第74話 羊
翌日の朝
朝日が昇り始めている。寝室は大きな窓とその前に置かれたペットを中心に家具が置かれている。左手には壁をくり抜いたようなクローゼット、右手には出入り口、正面と入り口のそばには本棚があった。大きな窓は、天輪のようにベットの頭上を照らしている。窓枠が影となって部屋全体に影絵を作っている。ベリアールはゆっくり、その部屋の中で目を開けた。漆塗りの椀のような黒色の髪が、乱れている。彼はゆっくり起き上がる。やけに背中が熱いと振り返ると、朝日が彼を照らしていた。鬱陶しいほどに。
彼はベットから降りて、寝巻きを脱いだ。黒い寝巻きをクローゼットにハンガーで掛ける。そして、隣にかけてあった白いボタンシャツを取り出して、それを着た。ジャケットは黒のスラリとしたもの、黒いストレートパンツを履いた。金色の宝石のあしらわれたループタイを首にかけると、彼は一気に上品な雰囲気を纏った。等身大の姿見で一回転して、彼はよし、と頷いた。
「後は身だしなみか。」
彼は櫛で髪を梳かす。また姿見を見た。金色の瞳だけがキラキラと輝いている。まるで金星だ。彼は陽光をキラキラと反射しているその瞳のまま、部屋から出た。
客間は彼の寝室から見て斜め前にある。廊下は静かで、突き当りの窓が眩しい。
ガチャ――――
早朝から出てきたのは、ティナではなくウラドだった。彼は軽く整えられた黒髪を陽光にさらしながら欠伸をする。ベリアールは一瞬、昔を思い出した。同じように大欠伸をしていたやつがいた。ベリアールは少し無表情でそれを見たが、すぐににんまりと笑った。
「おはよう。ウラド、こんな朝早くにどうしたんだい?」
彼はまた欠伸をして、かすれた声で言う。
「いんや、たまたま起きたからさ。ティナはまだ寝てるし、散歩にでも行こうかな。」
「へぇ!じゃあ僕もご一緒しようかな。」
機嫌をうかがうような笑みを前に、ウラドは微笑むこともせず彼を見つめる。
「――――いいよ。」
二人は書斎に行き、赤いサムラッチ錠のドアを開けた。先には綺麗な石畳の道が続いている。黒い鉄製のフェンスゲートを開け、敷地の外に出た。外は絵にかいたような楽園のようであった。陽光が眩しく、広い麦畑が広がっている。黄緑色の若い麦穂がサラサラと揺れている。視界の遥か向こう側には、深緑の山脈が畝っている。
二人は、なだらかな傾斜の土道の上を歩く。ウラドは辺りを見回しながら、ベリアールを見た。彼は晴れやかな面持ちで、時折農耕する人たちに手を振った。彼は笑顔でこちらを見る。
「ここが好きなんだ。麦畑が多くて、良いところだ。」
「君の家の近くがこんな感じだったとは、知らなかった。」
ベリアールはふっ、と上品に笑った。
「僕の家の近くではないよ。ここは、西の大陸の東部の農村だ。ほど遠いよ。」
「では、君はどこに家を構えているんだ?」
「――――珍しいねぇ。君がそんなに知りたがるなんて。」
「変かな?無の國で目覚めた後から、なんだか、物事を少し楽観視できるようになった気がする。」
ベリアールは抱きしめんばかりに手を広げ、笑顔を見せた。あまりにも大きく腕を広げたので、ジャケットの背広の内側の金色の布地がちらりと見える。
「いいことだ!!君はティナという希望のおかげで、漸く救われたんだ!!おめでとう。」
「なんか、大仰だな。」
「いいじゃないか!僕は君たちにとって、『遠くにいて近くにいる』。だから、こんな遠いところにも行けるんだ。」
ウラドは、彼の興奮を肌で感じた。二人はひとしきり歩き、少し丘になった場所に腰かけた。途中農民たちが彼に手を振って挨拶している。ベリアールは愛想よく、大きく手を振った。朗らかな風に黒髪を棚引かせて言う。
「農耕民は素晴らしいよ。毎日、毎年、決まった規則で仕事をこなす。これほど誠実な存在はいないだろう?」
ウラドは安堵した様子でゆっくり息を吐く。
「そうだね。」
「彼等こそ、祝福されないと。」
「――――ベリアール、カインの日記、あれの中身―――なんだった?」
ベリアールは少し黙り込んだ。顔は和やかであったが、彼の目線は山々でも、農民さえも見ていなかった。彼はまっすぐな眼差しで、語る。
「ただの日記だよ。大昔の日記。誰も読めないんだ。」
「ではなぜ、あんなもの欲しがったんだい?」
「たとえ、だれも読めなくても――――意味があるんだ。意味の分からないアートに人が価値を見出すように。」
