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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第2章 4部 北の大陸 学会編
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第75話 麦穂の男

洞窟の中は、想像通り暗く、静かだった。音すらも反響しないほどに。彼はぼうっとした感覚のまま、先へ済んだ。その時、急に風が吹き出した。春の陽気のような、洞窟にはありえないほどの温かさだった。どんどん強くなっていく風の前で、彼は思わず目をつむった。数秒して、瞼の向こう側がやけに明るくなった。


ゆっくりと目を開けたとき、ウラドは驚愕した。あたりには黄金色の麦畑が広がっていた。そして反対方面には羊が群がっていた。ウラドは、その境目の長く続く土道を歩く。朗らかな陽光が照らす土地だ。どれほど著名な画家でさえ、この風景は描けないだろう。


麦畑の真ん中で、麦刈りをする一人の影が見えた。男だ。彼もまた、小麦のような美しい金髪の青年だ。


「カイン~!!」


ウラドは、ふと振り返った。牧草地のほうから、羊の群れを引き連れて、ある青年がきた。黒髪がつややかで彼もまた、あの金髪の青年ほどの身長で、可愛らしい笑みを浮かべて、こちらにやって来た。ウラドは、目を細める。


真っ黒な髪に、耕した土のような茶色の瞳だった。唯一カインと違うのは、纏っている雰囲気と顔つきだろう。カインは微笑みながら手を振った。


「アベル!!」


二人は走り、土道の真ん中に降りた。アベルは牧羊の杖を片手に、カインを抱きしめた。


「今日も一段と綺麗な麦畑だね!」


「そっちも、羊の数増えたね。」


「そう!そろそろ捧げものの時期でしょ?だから、うんっといい子を育ててたんだ!」


二人はそんな他愛ない話を続けていた。アベルはやけに大げさな素振りだったが、それがかえって可愛げがあった。此処はどこなのだろうか、という疑問が湧いた途端に、あたりはグネリと歪んだ。闇が波打ち、あの美しい風景が飲まれていく。混沌があり、そこから光が生まれた。色づき、世界はまた生まれた。


今度は、二人は木陰の下にいた。彼らは、両手ほどの大きさの木の塊を削っている。カインは器用に、雨粒ほどの雫を何粒も作っていた。アベルは、大小二つの丸がくっついた何かであった。カインは雫の穴に麻糸を通した。それらを結んでいく。そして自慢げに天高らかに掲げて言う。


「できた!!」


「何それ?」


「麦穂だよ。ほら、お前の杖に下げれば、垂れ下がった麦穂のようになるだろう?」


アベルはキャッキャと大喜びしながら、それを受け取った。カインは愛おしく彼に微笑みかけ、頭を撫でる。


「麦穂みたいに、お前の羊も沢山増えるといいな!」


「そうだね!ありがと!カイン!」


微笑ましい風景が歪んでいく。この先の出来事は、容易に察することができた。混沌とした闇のみが視界に広がり、ウラドは、ここでもう記憶は終わりなのだと察した。彼は振り返る。まるで誰かがいるかのような、小さな一点の光が見えた。彼はそこに向かって歩き出した。


外は神々しいほどに眩しかった。彼は思わず目をつむる。横から、ベリアールの声だけが聞こえる。


「どうだった?」


「あれは、カインの記憶なのかい?」


「そうだよ。聖導師連中には見られたくなくてね。隠していたんだ。」


「どうやって、見つけたんだい?」


「ん?隠すのに最適な場所って、案外わかりやすいんだ。さて、本題に入ろう。」


ベリアールは、にこにことほくそ笑みながら、ウラドの周りを歩き始める。一周したあたりで、ウラドはそばの切り株に座り込む。ベリアールは言う。


「カインの日記が今まで解読されていないのは、単純な理由があるんだ。」


ウラドは膝に腕を乗せる。


「どこの当てもないのかい?」


「その通り!どこの文字形態にも属さない。――――いや、属する必要なんてない。」


彼は途端に立ち止まり、神妙な面持ちで俯いた。不思議に思ったウラドは、少し座り直し、よくよく彼の顔を見る。彼はまた語る。


「カインの日記――――あれは異質な存在であり、あれの記憶上、聖典をベースにしないとおかしな話になる。」


「聖典だって?」


ベリアールは、カインの日記を召還し、それを開いた。


「カインという名前が出てくるのは、聖典だ。この日記はあの宗教と関連している。僕は断言するよ。術師にも、錬金術師にも、カインなんて存在はいないからね。」


「それで?君は日記で何をするつもり?」


「少なくとも、日記で何かしようというわけではないよ。言った通り、これにそんな効力はない。使うのは、『カイン』だよ。」


ウラドは、目を細め、訝し気に彼を見た。彼の眼差しはそれでこそ、逆光で輝いてはいたが、その奥は見えない。彼は微笑みながら、自身の髪を撫で始めた。せっかく整えた髪が、ガサガサと乱れていく。そして次第に、根元からグラデーションのように金色が流れ始めた。ウラドは、その様子を口をあんぐりと開けたまま見ていた。彼が最後に頭を振ったときには、黄金のような金髪と化していた。


