17) その先に一体……彼は何を見ているんだ!
「皆さんおはようございます!」
『おはようございます!』
「それでは今日も朝礼、KY(危険予知)活動を行いたいと思います!」
クレアモントバリー城の城壁建設の工事現場は、一種異様な空気に包まれている。工事が始まって二週間、当初は奴隷を酷使して強制労働を強いる“毎度毎度の地獄の光景”が広がるのかと思われていた。だがなんと、そこに並ばせられていた奴隷たちの瞳は生気に満ち満ちており、与えられた作業を進めようとする使命感が身体から溢れていたのである。
「ええ〜っと、積み石のストック量が減って来ており、一日作業出来るだけの絶対量がありません。よって本日の作業は三班とも河原へ移動して、石積み用の石を採取します!」
「ハイッ!」
「一班、二班、三班のリーダーは、石の採取係や切り出し係、運搬係を決めてください。そして担当が決まった方は、私の方で用意してある道具を各々(おのおの)持って現場に向かってください!」
「ハイッ!」
「役割分担を必ず決める事!そして自分の役割以外の作業に首を突っ込まない事!もし何か気付いた事や助けが欲しいと感じた事があったら、どんな些細な事でもリーダーに報告してください。絶対に勝手な判断をしないようにしてください!」
「ハイッ!」
極度の栄養失調で痩せこけて、骨と皮になった幽鬼のような姿。明日さえも分からない自分の人生に絶望する澱んだ瞳。ゾンビのようにユラユラと身体を揺らし、足元もおぼつかないような奴隷は今ここにいない。――いつ死んでもおかしくない。苦役の果てにゴミのように捨てられるのだと、かつて諦めた者の顔に生気が戻り、肌艶も若々しさを取り戻し、かつて骨と皮だけだったガイコツの身体が、徐々に精悍な筋肉を取り戻し、労働者の身体へと変貌を遂げつつあったのだ――
「そしてここからが大事なところです。今日も一日暑くなりそうです!支給された麦わら帽子を必ずかぶって作業してください!」
「ハイッ!」
「そして作業場の近くに、いつも通り“冷たい水”の入った水瓶を配置します!喉の渇きを我慢せず、作業の合間合間に必ず水を飲んでください。その際は必ず水瓶の隣に塩も置いておくので、ひとつまみふたつまみ舐めてください!」
「ハイッ!」
「それでは、毎日毎日お手伝いに来てくれてる方に挨拶しましょう!」
木箱に乗って一番高いところから声を発していたラルフレインだが、彼の背後からおずおずと二人の女性が彼の隣に並ぶ。どうやら多くの視線に晒される事に照れているのか、頬は紅潮しちょっぴりうつむき加減。
「この工事の協賛をして頂いており、作業用具や作業服を用意してくれた、アンナマリア道具店のアンナマリアさんです!」
「本日もよろしくお願いしますっ!」
「そして皆さんの朝食、昼食、夕飯を作って頂いている、メイドのクラリッタさんです!」
「いつもいつもありがとうございます!本日もよろしくお願いします!」
命令や怒号が飛び交うような軍事訓練のキャンプとまではいかないものの、まるで体育会系の異様な雰囲気を醸し出すこの集会。ラルフレインを前に整然と並ぶこの奴隷たちを、悩ましい苦悶の表情で見詰める者たちがいる。そう、この奴隷たちの実際の主人である貴族たちだ。
その場にいるのはユリウス・ホルンガッハ子爵とその子弟が三人。そしてルーデンフェリト子爵とその従者で合計六名。老齢のホルンガッハ子爵は“デン”と構えて堂々と眺めてはいるものの、それ以外の者たちはまるで七変化のように、表情や顔色をコロコロと忙しく変えていた。
「叔父上、叔父上。……このままこれを黙認して良いのでしょうか?」
額から脂汗を垂らしながら子爵に詰め寄るのは、ユリウスの甥にあたるオリヴァン・ホルンガッハ。若くして息子を亡くしてしまったユリウスは、弟の息子であるオリヴァンを後継者に指名した後に、こうやって自分に付き従えさせては、一族を率いるための帝王学を学ばせていたのである。
