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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第2章 4部 北の大陸 学会編
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第77話 枝

ユリウルス暦 886年 2月23日


北の大陸(アイデース)西部 聖カトゥリーナ大聖堂 


この大聖堂は、まさしく神の荘厳さを顕現させたような建築だった。ドーム状の翡翠色の屋根、線対称な美しい四角形の構造。壁にはアーチが植物のように美しく装飾されている。西の建築様式と、聖導師教会の伝統が、見事に融合した建築様式だった。


その大聖堂付近には、それに匹敵するほどの大きな建築物もあった。護衛魔導士の駐屯地である。駐屯地も同じような建築様式ではあるが、神の加護を現したような大聖堂の雰囲気とは遠く、重々しく、鉄槌のような堅い雰囲気であった。


駐屯地内部、荘厳な柱が一挙に並ぶ、大広間にて、テナナは歩いていた。彼女は護衛魔導士の制服を身に纏っている。前面にはこげ茶色の長方形の袖口のない外套を首から通しており、それは腰から少し下まである。腰のベルトで靡かないように固定されている。そして黒い袖はカフスがきつく、袖は少しゆったりとしている。こげ茶色の革ブーツは大理石の床で、重々しい足音を出している。


「テナナ。」


テナナは振り返る。そこには、例のウラジミールが立っていた。彼も同じような軍服を纏っていた。しかし、彼は黒色の布地に、紫色の装飾の物であった。高身長でよい体格の彼らしく、絵にかいた軍人のように逞しく美しかった。


とても彼は少しやつれた顔をしていた。テナナはしっかりと彼のほうを向きなおす。ウラジミールは重いため息をつきながら言う。


「頭が痛い――――」


「ここには少し慣れたみたいね。」


ウラジミールは頭を撫でながら、掠れた声で言う。


「慣れたっちゃあ慣れたが、どうにも、ヒトには慣れない。」


テナナは、軽くウラジミールの頭に触れる。彼は少しこそばゆそうに視線をひっこめる。彼女はそのまま聖典を召還し、あるページを開いた。そして、そのまま祝福を捧げた。すると、徐々に頭痛が治まっていく。彼はそれを不思議そうに見た。テナナの眼差しを見る。朗らかな木漏れ日のような眼差し、静かだが冷たさのないものだった。心なしか、母親に似ていた。ウラジミールはほんのわずかに、はにかみながら視線をそらした。


「加護にしては変だな。聖典の一説を読まないだなんて。」


()()()()は術式を応用して、加護の詠唱省略を完成させたのヨ。」


ウラジミールは背後から快い女の声がしたので、振り返った。そこには桃色の羊の角のような髪型をした娘がいた。娘は低身長でウラジミールを見上げていた。彼女は魔女のように笑い、彼の下顎に触れる。


「アジャマールよ。よろしくネ!」


魔性の女のような女だ。南西地方の特徴的な訛りが、やけに耳の中に残る。下顎がゾワゾワした。ウラジミールは、反射的にテナナの背中に隠れる。アジャマールは少し残念そうに笑った。アジャマールは、豊かな胸の下あたりで腕を組む。魅惑的な眼差しは、途端に鋭い鏡のようになる。


「カインの日記を奪われたのは、正直、痛手ね。でも、貴女の責任ではないわ。テナーナ。」


「ですが――――上官からの指示とはいえ、刺客一人捕縛できなかったのも事実です。」


申し訳なさそうに俯く彼女を前に、アジャマールは慎ましく笑う。


「レヴァーンに言われたのでしょうけど、あの子も真面目過ぎるのよ。――――そういえば、テナーナ、積もる話があるわ。後で、アタシの部屋に。バイバイ、かわいこちゃん。」


「はい。」


テナナは一礼すると、ちょうど、ウラジミールの体が丸見えになった。その時、アジャマールと目が合った。彼女は魅惑的に彼に微笑むと、投げ接吻をした。彼の背筋から手にかけて、電撃のような不快感が迸ったのを感じた。彼は手を袖に撫でつける。アジャマールが帰っていったとき、テナナはウラジミールに言う。


