Episode46・(Waka Side)
「ママにはね、和歌しかいないの」
自分自身を抱き締めながら、
幼き日の自分自身にそう告げる言葉。
____それが母親の口癖だった。
これが、愛情表現だと思い受け取っていた。
優しい母親の事は大好きだった。
一人娘という影響もあり
彼女の愛情を誰にも奪われる事はなく
独り占め出来ている気がしては
母親に愛されている事を、和歌はひしひしと感じ取っていた。
幼い頃は、それがただ素直に嬉しかった。
けれど。名残りが残る。
(どうして、そんな哀しく告げるの?)
母が呟く、その言葉は儚げで
何処か哀しく、和歌の心に強く響いた。
まるでそれは、自分自身は母親の為に生きねばならない、と錯覚を覚える程に。
聞こえによっては
痛みにも感じて、どうしていいのか分からなくなる。
母親がどうして寂しげにそう告げるのかは、
和歌には今でも分からない。
母親はフルタイムで働きながらも、
娘との時間も、決して蔑ろにはしなかった。
遊園地、水族館、様々な場所に連れて行ってくれては
母娘の思い出を作ったものだ。
『杏子、変わったな』
『私には和歌しかいないから。
『兄さんには舞子さんと廉君がいるでしょう?
私は和歌がいればいいの』
兄である颯真は、妹の代わり様に驚いていた。
妹と一緒に歩いてきた人生。
けれども母となった妹は今まで増していつも素っ気ない。
なかなか笑顔を作る事が苦手だったのに、
今では、微笑みが絶えない。それを象徴するかの様に
娘を見詰めるその柔和な眼差しは母性に満ちていた。
和歌という娘を産まれた事で
今は慈愛と母性愛に満ちた、娘以外には
他には目も暮れない。凛としてれっきとした母親は、美しかった。
(杏子にとって、和歌が、幸せの象徴なんだ)
兄である廉の父親に、微笑みながら告げる彼女。
だから。
従兄とは言え、廉が引き取られた当初は
母親から分け隔てのない愛情を受けている廉を、
羨ましく思って少しの嫉妬心を抱いた程だ。
初めて母親と離れた日は、
恨めしく憎らしくも、自分自身が拐われた時だった。
記憶は無くとも身体は、苦痛を刻んでいる。
母親から離れた世界は、こんなにも冷たい。
こんなにも冷酷非道な現実に、絶望した瞬間、
自分自身は、母親の作り上げた淡い優しい温かな箱庭に居て守られていたのだと思い知った。
和歌は、母親しか知らない。
父親が、どういう人間性でどんな人物なのかすら興味すら湧かない。
例え写真が一枚とも無くとも、母さえ居れば十分だった。
“水瀬 和歌”
そう書き込んで、検索ボタンを押す。
しかしヒットは0件。自分自身に対する情報は一つもない。
警察機関には、失踪者としての登録も
情報ビラに関するするなかった。
自分自身は誘拐されてしまったけれども、
水瀬和歌の情報が世間に渡っていた事はないらしい。
(……………どうして?)
母である杏子に、同時の記憶や状況を聞こうと思っていたが、
杏子は娘が誘拐された事に最も傷付き取り乱していたと、
廉から聞いていたので、
大好きな母に辛い記憶を思い出しては欲しくない。
杏子の悲しむ顔は見たくないのだ。
尋ねる人がいない以上、
自分自身で謎を手繰らなければいけない。
廉から何のメリットがあるのか、と聞かれたけれど
年月が経つに連れて自分自身の当時の情報や状況を知りたくなった。
当時、自分自身の身に何が起こっていたのか。
和歌は心の何処かで、ある確信に辿り着いていた。
(………誰かが、何かを隠している)
(………それは、私が知ってしまっていけないこと)
また傷付くかも知れない。
けれども知りたい。自分自身の身に何が起きたのか。
母を悲しませてしまう結果になるかも知れない。
けれど、誰も口を割らないのならば、自分自身で
_____調べるしかない。
廉は自室の窓から空を見詰める。
夜空には、星も月もない、濃紺色の無情な空。
何もない暗黒めいた空を見詰めた後に空に背を溜め息を吐いた。
「………あの事は、言えないよ____和歌」
ぼつり、と呟いた声音。
窓枠に持たれかかりながら、廉は唸り膝を抱えた。
【身辺調査結果】
氏名:水瀬 和歌 (読み:みなせ わか)
生年月日:19XX年 6月6日生(現年齢:22歳)
血液型:AB型(RH:+)
身長:162cm
水瀬和歌の母親は
外資系のキャリアウーマンであり、
幼い頃から日本国内、海外を転々とする生活を送っていたという。
だから経歴にも海外が名を連ねていて、
それは日本でも同様だった。
通信制の高校を首席で卒業した後に、
国立大学の、外国語学部 国際文学・語学学科の首席を維持している。
【親類】
実母・水瀬 杏子 (44歳) 外資系勤務
(後見人・保護者)
祥子は、冷めた眼差しで、彼女が写る写真を上に見た。
黒髪のロングヘアに
凛然とした雰囲気に、大人びた端正に整った顔立ち。
まるで深窓の令嬢を連想させる清楚でおとしやかな佇まい。
華奢ですらりとした出で立ちの為は、まるでモデルの様だ。
外交官を多く卒業生に生み出してきた、
国立大学の外国語学部
国際文学・語学学科は難関入試だと謳われる
学科を推薦入試で入学する実力派なのだから
かなり頭脳明晰で聡明なものを持っている事は明白だ。
(…………似てないわね)
最初の感想は、それだった。
水瀬杏子の写真を見比べてみて
恐らく母親似なのだろうと納得する。
しかし、ある事が気掛かりとなった。
気怠く物憂げな表情は、
彼女自身の元々から顔付きなのか、陰りが付いている。
それに何処かでその瞳は虚ろだ。
元々彼女が持つ雰囲気なのか。
しかしその意味有り気な、影を落とした水瀬和歌が
その浮かべた顔立ちはとても深層の、一度ひとたび触れてしまえば、
逆鱗に触れるものだろうと、祥子は密かに思っていた。




