15) 老人の楽しみ
辺境伯との騒動が起こったその日の夕方。クレアモントバリー郊外にあるラルフレインの自宅は騒然としている。城で定例会議があるからと、朝方元気に出発していったはずのラルフレインが、顔をパンパンに腫らせて自宅に担ぎ込まれたのだ。彼の帰りを待っていた者が驚かないはずはない。
「坊ちゃん、坊ちゃん!目を覚ましてください!」
洗面器に冷たい井戸水を入れ、浸したタオルを掴むクラリッタは心配そうにラルフレインを見守る。彼女が今直接的に介護出来ないのには理由がある。“異変の知らせを受けた”アンナマリアが電光石火の勢いで駆けつけて、ぐったりと横たわるラルフレインに向かい回復魔法を唱えていたのである。
「大地母神ダーヌの御心に抱かれし者よ、命芽吹きし豊穣の途にある者よ、再びその鼓動に力を込め咲き誇れ……リヴァイタライズ」
ラルフレインの部屋には四人。気を失ったままベッドに横たわるラルフレインと、彼の使用人であるクラリッタ。そして道具屋のアンナマリアに、血相を変えてラルフレインを運び込んだホルンガッハ子爵がいる。ホルンガッハは一人で訪れたのではなく、外ではホルンガッハ家の一族が待っている。子爵がたった一人でクレアモントバリー城からラルフレインを連れ出せる訳は無く、気を失った少年を彼の一族で気遣いながら送り届けたのだ。
「見てクラリッタ、顔の腫れがひいて来た。後に残りそうな傷も無いし、男前のまんまよ」
「坊ちゃん、良かった。……一時はどうなるかと」
「たぶん顔に衝撃を受けた事による脳震盪だと思うから、安静にしていれば目が覚めるわ」
アンナマリアの言葉に目を潤ませ安堵するクラリッタ。その背後でホルンガッハも呪縛から解き放たれたかのようにホッとひと息ついた。
意識を失ったラルフレインを担ぎ込んだ際に、ホルンガッハ子爵は事の全てをクラリッタに話した。きっかけとなった辺境伯の無茶な命令、それに対して反抗したラルフレイン。その結果腹を立てた辺境伯が剣を手に立ち上がった事。……その辺境伯の表情には、驚くべきほどの殺意が満ちていた事。――ホルンガッハは辺境伯の行動を止めるため、自分が憎まれ役となってラルフレインに暴行を加え、辺境伯の機先を制して狂気を諌めたのだと打ち明けたのである。
嘘隠し無く真実を伝えたホルンガッハ子爵ではあるが、そうは言ってもやはりラルフレインが気を失うほどに殴り続けた事に間違いはなく、居心地悪そうな表情で申し訳なかったと謝罪の言葉を繰り返している。ちょうど施術が終わったアンナマリアは、ラルフの汗を拭いて欲しいとクラリッタに頼み、ホルンガッハ子爵を見た。
「子爵様、この度はラルフの味方となって奔走して頂き、まことにありがとうございます」
「いやいやお嬢さん、そんなに頭を下げんでもよろしい。ワシは筋を通しただけよ。たとえ田舎の冴えない弱小貴族であろうとも、帝国貴族としての誇りはある。皇帝陛下が名付けた子を守らんで何が帝国貴族か、とね」
「さすが武門の誉高きホルンガッハ家の御当主様にございます。今後とも何卒ラルフレイン様にお力添えを」
もう日も暮れて来た事だし、ラルフレインは無事でその内目を覚ますだろうからと、恐縮しながらアンナマリアは老人に帰宅を促す。老人子爵もこれ以上長居しても家人に迷惑をかけるだけだと席を立った。
「子爵様、この度はありがとうございます。外までお見送りさせていただきます」
冷たい濡れタオルをラルフレインの額に乗せて、クラリッタがいそいそと子爵の後に続く。玄関扉をギイイイと開ければ、彼方の山々の稜線に太陽の赤い残り香があるだけ。庭の先にはホルンガッハ家の子弟たちが松明に明かりを灯して主人の帰りを待っている。