「私は、地下の保管所に行くけど、貴方はどうする?このまま帰るのも、悪くはないんじゃないの?」


「帰るなんて、できねぇよ。俺は――――俺の正義を全うするために親父を裏切った。帰ったって合わす顔ねぇよ。」


「そう。」


彼女は歩き出した。大階段を右手に曲がっていき、また右手の階段を下りていく。どんどん下へと降りているのに、階段はやけに明るく、寒さも感じなかった。人の往来が激しい中、二手に分かれた廊下に降り立つ。左手に曲がっていくと、まるで豪邸のような装飾が、視界の先にまで続いている。


いくつもの閉ざされた部屋を横切っていく。二つ、三つ、五つほど通り過ぎて、彼女はある一室の前に立ち止まる。赤褐色の扉に、金色の真鍮の装飾の施されたドアノブが、やけに明かりに反射してキラキラと輝いている。


「この部屋よ。」


彼女はそう言いながら、ドアを開けた。中にはへヴィラに匹敵するほどの書物が、数多く収納されていた。ウラジミールは辺りを関心して見回す。


「すごいな――――なぁ、ここで何を探すんだ?」


「カインの日記についてよ。」


「でも、あれって殆ど内容わかんないんだろ?」


「えぇ。でも、何かあるはず。ベル兄は何かを知っている。いつもそうだった。今回も、何かあるはず。」


テナナは真ん中の列の本棚に向かい、ある複写を取り出した。紙束のようにまとめられており、彼女は両手で抱えるほどの大きさだ。


「カインの日記の複写。一先ず、見てみないと。」


彼女は部屋の中の中心におかれた大きなテーブルの上に、その複写をどさりと乗せた。表紙には特に装飾なんてものはなく、『カインの日記 複写』とだけ記載されていた。彼女はそれを一枚ずつ開いていく。


やはり理解できない文章だ。複写には術式保護がないものの、単語から文法まで、何もかもが支離滅裂に思える。見たことのある文法に見えて、矛盾の生じる文法や単語。そもそも、これが単語なのか、冠詞なのかさえもわからない。


彼女は次に、その席に座ったまま手を後ろに伸ばした。すると、詠唱もせずにある本棚から、分厚い本が出てきた。本はゆっくりとこちらに向かってくると、彼女の手の導きのまま、机の上に、どさりと置かれる。表紙には、西の大陸全史と記載されていた。彼女は少し立ち上がり、腕の力をふるって本を開いた。


「カインの日記が発見されたのは――――あった。」


テナナは、ある行を指でなぞる。


『 カインの日記が発見されたのは、前ユリウルス暦43年 西の大陸 ノルデンディアで発見された。 』


彼女はそのままページをめくっていく。そして、複写を見る。


「カインの日記の文字体系は、どこにも属してない――――」


何時間経ったろうか。


彼女の右側には山のように積まれた紙、左手には低い紙の山があった。その谷底で、ウラジミールは暇そうに顔を机に寝かせていた。テナナは焦燥感と共に、短いため息をついた。その時、ウラジミールは徐に立ち上がる。当然、テナナはそんな様子など、視界にすら入れなかった。


彼が対面の席に戻って来た時、彼はインクと紙一枚を持っていた。そして、変なうねりのある線を書き始めた。テナナはそれを一瞥して、軽く息をつく。


「――――何してるの?こっちの手伝いもしてほしいんだけど。」


「だってそれ、難しそうだ。俺は文字を生み出して日記ごっこしてる。」


彼の蛇文字のような羅列を、テナナは凝視する。彼女は少し前のめりになり、立ち上がりかけた状態で言う。


「文字を――――生み出す。」


「そうだ!なければ生み出せばいいんだ。」


彼は子供のように自慢げに紙を見せてきた。その紙には、少し綺麗ではあるものの、羅列じみたものだった。テナナは複写をもう一度見る。羅列された文字列は、確かに支離滅裂だった。だが、よくよく見ていくと、ある一点の事実が浮かび上がってきた。テナナは目を大きく見開く。


