第82話 転換点
翌日、ウラドは鏡の前に立っていた。うねりのある髪の毛を櫛で梳かし、できるだけ、直毛のように伸ばした。ティナは珍しく小奇麗になった彼を見て、思わず唸った。ベリアールから借りた白色のボタンシャツを身に纏う。そして黒色の男物のコルセットを装着した。女ものとは異なり、幅は狭く、そこまでキツくは縛らない。黒いズボンをはいた時点で、彼はそれなりの階級の知識人のように見えた。ウラドは言う。
「良いもの着てるんだな。」
「確かに、売ったら凄い値になりそうです。」
袖口もきれいに縫われていて、思わず見とれた。そんなことをしながら、最終的に真っ赤なクラシックコートのような上着を羽織った。大きく追われた袖口に、金色の大きなボタンが四つ、コートの裾は膝のあたりまであった。ウラドはこれだけでも疲れた。
「これ、絶対に僕の為に用意していたよね?」
「そんな気がします。ベリアールさんにはあまり似合わない気がします。」
彼はぐっと襟元を直し、もう一度鏡で全身を軽く見る。まるで婚期を逃して、少しやさぐれた知識人見合いだ。顔色は変わらず白く、黒髪はもううねり始めている。そのあとはティナの番だ。彼女は小間使いの格好をした。普段の服に金色の腕章をつけた。白いエプロンを腰に巻いた。髪を二つに分け、三つ編みにした。ウラドはやけに上手だった。
「ウラドさん上手ですね。」
「エーレの髪を結んだことがあってね。」
ティナはどこにでもいそうな小娘になった。金の腕章がやけに、輝かしい。二人は諸々の支度を済ませた。その時、ウラドは鞄の中から、赤い魔法石を取り出した。ヨルファネーゼが、あの日くれたものである。彼は、鏡の前で身支度をする彼女を一瞥した。
彼は赤い魔法石を握りしめる。すると、翡翠の腕輪のように綺麗なわっかが出来上がる。彼は彼女に近づき、言う。
「ティナ、これをつけていてくれ。」
彼女はそれを受け取ると、耳を左右に揺らして笑みを浮かべた。
「ありがとうございます!東では、腕輪は厄を吸い取ってくれるんです!ウラドさんの厄も、吸い取ってくれますね!」
彼は慎ましく微笑んだ。二人はそのまま部屋から出た。書斎の部屋に入ると、誰もいなかった。ベリアールすらも、書斎のテーブルには、一枚の紙が置かれていた。そこにはインクで、綺麗な文字が書かれていた。
『 先に行っていてくれ。 』
端的に、それだけだった。彼にしては珍しい気がした。彼は一度、先ほどのドアをもう一度見る。魔力も探知できない。違和感だ。だが彼は進む必要がある。学会はもうそろそろだ。ウラドは、また陰に潜むサムラッチ錠に手をかける。ボソボソとなにか呟くと、ドアは次第に赤くなっていく。彼が目を開けて見上げると、赤いサムラッチ錠のドアがあった。
彼はドアを開けた。眼前に広がるのは、少し湿った寒い風が吹く町だ。彼はゆっくりと外に出る。あたりには寂れた噴水広場があり、雑踏の音が、奥の路地から聞こえてくる。石造りの建物が、この広場を隠すように聳えたつ。
二人は寒い風でブルブルっと震えた。路地を歩いて抜けていく。すると、ドッと賑やかな声が耳の中に、勢いよくなだれ込んだ。ドレスや綺麗な服を着た老若男女が歩き、馬車も行きかっている。馬車道の端には、軍服のような恰好をした若者が多く並んでいる。ティナが言う。
「この格好、テナナも似たようなのを着ていました。」
「となると、護衛魔導士か。」
ウラドは、人ごみのほうに自らねじり入ると、そのまま道なりに進んだ。此処からでも見える、神の砦のような大聖堂を目指して。
***
一方、護衛魔導士駐屯地には、数々の魔導士が集まりつつあった。彼らは神への忠誠心のもと、子の荘厳な指令室に、一糸乱れず並んでいる。素子軍隊ともいえるような重々しい人壁の前で、テナナ、ロキ、アジャマールなどの精鋭が集まっていた。ウラジミールはそれを、並ぶ魔導士たちの中から唇と軽くつぐんで見つめていた。
赤い金属製の軸に槍の刃が突き出ている杖を握りながら、彼女は穏やかながらも威圧感のある調子で言う。
