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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第3章 学会編
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第84話 盤面を見上げる目

さて、人は逃げまどっている。広い廊下は人々でごった返しており、最早誰も通れない。門の外も同様であった。錬金術師達が、彼らを橋へ追いやろうと、女子供も厭わず攻撃している。その地獄の中、大聖堂へ入るものが1人だけいた。


大聖堂の中では、カインは法王を見下ろしている。彼もまた、憐れみ深くカインを見ている。テナナはすぐに法王のそばに立ち、杖をカインに向けた。


「カインは、貴方だったんだね。ベル兄。」


「やぁ、裏切者。銀貨何枚でそっちに行ったんだい?」


テナナは睨んだ。そんなものなんて気にせず、カインはニコニコとしている。ティナは人混みを掻き分けながら、こちらへ走っていた。やけに彼から呻き声のようなものを感じるのだ。人々に押しのけられ、時折転びかけながらも、彼女は登壇した。


「ウラドさん!」


彼女は、仰向けに倒れたままのウラドの腹を揺する。彼の首からは時折血が息を吐き出すように、微かに勢いよく出血したり、少し吸い込んだりと微妙な動きをしている。カインは軽くこちらを見下ろす。


「僕が撃たせたのは確かだけど、なんだか長いね。」


他人行儀に見下ろしている彼を見て、ティナは唖然と、恐怖と、怒りが胸の中をぐちゃぐちゃに掻き回した。尾の毛が逆立ち、服を掴んだまま握りしめた。


法王は聖導師に囲まれ、護衛されながらも、怖気付く様子なく彼を見上げていた。


「憐れな者よ。堕天使ルシファーのように、不浄の地しか歩けぬか。」


「堕天使ね。そういうけど、禁断の果実を食べた親であり最初の人類はどうなんだい?親が親なら子も子だよ。」


「では、誠にお前はカインか?」


「うん。僕は弟を殺した彷徨える男(カイン)。そしてウラドは、お前達の神を信仰しなかったことで死ねなくなった。いわば――――彷徨える男(カルタフィルス)だ。」


ティナは、ふと我に返り、追憶した。何度か瞬きしながら、彼女はハキハキと言った。


「では、あの夢は貴方ですか?!」


彼女の、少し高い娘らしい一声で聖堂は燃える炎の音だけが残った。カインは少し目を細めながら、こちらを向くことなく尋ねた。


「夢――――?」


ティナは、ゾワゾワとした胸の感触を持った。確証は無いが、なにか引っかかるのだ。


「草原の真ん中で、血溜まりの中青空を眺めてたのは、貴方の視点だったんですか?!」


ロウソクの逆光などで、カインの背中は真っ暗だった。彼は影絵のようなままこちらを見ることはなかった。沈黙が長く、長く流れる。微動だにしない彼を見て、ティナは1層胸のざわめきが強くなり、足が震えた。沈黙がどっと、頭を押し潰す中、彼はゆっくりと振り返った。逆光の影で顔すら見えなかった。


彼は納得と、疑問の混じった妙な声色で、こちらにだけ聴こえるように言う。


「――――そう。」


肯定しているような声には聞こえなかった。2重の感情がノイズのように揺れている気がする。しかしながら、ティナは確信していた。あの夢で見たものは彼の記憶なのだと。しかし何故、そんなことができた?


「カインの日記にはね、バベルの塔の前後が書かれている。アベルを殺し少し前から、バベルの塔まで。両親はアベルの死体を膝にのせて泣いていたよ。」


法王はジリジリと彼のそばへ歩き出した。まるで、子に怒る父のように。


「何故、弟を殺した?」


「何故――――?神が悪いんだ。」


彼は肩を少しすくめた後に、悪びれもせずに、淡々と語った。


「本当に寛大なら、両方選ぶはずだ。神はそれができる。神が両方選んでくれていたら、僕たちは、ただの兄弟だったんだ。」


彼の周りには、憤怒に近しい沈黙が香のように漂っている。どうにも体が動かない。睨みあう中、ティナはウラドの肉体をハッと見た。わずかにぬくもりが強くなった。血は噴き出すのをやめ、次第に逆再生のように吸い込み始めた。


法王とカインが語り続ける中、ウラドの右手の親指がわずかに動いた。ティナは、なぜか反射的に何を欲しているのか理解できた。彼女は白銀の簪2本を繋ぎ、元の杖にしてから渡した。彼は顔も治りかけてないにもかかわらず、杖先を彼に向け、喉から声を出した。


彼は詠唱した。


            【 串刺しにする魔法(ドゥルゴヴィシュデ) 】


ドスッッ――――ガコォォン!!


彼は、カインごと書見台を打ち抜いた。カインは思わず勢いのまま、前に倒れこむ。なんとか書見台に手を付く。土の棘が彼の肉体を抜けると、彼は少し後ずさりした。その拍子で、書見台にひびが入る。テナナはそのうちに詠唱する。


                【 叱責の炎(プロメテウス) 】


刹那、書見台は燃え上がり、影しか見えなくなった。カインの日記も、何もかもが燃え上がった。真っ赤に火が揺れる中、カインは口元の血を、ハンカチで拭う。そしてそのまま、ハンカチで顔を覆う。法王は、冷静に炎で照らされながら、彼を見ていた。彼はまるで火刑に処されても、尚変わらぬ異端者のようにも見える。


法王は淡々と彼を見つめ、憐れに思った。


「テナナ。彼を頼む。皆は、教会の外へ。異端者を赦してはならない。」


「はい。」


彼女は前に出る。杖を召喚し、法王の前に立つ。闇の日輪を飾りし、カインを前に、彼女は見上げる。他のものたちは、法王含め外へと立ち去った。


轟々と燃え盛る大聖堂の中、彼女は見上げる。この愚かなる者を。彼は炎の中を歩き、少し階段を降りる。後二段ほどで止まり、彼女を見下ろす。影が色濃く、眼差しは冷たい。この金星のような目は、嫌悪と怒りに満ち満ちていた。

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