第73話 成り代わってやる
ベリアールは和やかに書斎に案内した。それは見慣れた通りの部屋であったが、少し内装も変わっていた。以前までは黒がメインの部屋であったが、今は黒の装飾として金色が多い。現に、書斎テーブルの下にも金色の刺繍で彩られた黒い絨毯が敷かれている。彼は二人を中に案内すると、すぐに書斎の椅子に腰かけた。今は書類は少なく、やけに本が多かった。窓の外は変わらず明るい昼間のようだ。ここに入るまでは、紫色の空も帯びていたのに。
ウラドはその横の談話スペースのソファに腰かける。そして、軽くため息をつく。
「災難だよ。」
書斎の椅子に腰かけたベリアールは、やけに他人行儀に笑った。
「お疲れのようだね!休んだら?客室は空いてるんだ。」
「――――じゃあ、そうしようかな。ティナ、あとは、任せたよ。」
ティナは耳をぴょこぴょこ左右に揺らす。
「はい。」
ウラドは、そのまま少し猫背で部屋を出て行った。ベリアールはそれをジッと見送った後、頬杖をしてまま、ティナを見た。彼女はやけに耳をピクピクと揺らしている。彼はそれを、少し微笑むようにも見える眼差しで見ていた。
「お疲れ様。」
彼は突拍子もなく言い出した。ティナは少し驚いたが、それとなく返事をして立ち上がった。そして懐から、少しぼろぼろの冊子を取り出す。
「カインの日記です。」
「――――あぁ!有難う。依頼達成だよ。報酬として、40テルタね。」
ベリアールはそう言いながら、また少し綺麗な麻袋を渡した。彼はやけに上機嫌、というわけではなかった。というよりかは、やっと来たと言いたげな様子だ。ティナも芳しくない態度である。彼は不思議そうに顔を覗く。
「どうしたの?今回は、テナちゃんがいたから、楽に入れたろう?」
「えっと――――テナナが、実は聖導師だったので、どうにも驚きが隠せないんです。」
それを聞いた彼はやけに無表情になった。笑みは薄く保たれているものの、明らかに硬直している。彼はくすんだ金色の瞳を落し、珍しく大きなため息をつく。彼は思わず、両手で顔を覆った。両手はかすかに震えており、骨ばって指先に力がこもっている。彼は少し、呆れた口調で言う。
「――――そう。」
「あの――――ベリアールさんは正しい事をしているのですから、自信を持ってください。自信さえあれば、顔を上げられます!」
彼は笑った。乾いた笑いだった。
「――――大昔、同じことを言われたことがあるよ。」
ティナは少しキョトンとする。
「――――あっ、もしかして嫌でしたか?」
彼は数秒黙り込んだ。重々しい空気がのしかかってはいないが、肩を撫でるように流れる。その時、彼は顔を上げた。この時点で、彼は絵にかいたような笑みを見せていた。
「ん?いや、気にしてないよ。」
そこから、少しの間沈黙が流れた。気まずさのあまり、耳をフヨフヨさせながら、ティナは尋ねる。
「えっと――――そういえば、またおしゃべりしたいと言ってましたが、ベリアールさんはおしゃべり、好きなんですか?」
彼は書類や本を漁りながら、軽く返事して言う。
「あぁ。好きだよ。個人のことを知るには、会話しかないからね。――――ねぇ、ティナ。君は『差別』をどう思う?」
ティナは耳をピンと立て、背筋も伸ばした。
「急ですね―――そうですねぇ――――良くないもの、だと思います。やっぱり――――その人を決めるのは、その要素ではありませんから。」
彼はそれを聞いて、やけに興味深そうにほくそ笑み、一瞬こちらを見た。金色の瞳が射貫こうとしてきた気がした。やけにそぞろ立つ。
「なるほどねぇ。僕が思うに、差別はもう人間にとっては必要なんじゃないかな?」
ティナの瞼は、一瞬痙攣した。
「どういうことです?」
「例えば、女扱いをすることが差別だとする。でも、妊婦の世話は大変とか、女が時折、怒りっぽくなった時、どうすればいいのかとか――――女の話をするにはある程度、差別的な発言や内容は避けられない。悪意はなくても、差別してかないと話として成立しない。そうだろ?」