文章を、支離滅裂になるタイミングで区切っていく。徐々に、彼女は冷や汗をかき、口をあんぐりと開けた。


「これ――――文だ。」


彼女は徐に立ち上がり、本棚へ歩き出した。ウラジミールは彼女を、不思議そうに眺めた。ゆっくり立ち上がり、彼女のほうへ向かう。その時彼女は持てるだけの辞書を持ってゆっくり歩きだしていた。顔が見えなくなっているほどの分厚さだ。彼は急いで辞書を何冊か持ち上げ、机へ向かった。


二人は辞書を置く。するとすぐにテナナは辞書を取り出し本を取り出した。一つ一つ単語を探しては、彼女はメモにその単語を書き出していく。ウラジミールは不思議そうに言う。


「何かわかったのか?」


「この文章、よくよく見ると、古代文なの。」


彼女の頭は、かち割れそうなほどの痛みに苛まれた。なぜ今まで気が付かなかったろうか。彼女は汗を流して、掠れた息を吐きながら言う。


「カインの日記が解読できなかったのは、私たちが解読術式を使ってしまっていたから――――!?」


「どういうことだよ。どこかと共通してれば、なにかしら当てはまるだろ?」


「当てはまらないのは、すべての言語に当てはまらないから。いえ、そもそも当てはめる必要すらない。この言語は、属する必要がないの。」


「つまり――――?」


「この言語は、この文章体系は、『すべての言語の源流』なの。」


ウラジミールは唾をのみ、彼女を見る。テナナは怪訝そうに俯き、肘をつく。


「すぐに気が付くはずだった。なんで気が付かなかったの?」


「あの術式――――」


ドアの開かれる音がした。ウラジミールがその方を振り返ると、ロキがいた。彼は手ぶらのまま、疲れた様子で俯くテナナを見下ろしている。彼は淡々と言う。


「日記に付与されていた術式の解析が完了した。」


テナナは、顔を上げることなく、彼に続きを訪ねた。その時、彼は術式のコピーを提示しながら言う。


「『本質を見えにくくするもの』だ。つまりは、日記が言語の元であるという単純な事実を認識させない術式。」


「術式が解読できなかったのも、うなずけるわ。」


「いや、解読できなかったのは、単にごまかされていたからではない。」


テナナは、やっと重い顔を少し上げた。ロキは続ける。


「あれは『固有魔法』だ。」


彼女は少し黙り込んだのち、ゆっくりと立ち上がる。ウラジミールは、ロキに向かって、足をぶらぶらとさせながら言う。


「なぁ、日記を欲しがってたベリアールってのは、人間なのか?なんで、欲しがったんだ?読めないのに。」


ハタと、ティナはウラジミールを見た。ロキもまた、少し神妙な面持ちになる。二人の中で、あらゆる疑問が湧きあがった。テナナはロキを見て尋ねる。


「ベル兄について、何か知ってる?何でもいいわ。」


ロキは少しぼんやりとした後、ウラジミールの隣にドカッと座った。


「奴は人間になりたいと言っていた。普通というものを渇望している。」


「普通、ね。家族はいるのかしら。」


「家族は、弟がいたらしい。」


彼女はふと顔を上げた。一瞬、同じ疑問が大量に頭の中を埋め尽くす。


「弟?何処にいるの?」


「不明。」


彼は端的に答えた。


カインの日記。読めないのに欲しがる理由。弟の存在。原初の言語。いや、彼は読めないのか?固有魔法は、誰がやったんだ?


彼女は、あれこれと思考を巡らせた。だが、テナナにはもうすでに、一つの仮説があった。彼女は憤怒に近しい声色で言う。


「――――報告に行きましょう。私たちは、ずっと盤面の上にいたのよ。」

ご高覧ありがとうございました。


遅れてしまい申し訳ございません。諸事情により、少し遅れました。気をつけます。

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