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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第3章 学会編
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第89話 ドアの先には

カインは俯いたまま、事の子細を聞いていた。自分の人生そのものを長々と語っていたが、その多くは予想で埋めつくされていた。だが、不思議なことに、不快感はなかった。彼の解釈は、科学の多様な解釈や、理論の一つという風に思っていた。加えて、心持が軽く感じた。


カインの横顔を、太陽が優しく照らす。温かく母親の腕の中のような、心地の良い日差しであった。彼はゆっくと、顔を上げた。あたり一面美しい白銀の雪景色に、ウラドの炭のような真っ黒な髪が、陽光で黒曜石のように輝いていた。赤い瞳は林檎の様に艶がかっている。


カインは、力が抜けたように肩を落し、ゆっくりと息を吐いた。彼の目の輝き、希望とも絶望ともつかない、ただただ目の前の人間を見つめる瞳、カインはその眼を持つ人を一人知っていた。カインはゆっくり陽光を見た。


「あの日と同じだ――――」


「あの日――――?」


ウラドは軽く目を開き、愛おしそうに空を眺めるカインを見つめる。カインは手を朝日に軽く掲げながら、懐かし気に言う。


「アベルと――――よく空を眺めてたんだ。麦畑や牧草も見下ろせるくらいの丘で。その景色は、美しかった。アベルを殺したのもそこだ。」



「――――そう。」


カインは満足げに天を仰ぐ。ゆっくり息を吸い、そして吐く。


コンコンコンーーーー


ノックの音がした。


控えめで、それでいてハッキリとした音だった。皆はその方を見る。朝日に照らされた木の幹に、木の縄とは思えぬほど、ハッキリと直線の線が刻まれる。直方体の模様は次第に焦茶の幹とは対象に、赤く彩られていく。サムラッチ錠の赤いドアだ。暫くの沈黙の末、ドアはゆっくりと控えめに開かれた。出てきた時、白と褐色の混在した皮膚が見えた。ウラドは少し目を見張る。


「サタエルーーーー!」


カインは片手を雪に浸しながら、ゆっくりと振り返った。血が滴り落ちても、なお彼は彼女を見つめようとした。サタエルはウラドを一瞥して、すぐにカインの方を見た。背中から、血が腕に流れる。上等な服はもう既に血みどろであり、美しさの欠片もなかった。サタエルは、息を飲み、足も覚束ない状態で、まるで足を引きずるかのように走り出した。


サタエルはティナとカインの間に少し入るような形で、跪く。彼女はカインの背中を一瞬撫でようと手を伸ばしたが、躊躇った。そして、ただ、軽く肩を抱きしめた。サタエルは彼の耳元で言う。


「大丈夫。」


カインはほんの少し指を動かしたが、何も出来なかった。彼は数秒じっとしていた。


だが、少し目覚めたように顔を上げた。彼は無表情で、悟ったかのように天を仰いだ。


「時間切れだ――――」


カインは何か指示したかのように、ウラドを見上げ、そう言い切った。謀ったような眼差しではなく、単にそう伝えたような。宣告する眼差しだった。当のウラドは見当もつかず、棒のようにその場に立ち尽くした。


バタン!!!


途端に、奥の大聖堂へ繋がるドアが閉じた。一同は一斉にその方を見た。カインだけは、ティナを見た。


「う゛っっ!!」


彼女は、呻き声を上げ、腹を握りしめながらその場に蹲る。彼女の白かった布地が真っ赤に濡れている。ウラドは思わず彼女の腹を軽く触る。動きすぎて傷口が開いたのだろう。しかし何故今。カインは彼女を少し見つめながら、淡々と言う。


「ドアが閉じたせいで、テナちゃんの加護が無くなったんだ。もう時期死ぬね。」


「なんで閉じるんだ!!?」


「本質は確固たる土台の上に成り立つ。不安定な本質なんて、すぐに崩れてしまう。要は時間切れだ。」


ウラドは力無く、その場に膝を着く。サタエルも、ティナの背中を摩る。その時、カインはウラドの背後に広がる空を眺めながら、悲嘆なく言う。


生体錬金術式(バイオロジック)なら、治せる。」


サタエルはカインを見つめた。だがカインは彼女を見つめ返さず、1点も目を逸らさずに言う。


「でも条件だ。彼女は置いて行くこと。」


ウラドは口を大きく開け、思いっきり彼を揺さぶった。頭の中で焦りや緊張が詰まったが、急に彼はカインを揺さぶらなくなった。カインは反動で少し体の体制を崩し、船酔いのように呻いた。


ウラドは全く気にせず、ティナを冷静に見つめる。たしかに、この出血、手を施しても旅に連れては行けない。しかし、言葉にはできないが、彼女を連れて行きたいという純粋な望みが、彼の頭を妨げている。ティナは脂汗を流しながら、ゆっくりと顔をあげる。そして、彼の右手をそっと握りしめた。


「行ってくださいーーー私は平気です。」


「ティナ。僕はーーーー」


「今行かねば、大聖堂の混乱も、どうにかしないと!」


2人の問答を、カインは思わず見つめていた。名状しがたいが、目を離したくないというか、この光景に、やけに穢れを感じられなかった。ウラドは少しだけ目に涙を浮かべ、彼女の青白い手を握り返した。今思えば、彼女との旅が当たり前に思えていた。隣にいた彼女がいなくなるのは、なんだが世界の半分が無くなったような気分だった。


「必ず、迎えに行くよ。それじゃ。」


彼は立ち上がり、釘を刺す様にカインを見つめた。彼は申し訳程度に笑った。その時、ウラドから見て左手の木の影がゾッと色濃くなった。影は次第に幹に伸びていき瞬く間に、形を帯び、色を纏った。赤いサムラッチ錠である。彼はそこに手を伸ばす。その時、サタエルは、母のように、愛おしそうにカインを見つめながら諭す。


「ウラドに、言った方が良いと思う。」


「そうだね。ーーーーもう十分か。」


カインは疲れきったようにそう言うと、ゆっくりとウラドを見る。そして、ある冊子を取り出した。糸紡ぎで閉じられた羊皮紙の冊子は、日焼けしており茶色というより焦げ茶に近しい。カインはこれを、ウラドに掲げながら言う。


「僕の日記には、アベルを殺してからのことを書いていた。大洪水の後、バベルの塔で言語が分散された時に念の為に書いたものだ。」


「洪水の時のことが記されてるのか。」


「そうだよ。ーーーーー方舟は大嵐を乗り越え、そのあと東へ進んでいた。ノアが鳩を放った時、帰ってこなかった。」


「だから、陸地があると分かった。ーーーー待って、君たちが来たところって西か?!」


「僕たちが辿り着いた土地は、今で言う西の大陸(ヨルスト)だよ。それより西から、僕は来た。」


ウラドはドアが閉じる間、カインたちの方を見ていたが、突如頭の中が電撃のような感覚に襲われる。彼はドアを開けようとしたが、力無く閉まっていく。


「君!!それって!!」


ドアは閉じた。

ご高覧ありがとうございました!

区切りよく終わりました。カインの話に関しては、様々な解釈があります。これはそのひとつ、神はカインを見捨ててはなかったという話を元にしてます。

さて、ここで少し投稿が遅れるかもです。また戻ってきます。託された彼の旅は、まだ終わりません。


次回もお楽しみに

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