「――――そもそも、そういう話題がいけないのでは?美しい人がいた、という話をしても、何の差別にもなりませんよ。」
ティナは肩を寄せ、尾の毛を少し立たせてい言う。その時、ベリアールは前のめりに頬杖をする。
「そう。普通なら、美人な女がいた、で話は終わる。でも、時折いるだろう?『女をそんな値踏みするように見るな』って。実際それは正しい。娼婦は買ってもらうために化粧をする。男を寄せ付けるため、美人だと言ってもらうために化粧をする。つまり、男も、女を値踏みしてしまってる。」
ティナは身の毛がそそろ立つ感覚に襲われた。寒風に身を晒されたわけでもないのに、嫌な嫌悪感が全身に纏わりつく。彼はそのまま語る。
「でもさ!そうなっちゃったら、もう誰とも会話できないよ!みんな、なんでも差別にするんだもの。」
彼は手を広げる。背後の窓の陽光が彼の後頭部を照らしている。その様はまるで聖人の日輪のようだ。
「きっと、いつかは――――幸福な話題をしてても、その幸福にあやかれない人間の為に、その話題を控えないといけない。馬鹿馬鹿しくないかい?」
ベリアールは軽蔑するように笑った。ティナはつばを飲む。
「――――ではなぜ、ベリアールさんは聖導師の側についていないんですか?彼等だって、必要な『差別』をしているはずです。」
ベリアールはうっすらと微笑みながら、ティナを見つめる。まるで顔を見ていない様な眼差しだ。彼はしばらく沈黙して、今度は、カインの日記を軽く撫でる。
「――――僕もね、そっち側だったんだよ。大昔の話なのに。君は、彼らの差別は、必要なものだと思っているの?」
ティナはゾッとした。彼の表情、穏やかな微笑みにもかかわらず、暗く、おぞましかった。名状しがたい、どす黒い感情が彼から溢れていた。彼はニッコリと笑い言う。
「ウラドの魔力、綺麗になったよね。気づいた?」
「い、いえ。ですが、やけに穏やかになりましたね。」
「あの子の記憶は、僕とサタエルにより混濁していた。でも今の彼はだいぶ綺麗になったんだね。良かった。――――さぁ、もうゆっくりした方がいい。」
ティナは窓を見る。美しい昼間の景色が広がっていた。奥には麦畑も見える。ドアの前に立った時、彼女はドアの取手に手をかけながら振り返る。
「あの、カインの日記、あれは何なのですか?」
「あれは大昔の日記だよ。ユリウルス暦なんてものが生まれるよりも昔のもの。––––なんで、『カイン』何だろうね。聖典でも読んでみる?」
彼の一言を聞いたあと、ティナは軽く一礼して、部屋から出て行った。
独り静かな部屋に残っているベリアールは、この部屋がやけに広く感じた。陽光はしつこいほどに眩しく、奥の麦畑は美しかった。彼は日記を見る。ボロボロで、日焼けしている。中を開くと、そこには古びた文字の羅列があった。
彼はその日記を、ペラペラとめくっていく。無表情で、淡々と読む。何、読んだところで特別な何かがあるわけではない。彼等には申し訳ないが、これは個人的に欲しかったのだ。彼は窓辺にある木製の置物を見る。羊だ。ベリアールはそれを、上からどっしりと見下ろしている。
ベリアールは羊の置物を両手で持ち上げる。随分と日にさらされており、もう白く褪せつつある。だがところどころに、漆喰を塗った後もあった。彼はそれを見つめる。陽光が訝し気に彼を照らし、影が色濃く黒くなりつつある。
彼は、歯を食いしばり、瞼を震わせながら、羊を睨みつけた。それは狼の獲物の眼差しでもなければ、蛇の狡猾なものでもなかった。あれは、邪悪そのもののようなもの、悪意、憎悪それらの言葉では言い表せないほど黒い感情、時間さえも帯びていた。だが、どこか麗しい目だった。
ご高覧ありがとうございます。
ベリアールの長話は、流石に長いですね。僕も思います。ですが、彼は無駄に話してはわけでもなさそうですねぇ。
次回もお楽しみにしてくださると、嬉しいです。




