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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第2章 4部 北の大陸 学会編
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第68話 合同研究所 4


ウラジミールは彼女を見つめた。茶色の瞳は震えており、掴み掛かった手は必死に握りしめている。合同研究所は父親ですら所属していなかったはずだが、あれは一体どんな所なのだろうか。加えて彼女の顔。生と死の狭間のような、緊迫した表情で、掴む手は震えつつある。ウラジミールの中で、やけに好奇心と不安のようなものが入り混じっていた。


「その、日記ってなんなんだよ。」


テナナは少し離れる。


「カインの日記は、ずいぶん昔に書かれたものとされてるわ。ただ、個人の日記だからかわからないけど、何を意図しているのかはまだ曖昧みたいなの。合同研究所の保管文書の一つ。」


「お前はそこの人間なのか?」


「研究こそはしてないわ。でも、そこの人間ではあるわよ。」


「手に入れてどうするんだ?」


テナナは訝し気に目線をそらす。


「それを欲してる人が、今後何をするつもりなのかを知るため。人類史にとってあの人が有害か判断したいの。」


ウラジミールは顎をさすりながら、考えを巡らせる。欲している人物が二人以上いるとなると、それにはある程度歴史的な価値があり、善にも悪にもなる。彼は尾を軽く振りながらゆっくりと、考えを吐き出す。


「きな臭いな。親父に聞いてみるよ―――」


「いや、父上も、そっち側に関係あるのかもしれない。」


ウラジミールは尾をピンっと立たせてこちらを見た。


「なんだと――――?!」


「昔、そのカインの日記を欲しがってるベリアールという人の邸宅に、彼が来てたの。獣人の歴史がどうとか、そういう話をしてたって、ロキお兄ちゃん――――私の父親代わりの人が言ってた。」


ウラジミールは眉間にしわを寄せた。一時期いなかったころ――――たしか10年前ほどだったはずだ。それこそ、未だ魔導教会があり、そこで胡坐をかいていたころか。


彼は少しうなりながら、過去の記憶を想起していると、急に魔導教会から出た日があったのを思い出した。何故その日いなかったのだろうか、あの日、やつ曰く「知りに行く。」とだけだった。何を知りに?何を知ったというのか?彼の中で疑問と不信感が募る。ここ最近錬金術師との交流も増えてきている。なんであんな連中とかかわっているんだ?


ウラジミールはあの盗人を蹴り飛ばしたのと同じ、決意と使命感に満ちた目で見上げた。


「――――協力するよ。悪ぃ奴に取られるのは、勘弁してほしいからな。もし、行けなかったら先行っててくれ。」


「わかったわ。もし悪なら、破壊もかまわないのね?」


彼は鼻で笑いながら肩をすくめて見せた。


「お構いなく。善こそヒーローだからな!」


「向こうより早く日記を見ないと、決行は今夜。集合場所は、へヴィラの近くにある橋。――――貴方、杖は持ってるの?戦いは避けられないかも。」


ウラジミールは少し俯く。


「持っては、いる。でも使いたくない。――――母さんの形見なんだ。傷つけるようなことはしたくない。それに、俺は龍人だ。杖なしでも雷は得意だから使える。」


「――――そう。それじゃ、私は行くわ。」


テナナは路地から太陽がやけに差し込む大通りのほうへ出て行った。彼はそれを見つめたのち、少しうす暗い方へ行った。


テナナが路地から抜けると、そこにはロキが壁にもたれながら立っていた。視線の向こうには、学生たちがワイワイと騒ぎながら歩いている。彼は何食わぬ表情で言う。


「行くのか。」


テナナは少し晴れやかな、だが不安のある笑みを浮かべた。


「ベル兄が何を企んでるのかが心配なの。生体錬金術式(バイオロジック)は、それこそ何に使ってもおかしくない。最近錬金術師の動きも、きな臭くなってきてる。――――止めるつもり?」


「親というのは、子供のやることを背後から見るものだ。止めはしない。――――バックアップを遂行する。」


「――――有難う。お兄ちゃん。」


テナナは胸ポケットから、首飾りを取り出した。


銀色の十字架を。その首にかけた。


***


あんなに高く南中していた太陽はもう下り、夜の帳がおりつつあった。ウラジミールは屋敷の大階段を降りつつあった。今日はやけに、人がいない。夜中にはギルデロイが家に帰してしまうため静かではあるものの、やけに、逃げ去ったかのように静かだ。今夜は決行。彼は階段を徐々に早く駆け下りた。そして、左へ曲がる。北側の部屋、ギルデロイの書斎だ。彼は一日中そこに引きこもっている。だが、今は風呂に入っている。


