Episode81・(Waka. Ren.Mother's Side)
「_____貴女は、被害者とはどういうご関係で」
コンクリート剥き出しの部屋は、無情な冷気を感じた。
綺麗に七三分けされた髪に黒縁眼鏡を掛けた刑事は
刃にも似た鋭い眼孔と淡々とした声音で此方をじっと見詰めている。
その刻まれた皴や威風が、ベテラン刑事の風格を思わせた。
視線に先には翳りを落とし肩を竦めた女性がいた。
その表情は疲弊と憔悴仕切っていて何処か薄幸さと儚さを伏せ持っている。
視線を向けられた彼女は動じずに無表情に俯いたまま、呟いた。
「私は、被害者……川嶋廉の従妹に当たります」
取調室という狭い箱庭で、そう告げた。
事件の通報者及び第一発見者。現場にいたもう1人の目撃者。
………水瀬和歌。
彼女は冷静沈着に現実を見据えていながらも、
心は疲弊し思考回路は混乱していたのだろう、
神経衰弱と心神喪失のまま、被害者男性の救急車に付き添いとして同乗し、消防や警察へ説明をした後、和歌も気絶する様に倒れた。
警察は、水瀬和歌にはれっきとしたアリバイがあること
また現場の指紋採取から川嶋舞子の指紋しかなかった事から、
和歌に容疑は向けられなかった。
「あの日は……」
和歌が嘘偽り無く供述した事により、
舞子は和歌への暴行罪も加わり、殺人未遂、暴行罪の罪に問われたのだった。
_______留置場、面会室。
「貴女が現れてから、胸騒ぎが絶えなかったの」
パーティション越しに、明かされた本音。
母親が犯した罪を懺悔しながら、
贖罪を求め続ける廉とは違い、舞子には罪の意識すら最初から無いのだ。
反省もない。更生の余地もなく、
舞子はのうのうと生きている。
「………廉を
また傷付けてしまう結果になった事には変わらないわ。
それに貴女___和歌にも手を上げたそうね」
杏子は厳しい面持ちを浮かべながら極めて冷静沈着に告げた。
甥だけではなく娘にも手を上げた事に、
杏子の双眸は静かな憤怒を佇ませている事は明らかだった
我が娘と、我が子同然に育ててきた甥が二人が
傷付いている今、杏子の内心は穏やかでは居られない。
硝子越しの向こう側に居る、舞子は何も言わず俯いたままだ。
「_____貴女が
我が子を二度も傷付けた事は変わらない。
精神的にも、肉体的にも。
…………最初から廉を苦しめるつもりで近付いたの?」
「…………………」
「…………………」
「あの子が、悪いのよ………」
「はい?」
絞り出す様に呟かれた言葉。
刹那にぎろりと、杏子を睨む舞子の形相は般若の様だ。
「…………親孝行してくれる、って言ってたのに………。
親子に戻りたいって私の願いを、あの子が融通が効かせてくれたら………」
(救いようのない、自己反省のない人ね)
この人間に効く薬なんて、この世にはないのだ。
最初から呆気しかなく期待もしていなかったが、舞子の身勝手さに杏子は呆れ果てた。
息子からの親孝行、という期待を舞子は抱いていたのだろう。
廉は親思いな子供だった。
幼い頃、無邪気に親孝行する、と言っていた事を。
息子の存在を忘れていたのに、都合良い言葉だけは憶えていたのか。
けれどもそれは、舞子がドミノ倒しの様に平穏を崩した事で掻き消された。
「………廉を、責めるのも、憎むのも、お門違いよ。
貴女にはそんな権利なんてないわ。
貴女はただ無慈悲に、無責任に、廉を見捨てて傷付けただけよ。
廉は、未だにずっと苦しみ続けてる。
貴女の犯した罪に向き合い贖罪を求めては、出口のない苦悩に向き合っているの」
」
「………」
「………私ね、分かった事があるの。
子供は親が育てられるのでなく、子が親に育てられる。
一番見ているのは子供なのだと、………私は思う。
二人を見ていて解った事よ。
廉は、とてもいい子よ。貴女には勿体ないくらいの。
だから………。
兄夫婦が罪を犯さず、平和を壊さず、今も健在で居たら、
あの子は無条件で、兄さんや貴女に沢山の親孝行をしたでしょうね」
悟りを開いた面持ちと声音で杏子は告げる。
無邪気で優しい少年を傷付け続けた彼女に届くとは滅相も思っていないが。
不意に、廉の顔が脳裏に浮かんだ。
あの時、自分自身が、刃を向けた際の言葉。
『貴女に出来る事は、一つだけです』
『壊れかけたものを、壊すだけです』
廉の言葉。
冷静沈着な面持ちで、全てを諦観した様な瞳。
あれは舞子の身を案じた末に起こした悲劇だったのか。
そして同時に、裏切り見捨てた母親への復讐。
舞子の刃の矛先が、杏子と和歌に向かない様に。
一瞬だけ、舞子の目頭が熱くなった。
「憎むなら、廉の存在を消した両親、
そして、なりより廉を裏切り傷付けた自分自身を憎みなさい」
面会制限時間の30分が、恐ろしい程に短く感じた。
杏子は凛としてそう告げると、面会室を後にした。
_______ICU (集中治療室)。
無機質な機械音が聞こえる。
茫然自失として椅子に座る。
青年この眠りは、静観な休息にも見えた。
贖罪と罪の意識に苛まれる彼にとって、眠りは現実から切り離された休息なのだろう。
一番の奥のベッドで、青年は眠り続ける。
一命を取り止めたものの、意識不明の予断を許さない状態が続いている。
(____貴女に何か、してあげられた事は……なかった)
熱くなる目頭を指先で拭って
廉の様子を見に来た杏子の心中はかなり複雑だ。
和歌も憔悴しているので敢えて聴かない。
あの時、親子の間に何があったのかは分からないけれども
大人になった彼と舞子の間で他者が入れぬ、確執があった事は如実だろう。
「………ごめんなさい。
私が、保護者なのに守って上げられなかった……」
もっと
舞子を見張って、目を光らせておくべきだった。
後悔しても遅いが再会させない様に自分自身が動くべきだったとも猛省する。
一瞬の不意をついた隙に起こってしまった悲劇。
甥がこうなったのは、自分自身にも過失がある。
不意に廉の顔に目を遣る。
自分自身を責めて、贖罪を求める青年。
心無しか彼の表情はいつも悟りを開いていて、達観している。
けれども裏を返せばどことなく窶れていた。
苦痛を伴っている筈なのに、
その寝顔はとても安らかなものだった。
彼は無条件に自分自身を窮地に追い込んでしまっている。
「………廉、たまには走り続けず、休んでもいいのよ。
貴方はあのから頑張り過ぎた。だから生き急がなくてもいい。
今は、おやすみなさい。
また貴方が戻って来たら、和歌と食事でもしましょうね。
その時は廉の好きなパエリアでも作ろうか」
優しく語りかける。
その瞳には涙を浮かべながら、杏子は語る。
けれども意識が回復する事、
______それは、彼にとってどうなのだろう。