「ほらね。あのカインだろう?」


「あ――――あぁ。」


違和感しかない。何がとは言えないが、違和感があった。初めて会ったときに一度見ているはずだが、なんだか見慣れない。ベリアールは語る。


「この日記は誰も読めないんだから、適当に読んだって何とかなるんだよ。生体錬金術式(バイオロジック)もあるし、布陣は完璧だ!」


ベリアールは大きく腕を広げ、こちらに背を向けた。その様は、群衆を扇動する独裁者のようだ。ウラドは、言う。


生体錬金術式(バイオロジック)だけでは、足りないのかい?あれだけでも、加護、つまりは神への信仰心のみで成立していたものを理論化できている。神の存在を空想ではなく現実に叩き落すだけでは、君は満足できないのかい?」


「あぁ。できないね。確かに、カインという存在があってもなくても、そこまで影響はない。でもさ、面白いじゃないかい?聖典にしかないものが二つも現実にあるんだ。説得力は増す。」


「君の場合、そんなちゃんとした理由には思えない。まるでアドリブだ。」


「――――その通り。アドリブさ。急に思いついたんだよ。」


ベリアールは悪魔のように、低く笑う。


「カインはね、邪悪な存在だなんて風にも解釈されていたんだ。カインの末裔もね。だからこそ、洪水で滅ぼされた人類は皆、カインの末裔だとされてきた。でもどうだい?その諸悪の根源であるカインが!この世にいたとしたら?面白いじゃないか!!」


「神は、完全に悪を断罪できなかったって言いたいのか――――」


「そうさ!神は神たり得るためには、善である必要がある!正義である必要がある!でも、断罪しきれなかった。なんて無能なんだろうか。その断罪できなかった残り粕に、神の力は人間も使用可能と証明される。これほど愉快なことはない。」


「愉快痛快だ。」


ウラドは、無表情でそう言った。ベリアールは、ニコニコと上機嫌で森の入り口のほうを向く。そこには一層陽光が照りつき始めていた。


「僕も、そのために学会へ行くんだ。もう、番人でも傍観者でもない。『僕たち』は、歴史を刻みに行くんだから。――――さ、行こうか。」


二人はこうして、森を抜けていった。道中特に話すこともなく歩いて行った。ベリアールは、左の胸ポケットから金色の懐中電灯を取り出した。ウラドも、ちらりと一瞥すると、どうやらもう8時を回りそうだ。


森から抜けて、あの麦畑に差し掛かったころ、一瞬、太陽がカッと照りついた。だが、妙に眩しくはなかった。光量は増えたが、光そのものは強くならなかったような、本当に奇妙だった。その為か、ウラドはキョトンと太陽を見ていた。


「あ゛っっ゛――――!!」


ただ一人、苦しそうにうなり声を上げた。ウラドは反射的にその方を見る。ベリアールが顔を手で覆い隠している。数秒、彼はその場で跪き、呻いた。太陽に焼かれているかのような挙動を前に、ウラドは一先ず、彼の前で腕を大きく広げ、影を作った。暫くして、太陽の妙な神々しさが収まると、ベリアールは荒い息を吐きながらも、顔を見せた。


「大丈夫かい?」


彼は何度か顔を手でこすりながら、恨めしそうに言う。


「あぁ、平気だよ。たまにあるんだ。」


彼はゆっくりと立ち上がる。


「神は――――僕のことが大っ嫌いみたいだ。当てつけだろう。僕も大っ嫌いだから、おあいこだ。さ!もう帰ろう。」


彼は先を歩き出した。ウラドは一度天を見上げる。ただそこに『ある』だけのようだが、まるで、ベリアールをジッと見ているようにも感じた。あの時、ベリアールが焼けていた時の、彼の髪は、ほんの毛先ほどだが、金色に見えた。

ご高覧ありがとうございました。

此度、Xにて本作の主人公ウラドのFAを描いてくださるなど、様々な交流が起きております。読者様並びに、作家仲間の皆様には、本作を楽しんでいただき、恐悦至極に存じます。


僕の怪文がここまで続いてこられたのも、皆様の応援などのおかげです。ありがとうございます(^^)


次回もお楽しみに!!!!

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