「叔父上、叔父上!これではもう奴隷ではなく、奴隷階級の戦士……兵士ではないですか、私兵集団じゃないですか!も、もし反乱でも起こしたら」
「動じるなオリヴァン、奴隷たちは反乱など起こさんよ」
――見ろ、奴隷たちのあの輝いた目を―― オロオロと慌てふためく甥を諭すように、ホルンガッハ家の家長は穏やかに語り始める。
「奴隷たちは自らの生きる範囲と言うものを身に染みて知っている。泥水のようなスープとカチカチのパンで飢えをしのぎ、足首に繋がれた鎖で逃げ出す事も出来ないまま、命尽きるまで苦しい労働を重ねるのが自らの人生だと悟っている。奴らは自分たちが主人の所有物だと刷り込まれてるんじゃよ」
ユリウス・ホルンガッハは更に言葉を続ける。鎖に繋がれた人生の中で朽ちて倒れる者、逃げ出して殺される者。そう言う者たちの最後を見て来た奴隷たちは諦めの感情よりも先に、主人の所有物としてどう生きるかが見えてるんじゃ。だからあの奴隷たちは逃げん、そして反乱も起こさん。先ずは【美味いメシを食わせてくれる主人】に従える事が奴隷たちの喜びに変わる。そしていつ死んでもおかしくない危険な作業を、徹底して安全な作業に変えれば、おのずと奴隷たちの【死生観】も変わって来る。
「この主人に従っていれば、俺たちは奴隷の中でも最上級の生活が約束される。奴らはそれを望んでラルフレイン殿に従っておるのじゃ」
「今は、今はそれでも良いかも知れませんが……。叔父上、工事が終わって我ら一族に奴隷が返却されても、我らを揺るがす不安要素ではありませんか!」
オリヴァンの主張も理解は出来る。どこでこれだけの資金を手に入れたのか、ラルフレインはこの奴隷たちに多額の資金を注入しているのだ。質素ではあるが栄養豊富で腹一杯食べられる食事、用意した作業服は半裸や裸の露出状態による怪我を防止した。熱中症の予防だと言って魔道具で精製する雪解け水のように冷たい冷水と、この地域では高価な塩。これらをジャブジャブとラルフレインは奴隷に与えて、奴隷たちはそれに答えるように結果を出し始めているのだが、いざ工事が終わって貴族たちにその奴隷を返却されたとしても、【火種】以外の何ものでもないのだ。
「工事が終わった後の奴隷の処遇。それはワシに任せろ、一案はある。それよりもオルヴァン、貴様は感じないのか?」
「か、感じる?一体何の事でしょうか?」
「見比べてみよ、あのオストレーム城とこの幼稚な城壁の差を。そしてラルフレイン殿が新たに作り始めたこの城塞の見事なさまを」
老齢の叔父に促されて視線を上げる。
「もう七十年くらい前になるじゃろうか。辺境、人類国家の最外縁として、当時の門外不出の技術を注ぎ込んで、あのオストレーム城は建てられた。その後我ら地方貴族が築き続けた城壁の何と未熟な事よ。あの立派な城と我々貴族が作り続けたグニャグニャの城壁、そしてラルフレイン殿が手掛けたまるで神殿のような整然とした城壁。貴様はそれを見て何か感じぬか?」
「……確かオストレーム城は皇都のお抱え石工の秘術により建てられたと聞いております。叔父上、まさかラルフレイン殿はその秘術を知っていると?」
「阿呆、知ってるから今やっとるんじゃ。問題はそこじゃない。ラルフレイン殿は皇都の皇帝お抱え石工しか知らぬ秘術・技術・知識を、単なる奴隷に惜しげもなく与えている事になる。この意味が分かるかの?」
ユリウスの甥っ子、次世代のホルンガッハは叔父の真意に気付いたのか、顔面蒼白となって「そんなはずは」とうわ言のように呟き続ける。
「つまりは奴隷解放?いやそれだけじゃない、貴族社会の破壊、階級社会をぶち壊そうとしてるのか?あの若者はそこまで覚悟してやってるのか!その先に一体……彼は何を見ているんだ!」
自分が認める最低ラインに、やっと後継者がたどり着いた事に苦笑いする老人。そう、ホルンガッハの老当主は既に、ラルフレイン登場による時代の変革を肌で感じ取っていたのだ。
