘えたんだと思います」
だからこそ、やっぱり何もしないのは心苦しいんですけどね。そういいながら、笑う彼女の表情に胸が締め付けられる気持ちがあった。僕が彼女を受け入れようと思ったのもきっと、今も少し不安そうにしながらも、相手を尊重する彼女だからだろう。
そんな彼女と僕もまた向き合っていこうと思う。自分が逃げていた過去は変わらない。だから、これから知っていこうと思う。
「よければ、これから食事を作るときに火を使う部分以外のことを任せてもいいかな?」
「はい!お願いします!!」
元気よく返事する彼女はどこか満足そうで、その姿に肩の力が抜けるのが分かった。正しいのか分からない。それでも。そうだな。少しずつでいいから僕は彼女のことを知っていこうと思った。
「ごめん、食事が冷めたよね」
「大丈夫ですよ、また温めなおせばいいんです。それを、あなたが教えてくれたんです」
彼女はそういって、僕の分まで一緒に温める。
***
それから少しずつ彼女と一緒に料理をしていくことが増える。距離も少しは近付いていき、
「私も澄って呼んでくれますか?」
「それなら、僕も透って呼んでくれるかな?」
そんなやり取りをしながら、少しずつ会話も増えていった。
一緒に料理をするようになって気づいたことがある。すがに長年料理などを作ってきたのだろう。包丁さばきなどは圧倒的に彼女の方が上だった。均一に食材は切られているし、下処理だって、手際よく済ませていく。
何度も誰かのために料理をしてきたのだろう。彼女が作った料理は、いつもより少しだけ美味しく感じ、こんなに変わるものなんだなと少し感心させられた。
食事なんて、これまでは腹を満たすためのものだと思っていた。けれど、彼女にとっては違う。少しでも美味しく食べてもらおうと工夫してきたのがわかる。
そんなふうに、一つずつ澄のことを知っていく。だからこそ、僕には一つだけ迷っていることがあった。明日が訪れたら僕はまた記憶を失う。それを彼女に話すべきなのか、その問いに対して僕はまだ決心がつかずにいる。
だけど少しだけ彼女と向き合いたいと思ったから、僕は、新しい日記帳を用意することにした。彼女ともっと向き合うために、これまであったことを思い出す。好きなもの。嫌いなもの。どんなときに嬉しそうにするのか。何を大切にしているのか。
一つずつ思い出しながら、これまでの日々を書いていく。きっと、彼女に気持ちを打ち明けたあの日が、母以外の人に対して知ろうとした最初の日だった。