「……ふむ……」
見送ろうとするクラリッタの視線を背中に何か思い出したのか、老人はピタリと足を止めて振り返る。
「確か亡くなったディートリンデ様が辺境伯へ嫁ぐ時、道中の警護役を我が一族が仰せつかったのだが」
「…………」
「ディートリンデ様のお付きの者が二名ほどいての、一人はうら若き少女で銀髪の剣士。もう一人は情熱的な赤髪の魔女。はて?ワシの記憶が定かではないのか、それとも目の前の汝らが」
その時ホルンガッハはギョっとする。目も見開いているのかすら分からないシワだらけの顔から、目ん玉だけが飛び出したかのようにクラリッタを凝視したのだ。――そう、何かに気付いたホルンガッハを前に、クラリッタは殺意を込めた瞳を爛々と輝かせながら、口元に邪悪な笑みを浮かべていたのである。
「どうするねお嬢さん、ワシを殺す積もりかの?」
「いえいえめっそうもございません。ひとえに感嘆していたのでございます。さすが武門のホルンガッハ家、日々の精神鍛錬を重ねれば、アンナマリアの記憶干渉魔法を打ち破るなど容易いのだと」
「そうかのう?その割にはワシを斬り捨てたくてしょうがないような顔をしていたぞ」
「そ、そ、それはあくまでも個人的な事にございます。“ラルフレイン様”のお顔を殴った事につい……」
「ついワシを殺したくなったと?」
ホルンガッハはしわがれた声でカッカッカッと笑う。クラリッタはラルフレインへの好意を見透かされたと感じ、頬を赤らめて俯いてしまった。
「本人を前にしては“坊ちゃん”と呼び、本人の知らないところでは“ラルフレイン様”と呼ぶ、か。なかなかに深い理由がありそうじゃが、ワシはここらにしておこう」
「恐れ入ります。しかし子爵様、子爵様は我らが人ならざる者だと気付いたのに、何故怖れないのですか?普通の人間ならば……」
「いやなに、若い頃武者修行の旅に長らく出ていてな、色んな者に出会ったのじゃよ。エルフや獣人などは特に交流を持ったし、亜人との垣根は低いと自負しておる」
――人間と見分けの付かない様相でありながら、長命且つ魔力を駆使する。そうさな、お嬢さんたちはさしずめ魔族と言ったところかの?――
ホルンガッハのこの考察が、口から出る事は無かった。何故ならば屋内からアンナマリアの呼ぶ声が聞こえ、二人の会話は唐突に終了してしまったからだ。
(クラリッタ、ラルフが目を覚ましたよ!)
「あっ、あっ!」
「行っておやりなさい、お嬢さん。いずれにしても辺境伯の命は下った。今年はラルフレイン殿を監督として、ホルンガッハ家を含め数名の貴族とその一族で城塞の建設を行う事が決定しておる。改めてご挨拶に伺うよ」
ホルンガッハはその言葉を最後に踵を返し、帰りを待つ一族の元へと歩き出す。クラリッタは老人の背中に深々と一礼し、慌てて主人の元へと駆け出して行った。
ラルフレインの思慮に足りない一言から端を発したこの騒動。彼の能力と新たな理解者の尽力を持って、何とか致命傷や命の危険を脱する事に成功した。だが問題はむしろこれからなのだ。
ラルフレインの前に立ち塞がるのはまさに「責任」と言う名の大きな壁。今までやった事の無い大規模工事の監督を押し付けられ、上手くやって当たり前、失敗すれば今まで以上の侮辱を受ける事になるのだ。――実の父から、義理の母と妹から、そしてそれらの取り巻きとなった下品な地方貴族たち。彼らの下卑た期待を上回る成果を出さなければならないのだ。
「魔族に護られた人の血統……。あの少年がどう化けるか、楽しみではあるのう」
一族と共に馬を駆る老人は、自分にしか聞こえない程度の言葉をポツリと発し、そして己の領地へと帰って行った。
◆ オレは僕で、僕はオレ 編
終わり




