Episode47・(Waka. Misaki mother Side)
和歌は大学の講義を終えると
寄り道もせず、直帰して、家路に帰宅するという。
祥子は、その和歌の行動に目が着けた。
大学の門をくぐると、
外では外国製のブラックリムジンが存在感を放っている。
きっと美岬の出迎えが来たのだろうと、
反対方向に和歌は素通りしかけた。
しかし____。
「_____“水瀬 和歌”さん」
その気高い夫人の声音に、和歌は立ち止まった。
その刹那、無意識に、フラッシュバックした9年前の色濃い光景。
あの時と同じ声の掛け方、車、人物____。
思わず肩を竦めては足が立ち鋤くんでしまい、
絶え間なく心臓が警戒心の警告を鳴らす。
(平常心でいないと。
私が誘拐された子だと悟れては、いけない………)
冷静となれ。
呪文の様に心の中でそう唱えて、掬った髪を耳にかけた。
視線の先を見詰めて驚いた。
不意にリムジンの窓が開き、視線を向けると驚く。
テレビで見た事てある千歳賢一の妻が居たからだ。
彼女は余裕な微笑を浮かべている。
国会議員の妻としての品格が備わっている様な人だった。
(_____やっぱり遺伝子は隠せない)
そんな感想を抱いた。
写真では母親似の娘という感じだったのだが、
現物を見ると凛然さよりも儚さが目立つ。そして何より……
何処かで“独特の気品”を、祥子は感じ取って、
愕然とすると共に腸が煮えくり返りそうになる。
加えて
声をかけただけなのに、
仔羊の如く怯える態度が腹が立てたせいもあるのだろう。
「………あの、」
透明感のある声。
萎縮している相手の警戒心を解こうと、
リムジンから降りると和歌に近付いた。
「いつも美岬がお世話になっております。
わたくしは美岬の母です。
美岬と仲良しだとお聞きして一度お会いしたかったの」
祥子は微笑んだ。
その屈託の無い微笑みに、微笑みを作り返す。
「……………初めましてお目にかかります。
水瀬和歌と申します。
いえ。私は何もしておりません。娘様が話しかけて下って………」
声は震えていないか。
フラッシュバックに襲われている今、平静を保つのがやっとだ。
「美岬から貴女の話は、よく聞いているのよ。
初めて女の子の友人が出来たって」
「……………そう、ですか……」
少しだけしどろもどろになってしまった気がする。
9年前の出来事がフラッシュバックし
込み上げそうになる発作を抑えながら、
和歌は冷静なふりをして、対応した。
(…………おどおどして、面白くない子)
祥子はまた腹を立てた。
凛然とした聡明な優秀な学生と思っていた娘は、
思っていたよりも何処かで何かに怯えている。
「それでね。貴女、今から時間はあるかしら?」
「……………はい」
そう言ってから後悔した。
今日はアルバイトのシフトがない日だ。
なのでこれから予定は全くのフリーだったのだが。
「………時間がお有りなら是非ともお話をしたいわ」
「………………?」
「____では、今から私とお茶でもどう?」
「………はい?」
和歌は困惑の表情に対して、祥子は微笑を浮かべる。
間近で見ると端正に整った大人な顔立ちが儚げかつ尊く、
その透明感が現実離れしている様に見えた。
濃灰色のジャンパースカート、
襟に刺繍があしらわれたブラウス。見るからに清楚系で清い。
化粧っけは全くないけれども、その方が
素のままの端正な顔立ち彼女の自然美を引き立たたせている。
深窓の令嬢___そんな儚げな非現実さの雰囲気を纏わせながら凛とした雰囲気は消えない。
「そんな………申し訳ないです」
そう呟いて、和歌は目を伏せたままだ。
「美岬がお世話になっているから、貴女にはお礼がしたいのよ」
「………私にはおこがましいです」
「でもね。わたくし、礼儀は通したいの。貴女には特に、ね?
