第76話 あったかい陽光
美しい青空が広がっている。自分は、それを見上げている。ふと足元に目線を落とす。足元、掌は血にまみれていた。やけにその血が温かく、膝を伝って地面を赤く濁している。それでも、青空は青く、美しかった。
ティナは目を開けた。彼女は仰向けのまま眠っており、尾がべたんと潰れて少し痛い。ティナは起き上がり、目をこすりながら隣を見た。布団がはだけておらず、こちらに被さっている。
「ウラドさん、もう起きてたんですか――――」
ティナはベットの上で土下座するような体勢のまま伸びをしてから降り、服を着替えた。部屋の中は植物模様の家具が多い。そしてやけに、麦穂が多い。布団も微かに森の中のような少し湿った匂いだった。部屋の時計は七時であった。
部屋から出ると、廊下も寝室も静かであった。ティナはあらかた歩き回り、遂にはベリアールの書斎に到着した。書斎の品々はやはり高級なものが多く、指ではじけば粉々になってしまいそうな気がした。彼女は書斎のテーブルを覗く。やけに綺麗な筆跡の書類が多かった。しかしながら、全体的に少し埃が多い。
ガタンッ――――!
突如、何か小物の落ちる音がした。ティナは耳と尾をビリビリと震わせた。思わずあちこちを見回したが、どうやら奥の窓辺の小物が落ちてしまったようだ。窓も空いていない。彼女は首を傾げ、テーブルの奥へ向かう。床には古びた子羊の木彫りが横たわっていた。彼女は両手で持ち上げる。
「かわいいですね。だいぶ古いもののようです。――――あれ?」
ティナはふと、背面にざらつきを感じた。ひっくり返してみると、羊の耳が欠けてしまっていた。彼女はアワアワと右往左往した。拾えるだけ欠片を拾い集め、手拭いで纏めた。彼女はふと息をついて、もう一度木彫りを見た。まるで亀裂のように綺麗に繊維に沿って割れている。彼女はこれに関しては少し専門外だったが、いてもたってもいられず、外に出た。
彼の庭は温かな芝生のような場所であった。池には澄み切った水面が、凪すら起きずそこにある。ティナは書斎にある窓の下あたりに腰かけた。そして、その横に手拭いを広げた。耳はやはり綺麗に割くように割れている。ティナは言ったん、木彫りを置き、眼前に植わっていた木に近づく。手ごろな太さの枝はないかと少し見上げていると、ゴトンと、何か落ちる音がした。彼女はその方を体をひねって見る。枝が落ちていた。根元が腐っていいたのだろう。腕ほどの太さで、少し加工は難儀だ。
「まぁ、他のものも作れるかな。」
彼女は枝を両手で持ち上げた。そして脇に抱えて、窓辺に腰かける。ポケットから白銀の簪ほどの杖を取り出し、彼女はそれを彫刻刀に変形させた。そして、器用にがりがりと削り出した。枝をそれなりの長さで切り落とし、小さく削る。
彼女は時間を忘れ、周りを忘れて掘り続けた。太陽が少し上がったところで、彼女はにんまりと笑った。
「できた!」
羊の耳と、その下部には元の羊と結合させるための突起があった。彼女は耳をあらかじめ突起がはまるように穴をあけた羊に差し込む。コリコリと音を鳴らしながら、とうとうはまった。何ともかわいい羊だろうか。作った本人はさぞ、羊好きで器用な人だったんだろう。ティナは自慢げに、ムフーと笑って言う。
「我ながら可愛い。」
「そうだね。」
「ニャ゛イ゛!!!?」
艶めかしい青年の声が、耳元で聞こえた。ティナの体が、思わず飛び上がる。そして横を見ると、確かにベリアールがいた。彼は少し淡々としており、やけにその羊を見つめているのが分かる。ティナは羊を差し出す。
「どうぞ。落ちたときに割れてしまったので、直したんです。」
彼は羊を手に取る。そして、少し色の違う羊の片耳を、軽く指で撫でる。その眼差しは喜びというよりかは、軽い疎ましさを孕んでいた。彼は淡々と言う。
「昔、弟がくれたんだ。」
「弟さん、いらっしゃったんですね。」
「うん。可愛いやつじゃなかった。弟が死んだとき、両親はその死体を膝の上に寝かせて泣いていたよ。僕が二人を見たのは、それが最後だ。」
今の彼は、やけに他人行儀だった。まるで、旅をし始めたころのウラドのようにも感じられる。ティナは、少し前を見る。庭の奥からは、緑色の麦畑が、海原のように広がっている。彼女は、東から北へ行く船を思い出しながら、少し微笑んで言う。
「ベリアールさんは、以前、『必要な差別がある』と言ってましたが、何故、自分が差別を受けたのに、人が好きなんですか?」
「――――人に、なりたいからだよ。人は、愛されているからね。」
「ベリアールさんが、愛を語るなんて、不思議な感じがします。」
「僕は愛はあると思うよ。でもね、平等なんてものはないよ。それだけは言える。そうじゃなかったら、差別なんて起きないもの。憎悪もね。――――ねぇ、ティナ。」
ティナは耳を揺らして返事をした。彼は遠くの麦畑よりさらに奥を眺めるようにしながら、哀愁深く語る。
「カインの日記、読む?」
彼女は風に髪の毛を自由になびかせながら、彼を凝視した。あまりにも滑らかな声での物言いに、彼女は唖然と目を見開きていた。
「――――読めないのではないのですか?」
「見せることはできるよ。」
彼は立ち上がり、ティナに手を差し伸べた。見上げると、彼の顔は逆光で薄気味悪い影に、金色の眼光が、こちらを捉えていた。彼女は心臓が荒ぶる音を感じながら、ゆっくりと彼の手を握る。
やけに分厚い掌だった。
ご高覧ありがとうございました!
話が動き出してますね。僕も展開が早くて、次どうなるんだろ、と気になってます。
次回もお楽しみに!