「オリヴァン、ワシはもうそんなに長くない」
「お、叔父上?」
「ラルフレイン殿がこれから先どう生きて行くか、老いたワシがその結末を見る事は叶わぬであろうよ。だからオリヴァン、貴様が彼を見届けろ。……今の辺境伯にやっと誕生した第一子を祝うため、幼い皇帝陛下が名付け親となったのだ。それがたとえ幼な子の戯れだったとしても、ラルフレイン殿に分がある事に間違いはない」
(叔父上は言葉を濁しているものの、これはつまりラルフレイン殿を次の後継者として支えよと言っている。彼こそが正統なる跡継ぎであり、正義は彼にあると)
「叔父上、不肖な私ではありますが、“帝国貴族”の末席に名を連ねるべく、以後も精進いたします」
オリヴァンのこの決意表明に老子爵は、長い白髪眉毛に目が隠れてしまうほどにニッコリと微笑む。目の前の甥が、我が真意を得たのだと満足したのだ。だがその老人の裏表の無い笑顔はサッと消え去り、いかつい表情へと様変わりする。叔父と甥の意思疎通は果たしたとて、まだ問題は山積みなのだと現実に引き戻されたのだ。
「奴隷たちの信頼を勝ち得て、まるで神々の為せる技のような見事な城壁を築いて行くラルフレイン殿。快進撃であるのは見ていて痛快じゃが、このままでは終わらん。そのうちひと波乱あるぞ」
「そうですね、今回は“奴隷が一人も死んでいない”。そう言う事ですよね、叔父上?」
「うむ。あの悪どい奴隷商人たちが黙っているはずなかろうて。傭兵まで雇って奴隷狩りをするような連中だ、奴隷を大切に扱うラルフレイン殿が面白い訳なかろう」
「最悪の場合、実力行使に出るかも知れませんね」
「ふむ……」
奴隷たちの【朝礼】を見守る中、老ホルンガッハはラルフレインの両隣りに視線を向ける。そこには照れ臭そうにうつむく二人の女性がたたずんでいる。
(まだワシが若い頃、武者修行の旅に出ていた時じゃったか、旅先の酒場で吟遊詩人が歌っていたの。……猩々緋の魔女と月白の凶戦士の伝説。奴隷商人たちが荒事を仕掛けたとて、ラルフレイン殿なら切り抜けるかも知れんの)
猩々緋の魔女、猩々緋とは、伝説上の魔獣猩々の血の色を指し、狂気的なほどの情熱を秘めた赤色を表現する際に用いられる。
月白の凶戦士、月白とは、東の空に月が昇る際に空が白む表現。わずかな青みを含んだ静寂の銀白を表している。
若かりしユリウス・ホルンガッハを前に、吟遊詩人がどう歌い上げたかまでは定かではないが、今目の前にいる二人の女性と、吟遊詩人の詩が符合した時、彼は簡単に納得してしまう。
ラルフレインに対して抱いた今後の心配、つまり奴隷商人たちの画策により起こるかも知れない暴力沙汰の予感が、この女性たちが介入する事で簡単に解決する。つまりは老人の単なる杞憂に終わるだろうと確信したのだ。
「それでは皆さん、最後に安全の唱和をお願いします。指差し呼称ヨシ!」
『指差し呼称ヨシ!』
「指差し呼称ヨシ!」
『指差し呼称ヨシ!』
「指差し呼称ヨシ!」
『指差し呼称ヨシ!』
「今日も一日、ご安全に!」
『今日も一日、ご安全に!』
ラルフレインだけでなく奴隷たちも声を張り上げ、やがて朝礼……KY活動は終わりを迎えた。
晴れ晴れとした顔つきで移動を始める奴隷たちだが、もう彼らが自らを奴隷だと自認するような卑屈な空気は漂っていない。それはもはや労働者、いや作業員としてのプライドに満ちた表情で胸を張っていたのだ。
奴隷を奴隷として使い捨てにせず、栄養満点の食事を満足するまで提供し、着る物から道具から支給してさらに、危険なアクシデントが起きないように安全と健康まで配慮する。その先に神々しいばかりの建築物が成果として輝いているならば、うつむいてばかりいた奴隷も前を向くのだ。
――時代は変わる!――
――新しい風が吹いた!――
良かれ悪かれ、その場にいた全ての者が、理屈ではなく肌でそれを感じていたのである。




