第90話 止めよ
ウラドは瓦礫で倒れ掛かった壁に向かって、驚愕の面持ちを見せていた。喉からの掠れた呼吸は、辺りの轟音でかき消されている。彼はふと我に返り、辺り見回す。ヒューンと間延びした砲撃音が谺している中、ウラドは物陰に身を隠しながら大聖堂へ繋がる大通りを覗き見る。あたり一面に死体が転がっている。
「――――?」
ウラドは背後からの魔力を感じた。薄っすらとした布のような魔力だった。轟音を背後に振り返ってみると、ゆっくりと足を引きずりながらギルレンスがこちらに来ていた。見たところ何かけがをした様子もない。土汚れがひどく、魔力もかなり消耗している。ウラドは少し眉間にしわを寄せ、不思議そうに彼を見つめた。
「君、こんなところに来て平気なのかい?」
ギルレンスは相当疲れたようで、大きく一呼吸してから、俯いては、前を見た。
「あぁ――――けが人を治療していたんだ。ヨルファネーゼ君には、辺りの鎮圧に向かってもらってはいるが――――大聖堂で何があった?」
「カイン――――いや、ベリアールがカインの日記と生体錬金術式で色々とね。今語っていると長すぎて語れないよ。」
「そうか、どのみち早くした方がいい。奴らが集まりつつある。」
ウラドは首をかしげる。その時、ギルレンスはズリズリと歩きながら、瓦礫の壁から大通りを覗き見る。
「奴らって、何だい?」
ギルレンスはやけに唇を舐め、短い呼吸を繰り返したのちに言った。
「魔人だ。」
「魔人だと?」
「魔人は戦いの場に引き寄せられる。何故かは知らんがな。どのみち、この戦争に最早意味はない。どうにか止められないだろうか――――」
「錬金術師の陣営の筆頭は『ルコル・ヨルファネーゼ』だ。」
スッと、鋭く無機質な魔力が、まるで背中を素早く通り過ぎる。二人は半ばギョッとした表情で思いっきり背後を見る。灰色の瓦礫、茶色の風がなびく中、影の中から来たのは、ロキだった。ロキの真っ黒な装甲に、返り血が勢いよく染みついている。どの方向から殺したのかがよくわかるほどに。ロキは疲弊していないが、顔色は一層暗く見えた気がした。
ウラドはロキの肩を労わる様に叩いた。
「ルコルか――――ヨルファネーゼから聞いているよ。君もよくここまで生き残った。」
「テナナの所在は。」
「大聖堂にいるはずだ。ロキ、君はこの戦争にもう意味がないと分かっているはずだ。もっと前から。」
ロキは沈黙を貫いた。まるで蝋人形のように口を閉ざし、目線だけがウラドと、その背後の惨劇を見据えていた。彼は只、虚無のまま見ていたのだ。ウラドはその様にある意味で憐れみと、親近感を感じた。父性としての本能と、恐らく彼が生み出されたときから抱く使命のようなもの故の反応なのだろう。その何とも言えない抗えない行動には、ウラドは糾弾する気にはなれなかった。ウラドはそのまま、何度か細かく頷き、そして惨劇のほうへ目を向けた。
子供、女、老人、人種や立場なんてものは関係なく皆死んでいた。特に金の布切れをまいたような死体らしき肉塊が、シルクを纏って死んだ人間たちに覆いかぶされている。
「ロキ、君は、アサ――――護衛魔導士の連中をどうにかしてくれ。僕たちは錬金術師を止める。」
「信用しているのか。」
ギルレンスは半ば、ウラドの肩をグイっと押し開くような仕草をした。ウラドは二度見したが、すぐに意に介さない様子で大通りに目を向ける。
「もちろん彼がしたことに関して、言いたいことは多いが。今はもたもたしている場合ではない。君はルコルのほうを行ってくれ。」
「君はどこへ?」
ウラドは目を鋭く細め、神経を尖らせた。町中離散して蠢く魔力が入り乱れている。怒り、嫌悪、恐怖がその魔力の周りを漂っている。その中でも――燃え滾る熱のような魔力、そして冷え切った魔力と、一刻一刻を斬るような魔力が揉み合うようにぶつかっている。
「とびきりすごい魔力があるな。」
潰えることのないほどの膨大な魔力、人間の者ではないことは想像に難くはなかった。だがウラドは唇を舐める。
「どっちだろうな――――」
ロキは言う。
「対象の魔力を検知。出撃する。」
「あぁ、お互い生きて会おう。」
ロキはそのまま、瓦礫を飛び超え、土煙の向こうへ消えていった。それを見届けた浸りは軽く手を上げて別れを告げた。ウラドは眼前の瓦礫をひょいっと跨ぐように飛び越え、大通りから奥へ走った。ギルレンスは、そのまま立ち尽くし惨劇を見た。いつしかの光景だ。ギルレンスは胸元の金の十字架を握り、少しの間祈りを捧げた。沈黙が訪れたのち、彼も歩き出した。