彼は立ち上がって、こちらに手を伸ばした。その眼差しは弟の手を引く兄のような、柔らかさのあるものだった。
「さぁ、行こうか。」
「どこへ?」
「過去だよ。」
彼の眼差しは、途端にいつも通り陽光の逆光を宿した眼差しと化した。やけに不気味だった。
二人はこのまま村の奥まで歩いていき、やがては、山の中に入っていった。山の中は不思議なほど木漏れ日の温かさが垣間見れた。鳥の朗らかな囀り、風の棚引きが奏でる葉の音色が美しい。二人はその山の裾野の中を歩いている。ベリアールはウラドの前を、やけに鈴鹿に歩いている。
「ねぇ、ウラド。君は、この世界をどう思う?」
「なんだい――――?急だね。」
「僕、おしゃべりが好きだからね。」
ウラドは訝し気に彼の背中を見ながら、少しずつ語りだす。
「――――この世界は、腐敗し始めている。戦争になる可能性だってある。君も、向こうも、どっちが正しいなんてないんだよ。」
「それじゃ、どうして人は、それでも生きていこうとしてるの?無意味だよね?」
「――――僕たちは不当な差別に耐えかねて、今こうして動いている。向こうは逆に、この世界を維持したいから動いている。でもさ、向こうも僕たちが間違っていると言うし、僕たちも向こうが間違っていると言う。そうなると、もう堂々巡りだよ。」
ウラドは空を見上げる。生い茂る木々の隙間から、青空が覗いている。彼はまた正面を見る。
「でも、この選択に満足しているはずだ。納得できている。だから、テナナも裏切ったんだよ。いや――――正確には裏切ったんじゃない。選択しただけだよ。」
「つまり、人間たちはこの歴史に満足していると?」
ベリアールが尋ねたとき、ウラドは少し息を吐き、やけにリラックスした様子で頷いた。
「そうじゃないかな。」
ベリアールは少し笑った。ウラドは理解できず、ふと彼の背中を見た。彼は演説するように高らかに語る。
「この世界は好都合なことに『未完成』だ!人間が、人間によって紡がれるこの歴史を満足して受け入れるのは、僕も良いと思う!でも、僕はこの『世界』に不満なんだ。」
「この世界――――?聖導師の支配するこの社会が?」
彼は振り返った。それは木漏れ日すら彼を避けるような、不気味な眼差しであった。彼はまるで悪魔の伝道者のような笑みを浮かべている。その眼には些か、魅惑的だ。
「いや――――この『世界』さ。」
二人はだいぶ奥まで歩いてきていた。背後にはもう村の入り口はなく、明るい森の様しか見えなかった。次第に少し開けた場所に出た。ウラドは目を見開いた。眼前には大きな洞窟のようなものがあり、大岩でふさがれている。ベリアールはそのふさがれた洞窟の前に立ち、こちらに振り返る。手には、カインの日記があった。彼はそれに視線を注ぎながら言う。
「ねぇ、ウラド。この日記、特に特別な力はないんだ。」
「――――ではなんで、君はこれを欲したんだい?」
「リサイクルって知っているかい?これはそのための物なんだ。これ単体に何もないんだけど、やりようによっては面白いことになる。」
彼は大岩に手を伸ばす。すると、大岩には均等な四角形の亀裂がいくつも刻まれた。そしてガタガタと音を立てながら、端に移動していく。そして開かれた。真っ暗な闇が誘うように広がっている。心臓がびくびくと震え、唖然としたウラドに、ベリアールは闇を指さして言った。
「行ってらっしゃい。」
ウラドは、無の國での皆を思い出した。だが彼らの慈愛に満ちた送りだ足なんかとは、ほど遠い感情からのものだとは、彼も認識していた。まるで蛇が果実を勧めるような、ねっとりとした一言だった。彼は震える手を握りしめ、一歩、闇に踏み出した。
ご高覧ありがとうございました。
この度更新が遅れましたこと、お詫び申し上げます。
Xで誤通報によるアカウント乗っ取り詐欺にハマりかけておりまして、その対処をしておりました。返信した際Discordで管理者に手続きするよう促され、諸々の情報を入力します。その後バックアップのためのメアドを追加するという手法です。
焦りました。フォロワーからのDMでしたから、、、
でも良く考えると、彼の方、僕の名前を一度も読んでくれなかったんです。皆さんもお気をつけて。管理者のプロフィールURLもXみたいなのに繋がりましたし、、
皆さんもお気をつけて。
では、次回もお楽しみに。