「学会では、何か起こる可能性は十分に考えられるわ。錬金術師たちの動きかラして、ここに忍び込むために引き寄せていた可能性すらあるワ。」
一同、机の上の地図を見る。それは大聖堂一帯の地図である。大聖堂を中心に、住宅街、そして、駐屯地、端には城壁までもがある。エヴァンケルは大聖堂付近の住宅街を指さしながら語る。
「大聖堂へとつながる大通りは、全て魔導士を配備させました。獣人は粛清し、錬金術に関係する一切の書物も、焚書しました。」
「有難う。レヴァーン。」
テナナは少し、眉間にしわを寄せたが、すぐに平静を保つ。彼女は淡々と言う。
「城門を閉ざしたとしても、彼らは来ますよ。」
「貴様の言っていた、ベリアールという男か。」
「はい。彼はあらゆるところに、ドアを設置しています。赤い、サムラッチ錠のドアです。」
アジャマールは、言う。
「となると、大聖堂で大人しくさせることや、できるだけ被害を抑えることに注力した方が、合理的だワ。生体錬金術式に詳しいテナーナは、大聖堂にいて頂戴。」
「はい。」
「――――みんな、作戦通りに行きましょう。私たちに、神様からの愛と祝福がありますように。」
一同、祈り、解散した。ウラジミールを除いて。
魔導士たちが一斉に堆積していく中、彼だけは立ち止まっていた。その様子を見たエヴァンケルは、少し訝し気に彼を見て、大股でこちらへ来た。
「何をしている?早く持ち場に戻れ。」
ウラジミールはまるで、まごついている子供のように軍服の袖をいじっている。そして、目を泳がせながら言った。
「獣人を殺すのは、なんでなんだ?」
「何を言う。連中は錬金術師に結託すると、厄介だからな。魔物の要素を持つ存在は、等しく魔物だ。」
切り捨てるように言い放った、エヴァンケルの声を聴いた。一同品定めをするかのようにウラジミールを見つめる中、彼は思い切って顔を上げた。
「でも、結託してない奴だっている。教会は、愛とか言っているのに、自分たちとは違う存在を愛せないのか?変じゃないか?」
尾をピンと立てて言う彼を前に、エヴァンケルは少し目を丸くした。だがすぐにいつも通り鋭い目つきになった。ウラジミールはいつものようにまた怒鳴られる気がした。肩を縮めると、エヴァンケルは、木の良い兄のように語り始めた。
「なに、そんなことか。まさか、隣人愛を軽視しているといいかいのか?なら、全く問題ない。」
「問題ない――――?」
「あぁ。外に出よう。来なさい。」
エヴァンケルは彼をそのまま教会の外に連れだした。
聖堂の庭というのは、楽園を模したかのように美しい花園だった。エヴァンケルはその花々を見下ろしながら、背後にいる彼を見ずに語る。
「お前は、獣人を人として見ているが、それは間違いだ。あいつらほど、獰猛で狡猾な存在はいない。」
「俺が知ってる人はみんないい人だ。」
「それは奴らが飼われているからだ。狼が飼われて犬となったようにな。お前は見たことないだろう。ただ神の教えの元慎ましく暮らしていただけの俺たちを、あいつらは有無を言わさず殺しまわった。」
彼は続ける。
「俺はこちら側に来る人々は等しく愛そう。かつて神の子が敵視していたものが、懺悔したとき愛したように。だが、やつらは別だ。奴らには愛がない。ならば、俺は隣人の為に奴らを殺す。奴らは人ですらないのだから。」
ウラジミールは彼の背中しか見えていなかったが、それでよかったとすら思っている。彼の憎悪は、最早ガラスの模様のようなものであり、拭うことさえもできないのだから。彼は、今更ながら思った。此処は善なのだろうかと。
***
さて、知識階層の男たちはぞろぞろと大聖堂へ入っていく。彼も、事前に用意された書類の通りに進んでいた。ティナは小間使い、として通された。あたりにも、奴隷たちが、煌びやかな格好をした男たちの後ろを歩いている。彼女を持たとき、彼らは羨望とも憎しみともとれるような眼差しをした。思わず口を開けた者もいた。そのものの口の中は、ごっそり黒かった。うちくぼんだ目、乾いた唇、それらがはっきりと見えた。ティナは、思わず目を背けた。