***
一方、トウカとセナ、ウラジミールの周りには最早人ひとりいなかった。瓦礫らしい瓦礫もなく、辺り一面更地であった。炎があたりを燃やし、水がそれを消し、雷が土をも穿つ様であった。トウカはウラジミールめがけて拳を振り落とす。彼はそれをスッと後ろに下がり、黒雷を落とす。トウカは眼前暗黒が押し寄せると、彼女は楽し気に、ニカッと笑った。
空気を破る轟音が地面を撃った。ウラジミールは雷の中で立ち上がる火龍を前に、半ば膝が震え武者震いがした。
「高温の火に耐性があるように、雷の温度にも耐性が――――?!」
「知らんわ!ボケェェェ!!」
トウカは拳に火を纏わせ、歯を食いしばってそれを振り上げる。対してウラジミールも拳を振りかざした。
「やめろ!!」
「――――??!」
刹那、二人の間から割り込むようにして若い男の怒鳴り声が響いた。3人は龍人は子供のようにぴたりと立ち止まり、一斉にその場に立ち尽くした。瓦礫に隠れた錬金術師や3人も驚いた。魔力が一切探知できなかった。崩れかかった店の瓦礫には本棚や本が乱雑に散らばっているのが見える。その山と陰から出てきたのは、ウラドだった。彼の赤い目が、こちらを怒りなく睨んでいる。
ウラドはへし折れた屋根の梁を跨ぎ、日の下へ出てきた。彼は大声で言う。
「もう、この戦いに意味はない。錬金術師の時代は、もう終わった。」
それを聞いた錬金術師達は顔を歪ませた。ウラドに罵詈雑言を浴びせる。だが彼は只呆然とそれを聞き流がした。その時、彼に唯一近づいたのはウラジミールだった。彼は焦げて少し袖のない不格好な状態で、怪我までしていた。彼は、いたって冷静な様子でまっすぐに姿勢を正した。
「もう、戦う必要がねぇって、なんでだよ。始めたのはそっちだ。」
「その始めた本人のやる気がなくなったからね。このまま戦闘を続けても、錬金術師陣営の戦闘力はなくなっていく。生体錬金術式を使えない君達では、もう勝ち目はない。聖導師がわである君も、戦わずに済む。」
ウラジミールは次第に歯を食いしばり、拳を握りしめた。肩や髪の周りを、黒い雷がバチバチと小さく放電する。
「もう、どっちが悪人なのか、善人なのかわからなくなっちまったな。」
「戦争はそんなものだよ。」
ウラドは淡々と彼を見つめる。ウラジミールは次第に、唇を震わせ、肩を引き上げた。
「だけど、このまま―――引き下がれるところにもいねぇことは明白だ。お互い、恨みすぎた。でもその感情は正しい。家族を、友人を、故郷を殺されて――――みすみす帰れるのかよ――――!!」
ウラドは何も言わずに、そのまま彼へとゆっくり歩き出した。ちょうど目線の向こうに錬金術師が杖を構え、こちらの隙を伺っている。魔力からして殺そうとしているのが目に見えた。
ウラドは殆ど口を動かすことなく、詠唱する。
【串刺しにする魔法】
ウラドは自身の足元から、彼らの足元までの一直線の地面に自身の魔力が川のように流れるのを想像した。杖に魔力を通すのと同じ要領である。その蜘蛛の糸のような魔力がまるで土を押し上げ、盛り上げるような感覚さえ、この時の彼は感じていた。彼が詠唱した途端に地面は隆起し、瓦礫の壁やその隙間から血が流れた。突然の流血沙汰に、他の龍人たちは不可解さに思わず尾が立つ。
先ほどまで猫の毛の逆立てのように雷を奮い立たせていたウラジミールでさえ、次第に目の前の男の底なしの魔力を感じ取り、肩が下がり始める。ウラドは、目線より少し高いウラジミールを見上げつつ、子をなだめる親のように言う。
「お前のやりたかった事は、これではなかったはずだよ。戻れないまま、この戦いを続けることのほうが、正しさからかけ離れているとは思わないかい?」
ウラジミールは、グッと心臓に何かを向けられた感覚がした。突き刺されたような感覚ともいえたが、特段不快感はなかった。自身の前に差し出され、それを見ざるを得ないものだった。問いである。彼は考えた。やりたかった善は、今何だったのかと。乾いた風がこちらを一瞥しては通り過ぎるだけの中、彼の頬には一滴の大粒の涙が滴り落ちた。彼は少し恥ずかし気に涙を袖で拭う。大粒の涙でウルウルと歪む暗い紫色の瞳は、さながら雨に濡れるステンドグラスであった。
