3話 初めてのお買い物
こうやって家に連れてきた状況でも、彼女は相変わらず警戒する様子を見せなかった。どうしてそんなにも自然体でいられるのだろうか?と疑問に思いつつ、彼女にこの家でのルールを告げることにする。指針がなければ、どうすればいいのか分からないだろうから……。
「この家に住むうえでのルールを伝えるね」
「……はい」
少し緊張している彼女と一緒に家に上がりながら説明していく。「靴は脱いでそこに置いておいて」と告げながら。
「一つ、勝手に外に出たり知らない場所に行かないこと」
「はい。気をつけます」
「二つ目に、使っていいといったもの以外は使用しないこと」
「わかりました」
「最後に、この時代のことで分からないことがあったら聞いてほしいし、使いたいものや欲しいものがあれば相談してほしい。君の行動を縛りたいわけじゃないし、僕が過度に干渉することはない。だから、嫌なことは嫌と告げてほしい。君の感情まで僕は分からないからね」
「……はい」
目を見開いた彼女はどこか嬉しそうに微笑む。このすぐに人を信じやすいところはどうにかした方がいいだろう。
「それと、僕がいうことを信じるのはいいけど。少しは疑ったり警戒した方がいい。現代でも君の時代にのように、悪い人はいっぱいいるから」
「わかってますよ。そういう人がいることくらい」
「なら、もう少し警戒した方がいいんじゃないかな?僕が君に好意を持っていて、家に連れ込んだ可能性だってある」
「そうですね」
彼女は穏やかな表情を浮かべたまま、怯える様子を見せなかった。少しだけ考えるように視線を落とすと、やがて静かに口を開いた。
「それでも、同じくらい、優しい人がいることも知っていますよ……あなたみたいに」
そんなふうに、あっさりと人を信じてしまう彼女に、呆れにも似た感情を抱く。昔の時代にも詐欺なんかはあるだろうし、他人を利用する人間は多くいるはずだ。
ましてや、戦時中のような何もかもが不足している時代なら、もっと他人を警戒する必要があるはずだ。この子は、そんな時代でどうやって生きていたのだろう……そんなことを考えている間にも、彼女は笑みを深める。ほんの少しだけ、目元が優しくする。
「面倒だからと放っておくこともできた中で、あなたは私の意見を聞いてくれた。私が昔の時代から来た可能性を知った時から、周囲へと気を配るように顔を動かして色々と注意してみてくれた。そして今も、ずっと私の目を見て話してくれる」
彼女は指を折りながら、一つずつ言葉を重ねていった。
「そんな優しい人だから、私は信頼しているんですよ」
その言葉に僕はただ、驚くことしかできなかった。そして当然のように今日会ったばかりの彼女の言葉を、僕は受け入れられるはずもなかった。
いや、正確にはそれを受け入れるのが怖いのだろう。信頼という気持ちと向き合って裏切られた過去を思い出してしまうから……。
目の前の彼女が、まっすぐ僕を見つめている。その視線から逃げるように、僕は口を開いた。
「それは君の勘違いだよ。それより、準備して出かけようか」
「はい」
返事をする彼女の表情を見ることができなかった。久しぶりに向けられた好意的な言葉。
それを受け入れられない自分に気づきながら、僕は自室へ向かい、着替えを済ませる。必要なものは……。
そう考えてみるものの、なかなか考えがまとまらなかった。
***
必要なものを買うため、僕たちは近くの百貨店へ向かった。店に入った瞬間、彼女の足がわずかに止まる。自動で開く扉。明るすぎるほどの照明。色とりどりの商品が、棚いっぱいに並んでいる。
どれも彼女にとっては珍しい物だろう。自然と目で追っていいた。それでも、僕が先ほど忠告したことを覚えているのか、周囲を必要以上に見回したりはしない。少しだけ足を止めることはあっても、すぐに僕の後ろ戻ってきた。その様子に、少しだけ安堵した。
