13) 彼女たちの期待
剣の柄に手を添えて迫り来る辺境伯。それがブラフなのかそれとも真剣に斬りに来ているのか掴めないまま、ラルフレインは絶体絶命の窮地に立たされている。だが不思議な事に彼自身が暴走を始めており、それはもう辺境伯どころの話ではなく戸惑っている。――もちろんその暴走とは、彼の肉体的な暴走ではなく思考力の暴走である。刹那の瞬間、何十何百何千通りの状況予想と取るべき選択肢が彼の脳内に溢れ出し、その一つ一つを吟味すると言う恐るべき作業を行い始めたのであった。
ちょうどラルフレインが思考暴走を始めた頃の事。場所は変わり彼の自宅には、珍しい客が訪れていた。それはラルフレインに会いに来たのではなく、彼が不在の間にとメイドのクラリッタに会いに来た様子で、どうやらクラリッタと共通認識を持った上で、農地など敷地の周辺や森の中で何やら怪しい作業を行っていたのである。
「いやあ!終わった終わった。時期が時期だからさすがに暑いわね」
クラリッタが昼食の仕込みを始めている中、玄関の扉を荒々しく開けて、ズカズカと入って来たのはアンナマリア。灼熱のような真っ赤な髪が印象的な道具屋の女主人だ。
「ご苦労様、アンナマリア。今お昼ご飯作ってるけど、食べてくでしょ?」
「わあっ、ありがたいありがたい!どうも私は自炊の才能無くてねえ。人が作ってくれる食事は大歓迎よ!」
「アンナマリア、あなたその格好で食べる積もり?汗びっしょりで気持ち悪くないの?」
クラリッタが呆れ顔になるのも無理はない。どうやらクラリッタからの依頼で外仕事をしていたアンナマリアは、初夏の気候に身体を晒して全身から汗を吹き出していたのだ。大量の汗を吸った綿生地のシャツやパンツが見事な肢体にぴったりとくっついて艶めかしくもあり、クラリッタは先に裏の井戸水で汗を流せと促したのだ。
「まだお昼が出来上がるのには多少時間かかるからちょうど良い。着替えとタオルを用意しておくわ」
「ありがとう!でも着替えを用意してくれても、私に合うかしら?」
悪戯っぽい笑みを口元に浮かべながら、何とアンナマリアはその場で服を脱ぎ出し、あっと言う間に全裸になってしまったではないか。更にここぞとばかりに重力に逆らうような豊満な胸をクラリッタの目の前で揺らして、その大きさをアピールし始めたのだ。クラリッタが鼻白まない訳がない。
「あんた!わざわざここで脱がなくても良いじゃない」
「いえいえ、着替えを用意してくれるって言うから、あなたの服のサイズだと破けないか心配で。先にこの圧倒的な差を認識してもらった方が良いかなと」
豊満な胸をプルプルと揺らし、カラカラと笑うアンナマリア。一方のクラリッタはメイド服を着ているのに両手で胸を隠し、顔を真っ赤にして怒っている。
「そう易々(やすやす)と服を脱いで自分の身体を人目に晒すなんて異常よ!何考えてるのかしらこの淫乱処女は」
「いやいや、美の芸術はむしろ人に見せるものなのよ。それが分からないのかな?ムッツリ処女は」
やけに処女を強調しながら互いに毒付く二人ではあるが、そのけんけんとした言い争いの根本に嫌悪や憎悪は無い。まるでそれは長年連れ添ったかのような、信頼感の元で憎まれ口を叩く夫婦のようにも見えた。
――何やらこの二人には、他人が割って入れないだけの絆がある――
見る者がいればそう感じるであろう光景はやがて、クラリッタが苦笑いを浮かべながら風邪をひくぞと言いながらタオルを投げつけ、妖艶な喧嘩相手を井戸へ追い出す形で終了した。
しばらくののち、用意出来た昼食を囲む二人。メニューは鶏肉と色んな野菜を煮込んだ塩スープとパン、それにカットしたチーズ。この時代この地方においては精一杯のご馳走である。さっきまで勢いよく口喧嘩していた二人だが、今となっては何も無かったかのように上機嫌でテーブルを囲み、ニコニコご馳走にありついていた。
「クラリッタ、作業の報告だ。結界の強化はしておいたからこの先五年は心配ない。それと、今回は対神霊攻撃用防御結界の外に反応陣を張っておいたよ」
「は、反応陣?」
「反応陣と言うか、正式にはウィスラー感応型式散陣だな」
「ウ、ウィスラー感応型?式散陣?」
「大魔女メル・ウィスラーが発明した術の一つさ。悪意や殺意など、害意を持つ者が陣に入ると無数に配置してある小鳥を模した式神が知らせに来てくれる。今回は異常を感知したら君に知らせが来るようにしてある」
「……なるほど、だからさっき私の髪の毛をつまんで引っこ抜いたのね。先に言いなさいな」
「あはは!すまんすまん、最後の最後まで陣を張るか悩んでたからな」
硬いバゲットをちぎり、スープに浸して口に放り込む。勢いよくその作業を繰り返すアンナマリアを前に、何かに気付いたクラリッタは顔を近付けながら声のトーンを落とす。
「ねえ、防御結界では足りない状況が来る……あなたはそう予想してるのね。だから術を増やして土地の強化をしたんでしょ?」
「ああそうだね、その通りだよ。だって君も気付いているだろ?ラルフレイン様の態度に変化が現れた。それが子供から大人への成長なのか、それとも別の要因なのかは分からないが、変化があればそれは本人だけにとどまらない。ラルフレイン様の存在が外の奴らに気付かれない保証は無いからね」
「そうね。雷に打たれて倒れた頃から、ラルフレイン様は変わった。明るく天真爛漫だった性格が変わり、おとなしくなったわ。いえ、おとなしいと言うよりも、静かに世界を凝視しているような」
「クラリッタ、君はどう思う?“血脈の夜明け”は成されたと思うか?」
「……いいえ、それはまだだと思う。まだラルフレイン様にその鳴動を感じる事は出来ないの」
「そうだな、私も感じる事は出来ない」
「むしろあの方の性格の変化は、もっと別の要素なのだろうと思ってる。大人びたと言うよりも、何か……何だろう?何か悲しみを背負っているかのような」
「うむ、だが性格上問題がある訳ではなさそうだからな、むしろ男前が上がったと思ってるし、私としては大歓迎だ。……いよいよ男性継承者の時代が来たのを実感して、私はゾクゾクしているよ」
「ああっ!アンナマリア抜け駆けはダメよ!夜伽の順番は私が先なんだからね!」
「分かってる分かってるよ、夜伽の順番は守るよ、君への恩は忘れてないからね。とにかく我々にとって長年の悲願。初めての男性継承者なんだ。話がややこしくならないよう気をつけないとね」
「分かってるなら良いわ。……それはそれとして、今後は細心の注意を払わないとね」
メイドのクラリッタは普段、ラルフレインの事を「坊ちゃん」と呼んで彼に仕えて来た。
道具屋のアンナマリアは普段、ラルフレインの事を「ラルフ」と呼んで弟のようにかわいがってきた。
その二人が顔を合わせると、何故か彼の事を最上級のうやうやしさをもって「ラルフレイン様」と呼ぶ。そして彼の存在を長年の悲願と評しながら、彼との今後に期待を膨らませているではないか。何やら頬を朱色に染めながらだ。
ラルフレインは今、彼自身窮地に立たされながらも自らの運命を変えようとあがいている最中なのだが、それに合わせるように……まるで呼応するかのように、彼を取り囲む者もまた動き始めていたのだ。――大いなる秘密を抱きながら