「よし。」
ウラドは一言そう言うと、向こうで死んだ同胞の遺体を軽く抱えている錬金術師たちを見た。
「皆、申し訳ないね。僕達が始めた戦争が、ここまで尾を引くとは思わなかった。君たちの感情は、正当だ。でも、もう止まるべきだ。」
錬金術師たちはこちらを訝し気に見つめていたが、ある一人の梟の獣人が立ち上がる。人に近しい顔つきで少し褐色に近しい顔色の渋い中年だ。髪の毛が羽のように灰色と茶色のグラデーションを帯びたような髪色だった。彼は水色の三白眼の瞳をこちらに注ぎこんでいる。
「貴方の魔力――――見たところ本当に錬金術師と見た。錬金術師として生きてきた貴方なら分かるだろう。生きてきた立場が、根こそぎ無くなることの辛さを。この戦いをやめては、東の民たちが益々排斥される。益々――!聖導師が管をまくことになる!!」
「無論。」
「ではなぜ、歴史から錬金術師という存在が無くなることを、東の民たちが迫害されることを憂いていないのか。」
ウラドはすっと息を吐き、少し目線を逸らしたが、また彼らを見た。
「いつか、変わらざるを得ない時が来る。」
「それが、今ではないのか――――!!」
「――――今ではない。でも、この戦争によって何かが起こる。今後も、誰かがこの歴史から何かを見出す。その時にどんな選択をするのかが重要だ。」
「選択――――」
「その選択を見届けるのは、歴史を知るものだ。」
彼は不思議でならなかった。目の前の男の様を。ここまで来るのに、何があったのか、本当にこの男は理解しているというのか。男は眉間にしわを寄せ、静かに憤慨した。地面を睨んだ末、彼はふと目線を上げる。梟の獣人は、目を丸くした。何故、何故!そんな顔ができる。あの目を見た途端、今まで抱えていた夜よりも黒く暗い感情が、朝焼けに吹く風で舞い上がる様に消えゆくのを感じた。長い沈黙の末、彼は、皆に杖を下すよう手を上げた。皆は驚愕と正気を疑う表情で彼を見た。だが、彼は隣の少年の杖先を、ゆっくりと地面へ落すと、皆は悔し気に歯を食いしばり、杖を下した。梟の獣人は瓦礫の陰から出てきた。空色の瞳が、美しい湖の水面のように輝いている。大股の一歩を踏みしめながら歩いてきた。そして、ウラドの前に立つ。
「何をするつもりなんだ。」
「この戦争を止める。ルコルはどこ。」
「大聖堂の背後にある広場だ。我々は――――撤退する。恐らく、何世代も南にいるだろう。東の山を忘れて。」
「東に来る日を、僕は心待ちにしている。」
二人は堅く握手をした。お互いの手のぬくもりがとても熱く、大きく感じた。ウラドは杖を召還し、大聖堂の向こう側を見る。
「トウカ、セナ、彼らと共に南へ戻るんだ。」
双龍はムッと口を尖らせる。
「命令するなじゃ!!むろんそのつもりよ!」
「じゃが、お主、本当によいのか?」
「別にいいよ。できるだけ東にいる獣人や亜人を集めて南に行くんだ。南の龍人が黙っているのかわからないけど。」
トウカはニカッと笑う。
「南の血を持つ民たちであれば、わしら龍は拒まん!拒むような小心者は、人間だけで十分!」
双龍は散々暴れまわって機嫌がよくなったのか、妙に馴れ馴れしく獣人や錬金術師たちを連れて門へ歩き出した。
「ウラド!!また100年後にでも会おうぞ!!」
トウカは手をぶんぶんと振った。ウラドも軽く手を振ると、遠くからギャハギャハと大笑いが聞こえた。ぼんやりとそれを見送ると、ウラドはそのままウラジミールを見た。
「ほら、もう帰りなさい。」
ウラジミールはぶんぶんと、首を横に振った。彼は行くと言わんばかりに尾で地を強く叩いた。その様相はさながら反抗気味の子供のようだった。ウラドは少し呆れた表情でため息をつく。
「自分の身は自分で守れよ。」
「わかってる!お前こそ、足を引っ張るな!人間!!」
二人はそのまま崩れかかり、最早荘厳も栄華もない大聖堂のほうへ歩き出した。大聖堂の奥からは、依然として轟音が響いている。
ご高覧有難うございました。少し諸事情があり1か月ほど休ませていただきました。
この夏休みすべきことや置かれた状況など、様々でございますが、皆様のご壮健をお祈り申し上げます。
久々の執筆ということもあり、少し手慣れていないところもありますが段々と慣れていきたいと思っています。次回もお楽しみに。




