第95話 雪の兆し
ユリウルス暦 886年 ㋁ 28日
一行は静かな旅に耽っていた。荷馬車に揺られ、陽光は春が滲みつつあった。ウラジミールはその荷馬車の淵に乗りかかり、ぼんやりと来た道を眺めている。そして、小さなモンシロチョウを指に止めていたりとしていた。ロキを挟んでその隣に、ウラドは座っていた。ウラドは、御者台に座っていた商人から借りた新聞を読んでいた。その新聞には、やはり大聖堂での一連の記事で埋め尽くされていた。
『錬聖戦争と称される大戦争の歴史は、アジャマール率いる護衛魔導士の活躍により終わりを迎えた。法王は、今回の戦争に関してはアジャマール率いる護衛魔導士への褒美にくわえ、現地の人々への――――』
彼は少しむすっとした表情になった。ウラジミールはその新聞を覗く。子供が親のしていることに興味津々な様子に思えた。ウラドは乱雑に、新聞を畳む。
「これで、錬金術師が歴史における敗北者っていいのは、決定的なものになった。」
「なぁ、俺らのことないの?」
彼は素っ気なく答える。
「ないよ。」
ウラジミールはぐねりと体をひねらせると、猫の様に腹を空に見せ寝転がる。そのままゴロゴロと転がって行き、テナナの足元まで転がった。彼女の少し褐色ではあるが、生娘特有の柔らかい肌が、彼の頬に触れる。だがお互い気恥ずかしくなることもなかった。ウラジミールは少し小声で聞く。
「なぁ、テナナ。俺達は護衛魔道士のままなんだよな?」
子供の様にひっくり返っては、尾で軽く荷馬車の荷台を擦る。テナナは彼を見下ろしながら、少し目を丸くして言う。
「貴方は多分もう違うけど、私達はそうよ。」
ロキを一瞥し呆気もなくそう言うテナナを見つめながら、ウラジミールは思いっきり起き上がり尾を立たせた。目をまん丸に見開き、鱗も逆立っている。
「え!!?じゃ、じゃあ旅に同伴するのは?!」
テナナは少し間を置き、はぁ、と深く溜息を吐く。
「一応、新しい赴任先が西だからだけど。そういう指示はないわね。」
ウラジミールはそのまま生返事で寝転がる。一方ウラドはそのまま気にすることなく、麻袋を開いた。
「路銀は少し辛いな。」
シモンが言う。
「皆で出し合えば行けるんじゃないの?そこまで皆困窮してないよ。」
「いや、そうなんだけど、ここに食いしん坊がいるから――――」
ウラドは少し下を見下ろす。不安というよりかは呆れに近い視線の先には荷馬車の真ん中に横たわり、呑気に伸びをするウラジミールがいた。彼は細目でじとーっと見つめるウラドに、頬を膨らませて威嚇した。だが微動だにしない彼に静電気をぶつけると、そのままばつが悪そうに起き上がり、ロキの隣に隠れるように座り直した。ぽかぽかな陽気にウトウトしているウラジミールを他所に、御者台のほうから酒焼けした初老の声がした。
「なら、『エッグスト』を探すことだな」
アルバートは身を前のめりにして御者台の背を見る。
「なんだ?それは?」
「あぁ――――集落だよ。亜人とかがたくさんいてよ。あそこは珍しいんだよ。亜人とかが今どき北のあたりに暮らしているからよ。一体、何の秘訣があるんだがなぁ」
シモンとアルバートは少しハットした様子で顔を見合わせた。ガタガタと揺れる中でも、初老は軽く笑いながら、手綱を引く。御者台はガタっと止まる。皆は少し体勢を崩し、横に傾く。ウラジミールはそのまま横に倒れひっくり返った。ウラドは辺りを見回す。先ほど来た道のほうではだいぶ天気が良く、青色の空も少し見える。眼前も同様であった。少し風も冷たく、強くなりつつあった。
御者台の初老はこちらを見下ろしながら、肩を縮こまる。
「このあたりにぁ天気も荒れがちだ。気ぃつけな!!」
気前よくそう言い残し、初老は手綱で馬を叩く。荷馬車はガタガタと去って行った。ウラジミールは鼻をすすり、荷馬車へ手を振った。
