第85話 善と悪
護衛魔導士一同が外に出た際、群衆は羊が獣に襲われるがごとく混乱していた。母を呼ぶ貴族の子供の声。盾にされ、惨たらしく泣き叫ぶ奴隷の子供の声。血しぶきは当然のように飛び散っている。あたりは地獄絵図であった。ウラジミールはその地獄の中、顔を歪ませ、ワナワナと震えていた。しかし、今こそ善の時ではないのか。そんな小さな正義感が、尚彼を立たせようとしていた。
エヴァンケルは剣を構えたまま、一同に叫ぶ。
「法王を逃がせ!ほかの者は鎮圧と、民衆の保護だ!」
一斉に、規則正しく散った。ウラジミールは、黒雷で錬金術師たちを殴り飛ばした。勢いよくぶっ飛んでいき、近くの瓦礫の中に埋もれた。罵詈雑言、悲鳴が鼓膜を打つ中、彼の心臓は震え、揺れていた。
父も来ているのだろうか。いや、これが父が望んでいた光景なのか。誰よりも人間たちを尊んでいた彼が、このような血潮満ち干くこの様を、必要だと思っていたというのか。
ふと、彼は眼前を見た。魔導師の死体が1人俯き転がっている。この教会の方向を地面に伏したまま指している。茶髪の青年。彼は土で汚れた髪を見て、数秒立ち止まった。
辺りが静かな気がした。見たことある。彼を。ウラジミールはゆっくり傍に近づき、その死体を持ち上げた。
「あ、あぁーーーー」
見知った人だった。ウラジミールは思わず引き攣った顔のまま、号泣した。そこらの子供のように、天を仰ぎ、訴えるように泣いた。叫んだ。彼は世話役だった。子供の頃、よく遊んでくれた。
彼は青年の体に顔を埋め、しきりに泣いた後、当たりを見回した。四肢がちぎれても尚立つ者、怒りに満ちた顔で突撃する者、あらゆる感情が入り乱れている。幸福な記憶が、今はただ彼の心を引き裂き続ける。
彼は悟った。ここに善は無かった。悪もなかった。あるのは怒りと憎悪だけだ。父の言う通り、ここには何も無かった。だが彼は立ち上がった。死体を、聖堂の近くに寝かせた。細く、虚ろに開かれた瞳を、ウラジミールはそっと閉ざした。彼は少し立ち尽くしたが、そのまま振り返り歩き出した。
先へ進む途中、ウラジミールは敵と接触した。彼らは彼の紫がかった黒髪を見て、ハッと息をのんだ。一人の錬金術師が、恐れ慄いた表情で言う。
「あれは――――ギルデロイか?!」
「紫黒龍ギルデロイが――――何故聖導師の側に――――?!」
紫黒龍ーーーー名の知れた龍人は、通り名が語られる。その者の為した事と連なり。
「あやつは、あのナルシストの息子じゃ!!」
錬金術師の軍勢の後ろから、裸足で歩く音がした。瓦礫、魔法の衝突音が幾度も重なる中、よく通る声だった。海割りのように人をどかしながら来たのは、赤い髪と青い髪が印象的な龍人だった。赤い龍人は、大きく口をかっぴらいて笑う。
「久しいのぉ!!クソガキ!!わしらが相手じゃ!!」
「――――お前らの言う通り、聖導師も、こっちも悪人だった。」
「かかぁが言っておったわい。善悪に縛られる奴は弱者じゃ。そんなもの、時と共に変わる。信用ならんものじゃ!」
赤い龍人と、青い龍人は、拳を握りしめ、魔力を解放した。猛々しい火山のような、熱気のある魔力に、濁流のように天に伸びる魔力が、混ざり合っている。
ウラジミールは、冷や汗をかきながらも、凛とした目つきで、堂々と立つ。名乗るならば、慄きつつも立つこと、それが龍としての矜持である。彼は名乗る。
「我が名は『ウラジミール・バロック』!悉くを蹂躙せし、紫黒龍ギルデロイの息子である!!」
「わしは『トウカ』!こいつは『セナ』じゃ!!」
