44. 夏至の夜
夏至の日の午後六時、まだ空は明るい。
昼過ぎから霞が原周辺に配備され、灯里たちは何体かの穢れを浄化した。でも、異常らしい異常はない。一度交代で休憩を挟み、七班は夕方、再び持ち場についた。
ビル沿いの花壇の縁に腰掛けた蒼が呟いた。
「今のところまだ融合個体にはどこの班も遭遇していないみたいですね。あの予告状、ただの脅しだったんでしょうか…。」
目の前を仕事終わりの人々が通り過ぎていく。ビルの下にあるレストランは夜の営業を始めるために、テラス席を準備し始めた。
夏至祭へ向かうのか、浴衣姿の女性たちが楽しそうに歩いている。
「どうだろうな…夏至の夜は短い。まだ"夜"が始まったとは言えないし、安心するにはちょっと早いだろう。」
橘が腕を組んで息を吐いた。
「まぁ…このまま何事も起きないのが一番だよな。」
班員たちは皆、頷いた。灯里は華やかな浴衣姿の女性たちを眺めながら尋ねた。
「夏至祭って、この辺りだとどこでやるんですか?」
「豊国神社って、ちょっと大きな神社が二駅先にあるんだけど、確かそこでやってるわね。灯里ちゃん、見たことないかしら?」
千景がタブレットで夏至祭の写真を灯里に見せる。
小さな櫓のように組み立てられた木材に火が灯り、その周りには白装束の人々が神酒を手に奉納の舞を舞っていた。
「はい、一度も行ったことがなくて。なにせ学生寮でしたし…。わ〜!綺麗ですね。幻想的!」
「口コミで有名な、美人巫女さんを見にいく人もおれば、奉納後のタダ酒飲みに行く人もおってな〜。なかなかにお得感があるんや〜。」
長谷がニコニコと続けて言った。
「オイオイ、長谷、それ本来の目的と違うだろ…。霧島、夏至祭にも"浄化"の意味合いが多少、あるんだよ。」
先生のような、橘の諭す声に耳を傾ける。
「今は形骸化していて効果はほとんどないんだが、もともと夏至祭の焚火は、その年の上半期に溜まった穢れを祓うためのものだったんだ。」
「へぇ、こういった伝統行事にも浄化が含まれていたんですね。」
感心した声を出した灯里に微笑むと、千景がすくっと立って呟いた。
「ま、昔はもっと多くの人が"穢れ"をはっきり見えていたらしいからね。…今じゃ感知できる人なんてごく僅か、そりゃ形骸化していくよ。」
「そうなんですか…。よしっ!それじゃあそのぶん、我々がしっかり浄化しましょう!」
明るい声で気合いを入れ直す灯里の微笑ましい姿に、班員それぞれの表情が和らいだ。
街灯に明かりが灯りはじめ、さきほどまで茜色に輝いていた空は、薄い群青色に近づいていた。
道行く人はまばらになり、浴衣姿の人もいなくなった。
空を見上げて蒼が呟く。
「……日が落ちましたね。」
街灯の側に立つ時計台は七時を指していた。
短い夏至の夜がようやく始まった。
ビーッビーッビーッ
突然、早川の腕についていたデバイスから警告音が鳴った。
「えっ、なになに?!うわわわわ!」
突然の警告音に早川が顔をこわばらせる。
次々に他のメンバーのデバイスからも警告音が鳴り響いた。
「ここから50メートル離れた位置で融合個体が発生したみたいだな。よし、全員で行くぞ。」
橘がデバイスの表示を見て皆に指示を出す。
皆の表情が引き締まった。
(ついに融合個体が現れたんだ…)
タタタ…と足音を響かせて、発生通知があった場所へ向かう。
大きなビルの角を曲がると、"それ"は現れた。
ギギギギィィ…
軽トラックほどもある巨大なガマガエル。その背中にはひと回り小さいガマガエルが溶けるように癒着している。そんな気味の悪い融合個体が、跳躍して灯里たちに向かって来た。
「避けろ!」
ガシッと早川を抱きかかえた橘が叫び、右へ跳んで穢れを避けた。
「ひぃぃい、こわいこわいこわい!高いいぃ!」
早川はプルプル震えながら叫び声を上げた。
他のメンバーはそれぞれ魔法を展開したり、防護壁を展開して穢れの攻撃から身を守る。
「早川は…ちょっと初めての遭遇じゃ荷が重いか…。霧島!分解魔法を当てろ!融合個体が分離したら他のメンバーで浄化だ!」
「了解です!」
灯里はサッと融合個体の背後に回ると、加護を付加した分解魔法を展開した。
「闇陣二の段、分解」
宙に浮いた紫色の魔法陣をパンッとガマガエルの背中にぶつけた。
ギャァ!という叫び声を上げて、二つの穢れに分離した。
「うーーりゃぁっ!」
大きくジャンプして長谷が大きいガマガエルを上からハンマーで叩き潰して浄化する。
分離したもう一匹は劣勢を感知したのか、ビルの影にまわり込もうとした。
「風陣一の段、疾風」
蒼が逃げようとする小さい方のガマガエルをすかさず切り裂いて浄化した。
黒い塵が空気中に霧散する。
「まずは、一体。浄化完了、だな。」
早川を地面に下ろした橘が満足気に言った。
「まっ、こんくらいなら楽勝っすよ!」
長谷が上機嫌でハンマーを振り回す。
「…ああ、一体なら、な。」
橘が暗い影が蠢くビルの谷間を厳しい目で見つめて呟いた。
つづく