「親父、長風呂だし最近リンゴ目に張り付けるのハマってるから、いけるな。」


ウラジミールは念のため周囲を確認してから部屋に入った。部屋の中は本だらけ、書斎の机の上にも書類や論文が汚く、山積みになっている。


「きったねぇ。」


ウラジミールは書斎のそばに置かれた杖と、そこにかけられた首飾りを見る。紫の宝石が部屋の光を反射して、慎ましくも美しく輝いていた。


「母さん。」


ウラジミールは一瞬涙が出そうになった。大昔の、それこそ200年前の話ではあるし、もう声も忘れてしまった。だが、思い起こせる記憶のすべてが春の陽気のようなものだった。葬式の時、普段堂々としてる父が、跪き母の手を離そうとしなかった。


ウラジミールはわずかに漏れ出た涙を袖で拭うと、机の引き出しを漁り始めた。いくつかの手紙、羊皮紙、母の結婚指輪、様々なものが入っていた。手帳を乱雑に開いても、特にあの合同研究所に関係するものは見当たらなかった。やはり関係がないのか?テナナの予測は外れている?


その時、風呂場の方角からギルデロイの魔力が動くのが分かった。此処にいるのがばれたらまずい。彼は引き出しを勢い良く閉め、部屋から出た。大股で、早足で歩いていくと、ちょうど玄関前の大階段に差し掛かった。


「ウラジミール。」


彼は途端に立ち止まり、目線だけ、その方へ向けた。ギルデロイが浴衣ではなく、珍しくシャツを身に纏っていた。黒いボタンシャツには普段のような派手な装飾すらなく、まるで身軽だ。ウラジミールが嫌そうに睨む中、ギルデロイは語る。


「息子よ。その様子だと、どこかに行くつもりだな?夜中に徘徊するのは不良かジジイのすることだ。」


「そういう親父はジジイになったのか?」


「俺はまだ2400年しか生きてない。」


「嘘つけ3000は生きてるだろ。」


「――――いいから、お前はもう寝ろ。」


「もうそんなこと言われる年齢じゃねぇ。」


「まだ200年だろ。」


ウラジミールは舌打ちした。もうらちが明かない。あの様子だと行かせるつもりは毛頭ないらしい。彼は体をギルデロイのほうに向けた。紫の混じった黒い瞳が、ギルデロイを見上げている。


「カインの日記――――あれに関わってるのか?」


ギルデロイは肩からため息をつく。


「欲している。」


「なんでだよ。」


「あれには――――歴史的な力がある。ひっくり返るぞ、歴史がな。俺は長い時を生きてきて、今は最もクソだ。神どもに膝をつく馬鹿な人間達。縋るべきは神ではなく己である事を、未だ分かっていない。故に分からせるのだ!」


彼はゆっくり階段を降りる。そして途中でまた止まる。


「人間が馬鹿なのは今に始まったことじゃない。だが、それを利用するクズがいる事が、堪らなく不快なのだ。」


ウラジミールは拳を握る。


「俺たちだって神様はいる。南なんてそうなんだろ?」


「だが、盲信してはいない。お前こそ、あれを欲してどうするつもりだ?」


「悪ならば、壊すまでだ。悪者はいつだって嫌なことしかしない!それによってどれほどの人間が苦しむのか、親父は見てないのか?」


「見たさ。息子よ。お前よりも多くな。」


ギルデロイは艶やかな指先を、広げる。悲劇に出てくる嫌な役。それが主役に華々しく語るような口振りだ。


「見てきてわかった。この世に正義などない。–––お前は言う事全てが甘いのだ。裏表、善と悪でものを見てるが、物事に裏表はない。ただお前が一側面でしか見てないだけだ。」


ウラジミールは痺れを切らした。これは時間稼ぎのつもりなのだろう。となればもう――――


彼は拳を握りしめた。そして構える。ギルデロイは眉を顰めつつ、唇を噛む。一瞬俯いたが、その途端、何かが吹っ切れたように高笑いしだした。屋敷中に響き渡るような笑い声、途端にウラジミールは足が震える。やけに恐ろしい。気が狂ったとは思えない。まるで、子供の小さなミスを笑って済ませているような。変な余裕さえ感じさせる。ウラジミールは杖を召還した。


「––––馬鹿な息子よ。いいか?『人は何にだってなれる』のだ。偉人にも、愚人にもな。」


ウラジミールは臆することなく、父を睨む。握りしめた拳には、静電気のように紫黒色の雷が纏う。魔力は迸り、戦意漲る彼の顔をギルデロイは見た。軽く、眉を顰めて。魔力は水面のように僅かに揺れた。ウラジミールは、ハッキリと叫ぶ。


「じゃあ、あんたは『敵』だ!」

ご高覧ありがとうございました。最近自分の言葉はいくつか間違えていることが判明しました。以後気を付けてまいります。

ここ最近、様々な方々からご高覧してくださっていること、まことに恐悦至極です。そろそろ二年目に差し掛かります。この二年間は正直なところ、寂しい状態から始まった物語のように思えます。ですが、今こうして沢山の方々に会えたこと、本当にうれしく思います。これからも、少しずつ歩んでいきたいと思います。


では、次回もお楽しみに!!

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