「ワシら双龍は、全てを照らし、全てを押し流す。雷風情が、止められるか!」
この凄まじい魔力、双龍は二人で一対。魔力量もウラジミールには分が悪い。彼自身、実戦は経験していない。この二人は旅の途中で場数であり、魔力の洗練さから、手練れだとはすぐに理解した。
ウラジミールは拳を握り、天へ振り上げた。一閃貫くように、魔力が迸る。
「白き雷は、天を広げ支えし救済の光!黒き雷は、終わり迎えし者たちへの導きの光だ!」
龍の意志に触発された空気中の魔力が、炎となり、雷となり、水となり荒々しく畝った。建物は悉く砕け散り、最早周囲更地に等しくなる。ウラジミールは叫ぶ。
「俺は俺の善を為す!それが、俺の『意志』だぁぁ!!」
***
一方、大聖堂にて。
テナナとカインはじっと睨み合っていた。彼女は杖を向け、彼に言う。
「回心はしないの?」
「意味ないよ。君たちが敵を愛さないように、僕も神を愛しはしない。」
沈黙はそう長くは流れなかった。テナナはカッと眼光を鋭くし、詠唱した。
【 圧死させる魔法 】
大聖堂の天井が崩落し、ガラスや石が、そのまま彼を押しつぶさんと迫っている。しかし彼は一瞥もせず、そのまま歩き出す。塊はそのまま地面にめり込む。テナナはまだ杖を向けている。杖をクイッと回す。塊はそのまま屈折し彼の背後を貫こうとした。だが、無頓着に彼は歩き続ける。瓦礫はさっと彼を避けるかのように、明らかに歪曲した。柱に激突するたびに、大聖堂が左右にガタガタと震えた。
何故こうも外れる?まるで反逆したくないと、抗っているようだ。彼女は冷や汗をかきながら、考える。そして、腰からナイフを抜き出し、彼めがけて縦に振り下ろす。カインはすっと横に避けると、彼女の柔らかく細い腕を、ガシッと握りこむ。骨が肉に食い込み、ミシミシと折れそうな鋭い痛みに、テナナは思わずナイフを落とす。
「僕にナイフなんて、甘すぎるよ。」
カインは自分の腰にしまってあった、綺麗な銀色のナイフを抜き出した。テナナは無意識に、目を閉じた。船での景色、絵本を読むロキ、文字を教えてくれたウラド、最後に出てきたのは母のように温かな笑みのティナだった。
ガキィィィン――――!!
心臓が耳の近くで鼓動している。テナナは、恐る恐る目を開ける。瞳孔のすぐ上で、ナイフがカタカタと揺れている。少し目線を右にずらすと、必死にナイフとつばぜるティナの白銀のナイフが見えた。
その時、ウラドはハッと息を吐きながら目を覚ました。過呼吸に近い喉からの呼吸をしながら起き上がると、近くにはティナがカインの背中から何かしている。彼はゆっくり、痛みと疲労で重い体を起き上がらせ、走り出した。
カインはティナの脇腹を左肘で打ち込んだ。そして、ナイフで、肋骨を斜めに避けるように、心臓を突き刺した。
「ニ゛ッッ――――!!」
ティナはその場に蹲ると、カインはそのまま腹を蹴り飛ばした。彼女はボールのように、柱のほうへ飛んでいった。腹に鈍く奥まで突き刺さるような痛みが走り、最早動きたくないほどだ。
「ティナ――――!!」
ウラドは怒りに身を任せ、カインの懐に飛び込んだ。思わず、カインは、そのまま壁のほうへ押されていく。彼は一瞬壁との距離を確認すると、そのままぼそりと、何かつぶやいた。刹那、壁にはドアが生み出された。
サムラッチ錠の、赤いドア。
二人はそのままドアの外、真っ白な世界に飛んで行った。
本話にて、後書きに本来ない描写がありました。
ご高覧して下さりました読者様には、深々と謝意を表します。誠に申し訳ありませんでした。