重い鐘の音が響く。一同席に着き、讃美歌をうたった。高低激しく、伸びのある讃美歌の中、ウラドは、ほとんど歌うことはなかった。賛美歌が終わり、荘厳な沈黙が幕を上げると、法王らしき老人が、はるか向こう、祭壇に現れた。此処からでもわかる豪華さには、眩しくて目をつむりたくなる。
彼はゆったりとした口調言う。
「此度、神の英知を分かつことができたこと、誠に喜ばしきことである。我ら禁断の果実により楽園を失った。しかしながら、神への慎ましき信仰の元、道を外さず、ここまで来た。これも、神のお導きによるもの。昨今異端者たちが我々を蝕もうと、下劣の限りを尽くしている。しかしながら、屈してはならない。我々には、善なる神が常に、隣にいてくださるのだから。――――さぁ祈ろう。アーメン。」
一同は祈った。ウラドの中の怒りのようなものが沸々と湧いてくる気がした。学会が始まった。
さて、術師たちは順々に研究成果を発表していった。研究の節々に神の賛美があり、とても薄気味悪かった。学会は夜まで続く。昼になり、やがては夕方になった。労働の終わりを知らせる金がなった。ティナは奴隷として先に聖堂を掃除する必要がある。ゆえに、彼と共にはいなかった。
先ほどの柱が何本も並ぶ廊下を歩いていると、グイっと袖を引っ張られた。
「グッ――――!」
彼はそのまま廊下の陰に引き込まれると、そこにいたのは茶髪の青年だった。彼は黄色の瞳でこちらを凝視して、人差し指を立てた。
「魔導教会の者です。ギルデロイ様が、ご到着されました。」
「あ、あぁ――――急にやめてくれないか。魔力を消されては、気づかないよ。」
「すみません。癖です。教会での暗殺にはこれが早かったので。」
「あぁ、そ、そう。」
「それで、ひとつ伺いたいのですが、坊ちゃんを見ませんでしたか?」
ウラドは少し首と傾げ、眉間にしわを寄せた。そして、一度廊下の方を一瞥した。
「いや、見てないな。坊ちゃんって、ウラジミールのことかい?」
「はい。ここ数日、聖導師と錬金術師の抗争がぴたりと止まりまして。錬金術師の行方も、大半が不明です。」
「ギルデロイは心配してる素振りなんてないけど。」
「一応気にするなとのことですが、ずっと、亡くなられた奥様、ミラーファ様の魔力を追いかけているんです。」
「魔力?」
「はい。奥様は生前、坊ちゃまが母親を忘れないようにと、遺品に魔力を保存したのです。その魔力さえあれば、坊ちゃんの場所は把握できます。ですが、この動きはあまりにきな臭いので、私が、勝手ではありますが。」
「なるほどね。でも、それは父親であるギルデロイの責任だよ。それで守れなかったら、やつは父親失格だ。死んでしまっても文句は言えない。」
青年は、あからさまに顔をしかめる。
「失礼ですが、貴方にお子がいた時期があるのですか?」
「あるとも、そして、守れなかった。僕は死んでもしょうがない存在なのさ。――――それじゃ行くね。放浪息子がいたら、言っておくから。」
青年は陰の中、寂し気に立ち去るウラドを見た。そして、ぼそりと言う。
「――――お悔やみ申し上げます。」
さて、鐘が鳴った。一同朝のように集まり、讃美歌をうたった。祭壇の丸窓には夕方の暁が差し込んでいる。まるで赤き日輪であった。その下で、上品に論壇へ上がるものがいた。ウラドである。彼は、大勢の眼差しの中、少し背支持を伸ばした。たくさんの洗練された魔力が、ぎょろりとこちらに向く。見知った魔力も幾つかある。どうやら、ここが、舞台のようだ。
「僕の名前はベリアール。これより、神の名のもと真実を語ろう。これは、意志による歴史の転換点だ。」
ご高覧ありがとうございます。
新章開幕ということで、とうとう学会編が始まりました。ここからは今後の歴史そのものに関係する話となりましょう。
次回もお楽しみに!!