「雪降るのかぁ?」
シモンはニコニコと上機嫌そうに言う。
「山の上だからねぇ。雪合戦とかできるんじゃないか?」
「雪嫌い――――」
シモンは和やかそうに彼を見下ろすと、懐かし気に彼の頭を撫でた。一行はそのまま、眼前の山間の道へと進んでいった。
眼前の山は雪をヴェールのようにかぶっている。だがしかし、この山は凍てついた花嫁だ。この山に入り、何人もの人間が、この山に求婚され帰ってこなかった。山中で幸せにやっていれば幸いであろう。一行は山を登り始める。この山を越えれば、恐らくは集落があるのだろう。どのみち、山を越えねば西へ行くための都市には到着できない。山道は急勾配で、皆々手を取りって歩いていた。だが、山の山頂付近になると、シモンが突然胸を手で押さえながら、蹲る。ウラジミールとアルバートは彼のそばにしゃがむ。
「どうした?シモン。」
アルバートが彼の背中を摩りながら尋ねると、彼は肩をすくめ、苦しそうに言う。
「――――寒い――――心臓がにぶくなっていく。」
ウラドは恨めしそうに言う。
「最悪だ。」
シモンは辺りを見回す。先ほどまで来ていた山道は真っ白で何も見えない。状況を理解するよりも先に、大吹雪がこちらに目隠しをした。ゴーゴーと風が吹き荒び、一気に皮膚を突き刺すような冷気が吹き付けてきた。彼らはほぼ同時に一か所に固まる。ウラジミールは叫ぶ。
「吹雪いてきたぞ!!洞窟とかに入らないらねぇと!!」
ロキはウラジミールを引き寄せる。
「非推奨。下手に動いたら、遭難しかねない。」
ウラジミールはロキにしがみ付き、半分べそをかきつつあった。ロキはテナナを抱きしめるようにしつつ、全員を抱き込んでいる。ウラドはこの時、ロキの堅い腕の中で、思考を巡らせる。シモンは蛇の亜人だ。恐らくは急な冷気で体温調節ができなかったのだ。ここら一帯は悪天候になりやすい。だが、誰もその兆候に気がつかなかった。あの時、あの時の様子は、空はまだ雲が少なかった。
その時、彼はハッと目を見開く。
「これは吹雪じゃない。」
ロキは彼を見下ろす。
「どういうことだ。」
「あの時、空には薄い雲がなかった。山では天気があれる時には特有の雲があるんだ。」
「確かか。」
「僕は山岳で暮らしてたんだ。覚えてるとも。山間で暮らしてる民族なら皆知っている。」
ロキは吹雪で髪を乱しながらも、少し天を仰ぎ頷いた。テナナもその話を聞き、何度か小刻みに頷く。ロキが言う。
「凍てつかせる魔法か。」
だが、間髪入れずにテナナが言う。
「でも、魔力痕がないわ!!」
「では、魔法ではない。」
ウラドは少し目を泳がせる。魔法であればすべて痕跡が残るはず。ひとまず、体温を維持するための最善を尽くさねば。そう考えた矢先、ウラジミールはキョロキョロと首を回し始めた。アルバートは青白くなりつつあるシモンを強く抱きしめる。その時、シモンはみるみるうちに小さく成っ育。やがては強風に服の身が残ると、アルバートの腕を伝い、赤い蛇の尾が彼の服に中へと入りこんでいった。アルバートは僅かに熱の魔法を出して全員を温めていた。その影響かうちくぼんだ瞳に疲れ切った青い顔色で、ウラジミールに叫ぶ。
「おい――――!離れるな!」
「いや!なんか、なんかいる――――気がする!!」
「どういうことだ?!」
ウラジミールは何も言わずに、輪から抜け出す。そして、吹き荒れる吹雪の真ん中に立ち尽くす。そして、目を閉じる。耳を貫通するほどの風の轟音が、徐々に弱まり、静寂が生まれ始める。背後には大きな人の気配がする。これは――――ウラドたちだ。山間の輪郭が、雪と風のぶつかり合いで感じ取れる。それらが一本の金糸のように引かれ、闇の中で引かれる。だが、それ以上の気配は感じ取れない。ウラジミールは雷をバチバチと鳴らす。
「――――奔れ。」