この程度なら、普通の客と同じくらいなので特段気にする必要もないと判断し先へと向かっていく。
そんな買い物は思ったよりも早く済む。彼女は僕を意識してか必要なものをささっと選んでくれる。それがとてもありがたかった。ただ一番困ったのは、下着だった。サイズを確認する必要がある以上、適当に選ぶわけにもいかない。結局、店員に相談しながら必要なものを揃えているようだった。
普段とは違う日常に気疲れしつつ買い物を済ませる。購入したもののうち、自身でも持ちきれないもの。特に下着などは彼女自身に持ってもらうことにした。彼女は、その袋を胸元で大切そうに抱えていた。
「嬉しそうだけど何かあったの?」
「えっと……ごめんなさい。こうやって何でもないのに、自分のものを買ってもらったことが嬉しくて、つい……」
「……そう」
そっけない返事になりつつも驚いている自分がいた。僕にとって、服や食べ物を買うことは当たり前のことで特別なことじゃない。けれど彼女にとっては違うのだろう。
何でもない日に自分の物を与えられるのは特別で、笑みが零れるくらいに嬉しいことなのだ。そのことに気づいて改めて思った。やっぱり、僕と彼女では何もかもが違うのだろうと。
生きてきた時代も。当たり前だと思っていることも違う。少し遠くの存在だと感じる中、ふと、彼女の視線が僕から外れた。その視線の先には、家族ずれの姿が映る。
小さな男の子が、手にしたおもちゃを嬉しそうに掲げている。その隣には、両親らしき男女がいた。彼女は何も言わない。ただ、その光景を微笑ましそうに眺めていた。
その表情には、さっきまでとは違う柔らかさがあった。こういう顔もするんだな……。不意に、そんなことを思う。その視線には、大切な人を重ねている人特有の温かさが宿っていた。
彼女がその家族を見送ったことを確認し僕は口を開く。
「……行こうか」
「はい」
彼女は僕の言葉に頷いて歩き出す。もう一度だけ家族がいた方へ視線を向け、それから何事もなかったように、僕の隣へ並ぶのだった。
***
家に戻ると、僕は彼女を連れて部屋を一つずつ案内する。
「この家で使っていい部分だけど……」
そんな風に3LDKの部屋を回りながら説明してく。
「トイレで用を足すときはここに座る。水を流す時は……」
「ここがお風呂で、湯船にお湯を張っておくから、そっちを使うこと」
「わかりました」
シャワーを使わせることも考えた。けれど、彼女の時代にはまだシャワーなんてなかっただろうと思い至る。だったら、僕がシャワーを使って、彼女には湯船を使ってもらえばいい。
流石に女性が入った後に湯船に浸かるのは嫌な人がいるからだろう。何より、僕だけがシャワーと湯船の両方を使って、彼女には片方だけを使わせるというのが、なんとなく嫌だった。同じ家で過ごすのなら、そのくらいは公平にしたい。
「それと石鹸だけど、右側にあるのが君が使う用で、左が僕のだから」
洗面台の前には、二人分の台座を用意した。間違えないように男性用の台座は青、女性用としてピンクにしているので多分大丈夫だろう。
一通り説明を終え、できるだけ現代の物は使わせないようにした。けれど、冷凍ご飯などを回答する必要性を考え、電子レンジだけは使い方を教えることにした。
「また分からないことがあったら、聞いてほしい」
そう伝えて、僕は夕食の準備に取りかかった。すると、彼女が少し困ったような顔でこちらを見る。
「何か手伝わせていただけませんか?」
色々なものを購入してくれた手前何か返したいのだろうが。僕はそれは断った。表向きは、彼女の時代にない道具を使わせないために。本心ではすべてを任せられるほど、僕は彼女を信じていなかったからだ。
彼女を席に案内し、僕は一人で調理に取り掛かるのだった。




