第78話 巡る
一方、ベリアール邸に連れ出されたティナは、同じく部屋にいたウラドを見る。彼は腕を組み、やけに落ち着かない様子だ。ベリアールは上品に書斎の椅子に腰かける。焼き尽くすような眩さの陽光を背に、彼は言う。
「さて、カインの日記を手に入れてくれた君たちには、見せるのは当然の報酬だ。」
「聞きたいんだが、ベリアール。」
ウラドが、やけに鋭い眼差しで彼を睨みつけている。ベリアールは緊張こそしていないが、少し不思議そうに首を傾げる。ウラドは続けて言う。
「君は、錬金術師と結託しているのかい?」
「うん。」
呆気なく答えた。まるで子供のように。ウラドは少し沈黙する。
「――――何故、僕たちに言わなかった?」
「君たちなら、いずれたどり着くかなって。無の國に入国する前に襲撃を受けたみたいだね。あれに関しては申し訳なかった。情報がいってなかったみたい。僕が対処しておいたから。」
「サタエルは?」
ティナはギョッと体を震わせた。反射的にベリアールを見る。彼は穏やかそうな微笑みを絶やさないように、こちらを一瞥した。あの一瞬の眼差しは、ティナにとってやけに背中に纏わりつくような緊張感を与えた。ベリアールはウラドをジッと見つめたまま言う。
「生きてるよ。ちゃんと介抱しているさ。ただ、少し寝たきりだから、会わせるのは難しい。」
「どこに?」
「離れだよ。君が望めば、ドアが案内してくれる。」
「離れ?」
ベリアールは引き出しを開けてガサガサと何かを取り出しながら言う。
「僕はね、同じ場所に長くはいられないんだ。離れとかも一つの場所にあってのい構わないけど、会いに行くことってなんだか特別な気がしてね。だから、離れは別にあるんだ。」
そういいながら、彼はにこりと笑った。彼が取り出したものは日焼けがひどく、古ぼけた紙の束のような冊子だった。ティナはハッとそれを凝視した。カインの日記である。ベリアールはカインの日記の1ページ目を開く。確かにそこには少し滲んだ黒いインクの文字がびっしりと綴られている。まじまじと眺めていると、彼は言う。
「カインの日記はね、ごまかされているんだよ。」
ウラドが言う。
「ごまかされている?」
「そう。これは周知の事実なんだけどね。カインの日記が読めないのは、術式でごまかされているから。でもその式が何なのかはわかっていないのが現状。」
ウラドは日記を覗き込む。法則があるように見えて、途端に支離滅裂になる。それの繰り返しだった。じっと、何度も見つめていると、ふと、何か、霧が晴れたような感覚がした。意識がはっきりとした。彼がまた日記を見つめると、ただ一つ見覚えのある単語があった。ウラドはその文字をそっと撫でる。
「これ――――『祝福』ってかいてある。」
ティナも同じようにのぞく。だが蛇文字のようなものが、ただ繋がっているようにしか見えない。彼女は首をかしげる。ベリアールは淡泊に言った。
「ティナの言語は最近生まれた『言語』だからね。」
生返事をするティナの横で、ウラドは日記に顔をつける勢いで読んでいる。その横で、ベリアールはティナに語る。
「この日記は結論から言えば、『原初の言語』だよ。術式でごまかされていたんだ。」
「ごまかす――――?なんでですか?」
「汚点だからだよ。この日記が。カインにとって。」
「カインはどこに?」
「君達なら、いずれ分かるよ。真実は必ず露呈する。汚点も、何もかも。大事なのはどう扱うかだ。」
「ベリアール。」
ウラドは日記から少し離れ、ベリアールのほうを見る。
「君がカインになるのだとしたら、僕が君になろう。」
ベリアールは目を丸くする。
「随分大胆だね!」
「僕はもう顔が割れてしまっているからね。君はそこまで表には出ていないだろう?」
「まぁね。」
彼は鼻で笑った。そして、彼は談話スペースのほうにある本棚に手を伸ばした。
ズズズ――――ゴトッ
本棚はわずかに揺れると、一番下の段から、分厚い本が出てきた。埃にまみれており、表紙は色褪せている。ゆっくりと浮遊していき、本は彼の目の前に、カインの日記の上にドサリと着地した。ベリアールは頬杖をして言う。
「聖典は面白い。神のくそったれな話も盛りだくさんだ。学会に行く前に、ティナにはぜひ読んでほしい。」
ティナは生返事をして、その本を両手で持ち上げた。漬物石のようにずっしりとしており、すぐに部屋にもっていかないと、腕が疲れてしまうほどだ。彼女はゆっくり大股で、腰を少し屈ませるようにしながら言う。
「では――――少し部屋に戻りますね。」
「うん。わかんないとこあったら、言ってね。」
ティナの腰の曲がった老婆のような背中を、ベリアールはニコニコ笑いながら見送った。ドアが閉まると、彼はすぐに笑みを消した。
ウラドは日記を見下ろしながら、少し神妙な面持ちをしていた。彼は、少し小声で言う。
「ベリアール、君は、いつからこれを計画していたんだ?」
彼は少し笑って、椅子に腰かける。
「だいぶ昔からだよ。」
「君は、何を望んでいるんだい?」
ベリアールは低く笑いながら、少し俯く。逆光のせいでか、彼の顔が真っ黒に沈み、表情が見えない。
「僕はね、『人間になりたいんだ』今までそれのために生きてきた。」
「君はこれを読めるのかい?誰がこの日記を読めないようにしていたんだい?」
彼はゆっくりと顔を上げた。金色の瞳が、月のように上がってこちらを捉える。
「聖典はね、面白いよ。神の愚かさ、人の愚かさが見える。読めば、君の価値観も変わるんじゃない?」
ウラドは訝し気に彼を見下ろしたまま、振り返り、部屋から勢いよく出て行った。静寂な部屋の中、ベリアールはウラドが指差していた一節を見た。
「西にあった絶滅言語、南の一部地域の訛り、北の、ウラドの故郷の言葉の古典語――――」
彼は一文字ずつ、丁寧に撫でながら言う。
「教会にもあるのかな。この言語が――――」
ゆっくり、撫でながら文節ごとに単語を見る。そして彼は、上品でおぞましい眼差しで、ぼそりと言った。
「『メテロトロン』」
ご高覧ありがとうございます!
台風が来るようですね。電池は買いましたか?
僕は、お布団から出ない明日を夢みております。
次回もお楽しみに!