刹那、黒い雷があちこちに奔りだす。山の輪郭、雪の吹雪さえも掻き切った。岩肌、凍った川にぶつかりながら、更にぶつかっていくと、何か、妙なものにぶつかった。岩でも雪でも、ましてや川ですらないもの。ウラジミールはその妙なものに『命の気配』を感じ取った。最小限の気配、最早無いに等しいほどのささやかな気配だった。彼は右側の、ウラドらがいる方の上の絶壁に近い岩肌に向かって、思いっきり叫ぶ。
「おーい!!俺たち悪者じゃねぇーよぉぉ゛!!吹雪かせるのやめろぉぉ゛!!」
跳ねながら、彼は手をぶんぶんと振った。他の皆は少しどよめきながら上を見た。真っ白でノイズかかったような風景の中に、次第に確かな気配を感じた。魔力では感知できないものの、そこに存在するという感覚は理解できた。まるでティナのようだった。吹雪の中に黒い人影がすっと現れる。ここからでも長身で体格の良い男であるというのはすぐにわかった。人影は上から、谺のようにウラジミールに語り掛ける。
「何奴だ。」
「ウラジミール!ウラジミール・バロックだ!!」
男の声は低く、のっそりとした重みのある一声であった。若々しいウラジミールの声が高く感じるほどに。すると、スッと人影はとこ化に飛んで消えた。皆があちこちを見回す。
ドォォォン――――!!
ウラジミールの目の前に大きな壁が立ちはだかる。着地の衝撃で、雪は辺りに飛び散る。ウラジミールも顔面に引っ付いた雪を、首を振って薙ぎ払う。ウラジミールはそのまま目の前の肉壁を見上げる。2mはあるであろう大男を前に、ウラジミールは口を丸く開けて硬直する。男は刈安色の長髪を風で靡かせ、黄膚色の鋭い眼差しでこちらを見下ろしている。ウラジミールはゆっくりとつばを飲み込む。男はよくよく彼を見つつ、また重苦しく言う。
「バロック――――あれの倅か?」
ウラジミールは戸惑いつつも、何度か頷く。
「あ――――あぁ!そうだぞ!雷だって出せるぞ!!」
「雷?」
男は一瞬目を歪ませ、首を傾げる。ウラジミールは掌を出し、パチパチと静電気を出す。紫を帯びた黒い雷が小さく跳ねていた。男はそれを見て、ウラジミールの前に膝く。それでもなお慎重さがあるので、彼は少し前のめりになって彼の目を見る。
「確かに――――似てるな。」
男はゆっくりと立ち上がる。キョトンと立ち尽くすウラジミールの頭を、彼はぐしゃぐしゃと撫でる。男は黙って振り返ると、上の山に向かって人差し指のみでクイッと招く。すると、途端に風が弱まり、雪も鎮まり始めた。あれほどにも荒れ狂っていた天気が落ち着き、光の筋が差し込んできた。ウラド達は肩や頭に雪を被りながら、青い空を見あげた。胸がスっと軽くなる心地と、心臓の鼓動が収まる気配を感じ取った。
頭上の方から、ボフボフと雪を踏み岩肌をおりる音がする。振り返ると、白熊や兎、狼などの獣人や亜人が杖や剣を構えながらこちらに向かってきた。テナナとロキは武器を握るが、ウラドが手を横に向けて制止した。彼は素っ気なく、しかし強い声で言う。
「君達、この山を縄張りにしてるんだね?僕達はここを超えて西に行きたいだけだ。通してくれ。」
その時、狼の男が凍てつく青い目で射殺すように見る。そして、腰の短剣に手を掛けつつ唸る。
「無理だな。」
「どうして?」
「ここから先山は続く。ここらは本当に春が来ぬ限り、雪で荒ぶる。」
ウラドは軽く唇を噛む。男は、頭を撫で回しながらウラドの方だけを向いた。
「それまで、ここにおるが良い。人間共。」
皆は一斉に男の方を見た。シモンも、アルバートの胸元の襟から顔を出し、真っ赤な鱗とぱっちりとした目を見せている。男はそのまま、体をこちらに向ける。筋肉質な肉体と、どっしりと据えた笑みは、まさしく長としての威厳さえ感じ取れる。
「我が名は景寧。風荒龍である。此度案内するは我らの地、エッグストだ。」