だからわたくしの少しティータイムに付き合ってくれない?」
輝いた瞳。
千歳家に___下手に抗えば、相手の態度によっては
千歳夫人は不快に思ってしまうのだろう。和歌は思考を切り替えて
自分自身と母親、従兄にリスクがかかってしまうと考えた。
「…………はい。
お声をかけて下さり光栄に思います」
そう考えて、夫人のティータイム付き合う事にした。
変わらず心臓の警戒心の音も鼓動も消えない___否、増している様に思うが、和歌は無視した。
手を掴まれて祥子は早足に和歌を
お抱えての運転手の待つリムジンの後頭部に座らせを走らせた。
リムジンの後頭部座席には、
端と端に和歌と祥子が座っている。
ちらり、と盗み見した水瀬和歌の姿。
背に流れたストレートの黒髪が、さらさらと揺らぐ。
まるで絹糸の様な繊細な黒髪に、華奢な出で立ち。
儚げに整った、まるで硝子細工の様な顔立ちは伺えず
窓の外を見詰めたままだ。その姿はずっと黄昏ていて、
とても絵になるだろう。
(………読めない、何処か不気味な子)
生を感じさせない、不思議な雰囲気。
祥子は、そう思っていた。
______千歳家、夫人の部屋。
「………お招き頂いて下さりありがとうございます」
「そんな固くなさないでいいのよ?」
「………いえ」
「まあ、座って頂戴。紅茶は今から注ぐわね」
和歌は、と頭を静かに前へ傾けて下げた。
水瀬和歌は礼儀やマナーが全て整っていて、指先から品がいい。
_____それは祥子にとっては、憎らしく感じる。
牛革成のライトブラウンの椅子に座ると
スカートを整え、和歌は膝の上で両手を合わせる。
膝に乗せて置いた両手や、言葉遣い。
その仕草からは、礼節が整っている令嬢としか見えない。
和歌の姿と美岬の姿を重ねて見比べていた。
___美岬は、何も教えなくともそう言えたか。
それが、劣等感を抱いているのだと気付いて、
祥子は目を伏せた。
不意に和歌に視線を向けた。
写真を見た時の疑問と思考が重なる。たまに見せる虚空の瞳。
その姿は物憂げで物静かな人形、という印象だった。
「はい、お待たせしてしまったわね」
「いえ………」
ダージリンの香りが鼻に届く。
外国製の高級なティーカップは、
白いカップに、金色混じりに青い縁取りが施されている。
「___美岬とは、どうやってお知り合ったの?」
「今年の春、美岬さんと偶然、席が隣になり、
美岬さんから声をかけて貰った事が始まりです」
そうだ。
美岬がデザイン学科のある美術大学を中退し、
外国語を学びたいと外国語学部のあるこの大学に
再入学したのは、この春からだ。
しかしこの語学に充填を置いている
外国語学部の中で国際文学・語学学科は再難関入試であり、
美岬は合格ラインに届かなかった。
しかし、権力にものを言わせ
裏口入学という形で手を打った。
出会った日からの付き合いかとなると、
かなり長い付き合いになるだろうか。
「私も人見知りしてしまう癖があるので、
私自身も美岬さんが初めて出来た友人なんです」
「あら、そうなの?」
祥子は、瞳の奥を輝かせた。
まさか同じ境遇で出会っていたとは。
「お母様のお仕事は何をなさっていらっしゃるの?」
「…………母は外資系の会社に務めております」
「あらそうなの。バリバリのキャリアウーマンという感じね」
「はい」
全てを知っている上で、祥子は和歌に身を乗り出し尋ねた。
「お父様は?」
その刹那、和歌は俯き、下に目線を落とす。
その薄幸な顔立ちの雰囲気から、聞いてはいけない事だろう分かっていた。
しかし祥子は知りたい。
彼女の“父親”というものを。
彼女はどう思い込み、解釈している?
「………私の父は私が生まれる前に、
不慮の事故で亡くなったそうです」
「………そうなの。何も覚えていないのね?
何だか込み行った事を聞いてしまってごめんなさいね」
「いえ………」
(_____不慮の事故で父親を亡くした?)
水瀬和歌は、父親の事をそう認識しているらしい。
水瀬家では父親は死別した、という扱いなのだろう。
その端正な顔立ちに、浮かんだ迷いと薄幸な雰囲気に微笑みたくなった。
(じゃあ___何も知らないのね。哀れの塊だわ)
振る舞われた
ダージリンの香りが、“普通のダージリン”じゃない。
ただ者ではない事を和歌は見透かしていた。
只でさえ誘拐されて以降、薬品の香りには特に敏感なのだ。
(……………これは、睡眠導入剤だけじゃない)
本当はダージリンを飲んだふりをして、
ダージリンの香りに何かが仕組まれていると見抜いていたので
和歌は申し訳なく思いながらもダージリンを口にはしていない。
和歌は祥子に視線を移した。
優雅にダージリンを嗜んで味わっている。
もし水瀬和歌へ
ダージリンに薬を盛って、自分自身を眠らせたとして
国会議員・千歳賢一の妻は何をするつもりだったのだろう。
言葉は無くとも
千歳祥子が、自分自身に対してよく思っていない事を
和歌に対して、何かを仕組んでいる事に彼女は気付いた。
(___この人は敵だ)
そっと脳裏にいる自身が囁く。
隅には置けない。警戒心を解いてはならない。
(…………ねえ、貴女は何を探っているの?)
(……………私を、眠らせてどうするつもりだった?)
内心で冷たい眼差しで、和歌は祥子を見据えた。




