Episode11・(Waka Side)
「あの、水瀬って子。いつも一人で陰気だよね」
「陰気で読めない癖に。でも村山先輩が惹かれたんでしょ?
村山先輩を惹かせたなんてムカつく」
大学の廊下。
きっと仲良し三人組なのだろう。横なりに廊下を歩き
和歌を見て告げた言の葉は
妬み嫉み、そして嘲笑。
無論、聞こえようがしに言っているので、
和歌の耳に入っているのだが何故だか和歌は一切気にしない。
それは人間不信故に、
孤独の固い殻に籠った世界にいる和歌には、“届かないからだ”。
孤独の世界にいる和歌は、静かに回想し
彼女達が言う陰口の要因である記憶を辿った。
村山先輩____自身と同じ大学の4回生。
その端麗な容姿からはかなりの女子に人気がある。
爽やかな好青年。
学科が同じで講義の時に鉢合わせする為
そつなく他愛もない会話と社交辞令をしていた。
けれどそれは偶然的だとしか思えない。
異性すら興味が向かない和歌には、
他人事で関係のない事だと思い込んでいた。
………しかし。
「僕、水瀬さんの事が好きなんだよね」
先日、和歌は彼に告白を受けた。
彼は至って真剣な告白だった。
けれども和歌は誰とも携わり関わる気はない。
相手は真剣なのに、此方は偽って付き合う事になる。
___それは失礼、残酷そのものだろう。
本人には
当たり障りなく断りを入れたつもりだったけれども
それを隠れ見ていた女子達はそれを根に持っているらしい。
女子には憧れの的で、誰もがその告白を待っているのだから。
「ねえ、知ってる?
あの人、元は孤児で養女に引き取られた子らしいよ」
何処からだろう。
それから根も葉もない噂が立ち上がり始めたのは。
それ以前に否、過去に誘拐された事がある、と
明らかにならないだけ救いであるものの。
元より人の関わりをなるべく避け
自分自身の素性を話す機会は全くないから
人は面白くなる様に解釈し、偽りを膨張し撒き散らす。
特に女子は噂話を吹聴して、
そこから膨らませていくのが大好物だろう。
そんな噂が流れ
哀れみを元にしてお喋りに話を咲かせる相手も、
和歌は、聞こえぬふりをして相手にはしない。
(好き勝手に、言わせておけばいい)
外国語学部国際科コースの優秀な才色兼備の帰国子女。
和歌は自分自身が、
一目置かれた密かな有名人だという事も無自覚だ。
和歌の冷たく凍った心は微動打しない。
今までも醜い程の嫌み、妬み、嫉みを言われても
凛然と毅然としてきた。
和歌は、指して気にも止めもせず振り向かない。
所詮は根拠のない偽りの噂話なのだから。
それに抗おうという気持ちはないのだ。
和歌にとって“あの傷”に勝るものは存在しなかった。
何故ならば、一度深く心を抉られて傷負った心は、
少々の事では傷付かず、凍り付いて微動はしなくなる。
___聞かないふりをして、知らないふりをきた。
けれども何処かで想う。
あれが、普通の女の子の日常かと。
ただその深い傷が
和歌自身の人生の足枷となっている事だけだ。
傷を負った経験も、心に漂着する和歌の唯一の足枷は
“あの現実”だけなのだから。
“あの出来事”に比べれば、
妬み等は小さくも他人の戯言、他愛のない事と思える。
なので、一ミリも気にも止めない。
人の根も葉もない噂話や妬み話は、
和歌にとって眼中にはない。
言いたい者には、
偽り話を信じて好き勝手に話に花を咲かせて置けばいい。
そしてその根も葉もない偽りの話を信じ、
振り撒いている自分自身が如何に愚かで哀れか知らないだろう。
それに事は事実ではないのだから、
自分自身は堂々と普通にしていれば良いのだ。
和歌は、ミステリアスな面が多い。
物静かな性格であまり自己主張はしないのが影響しては
周りは謎に包まれた水瀬和歌の素性を好き勝手に捏造し、
噂に花を咲かせている。
出処は何処から立ち上がった話なのか、
すっかり和歌は孤児だの養女だのという噂が立ち込めている。
(………もう美岬も信じているのかも知れない)
美岬は流されやすく、信じやすい。
世間とは隔絶された、“温室のお姫様”だから。
大学のキャンパス、学科が同じ。
講義を受ける席は、美岬は何故か隣にいる。
他愛のない会話するという以外、美岬とは
一切接点が発生しない。
表面的な事しか知らないのだ。
裏を返せば薄っぺらい、
しかしこれだけ話が立ち込めていたら、
美岬の耳に届いて筈がないだろう。
しかし、自分自身が
9年前に起きた誘拐事件の被害者と知られるよりはずっとマシだ。
自分自身が被害者で、それから6年間も心の治療に
費やしていたという過去を知られてしまったら
和歌はその場に、立って居られなくなってしまう。
社会復帰してから精一杯、普通のふりをしてきた。
誘拐事件に遭った被害者と悟れない様に。
今日はアルバイトも休みの為、在宅にいた。
町から少し離れた距離にある落ち着いた雰囲気のマンションは
セキュリティもしっかりとしていてオートロック式。
マンションの部屋数は多く、
特にマンションの最上階には特殊な部屋の構造で、
螺旋階段を昇ると広々としたロフトが備え付けられている。
母親の仕事の都合で
高校生までは転勤族だったが、
仕事の関係でもう転勤はないと決まってから
最後の住み処として買い取る形で購入し
住み始めたのは和歌が大学生になってからだ。
外資系会社に勤める母親は、
誰もが認め、憧れるキャリアウーマンだ。
基本はフルタイムで働いている為に家を空けている事が多い。
残業もある為に顔を合わせない事もあるのだけれども、
二人三脚の生活を送ってきた故に母娘の仲も絆も固い。
彼女は女手一つで一人娘を育て、
兄が心神喪失状態になってからは甥まで引き取り育て上げた。
和歌は母親の事を母親としては無論、
その非の打ち所のない人間性に感心していた。
部屋に荷物を置き、
型が崩れかけ緩みつつあった髪を結び直した後
携帯端末からのメールを確認すると、
母親から連絡が入っていた。
“今夜は早く帰れそうなの。
だから久しぶりに和歌の好きな白身魚のマリネを作るわね。
悪いけれど、必要な材料を用意をしておいて貰えるかしら?”
和歌は驚きと共に、少し頬が緩む。
返事を返してから、必要な料理の材料を揃えておき
次いでに放置されていた皿を洗い
フローリング用のワイパーで部屋を一通り掃除した。
仕事終わりで疲れている母親の負担を
減らしたいのと、潔癖な和歌の血が騒いだからだ。
綺麗好きの母娘によって
片付けられている部屋は、生活感は残しつつ
まるで整えられたモデルルームのようだった。
全てが一通り終わった後で、
和歌は長成りのソファーに身体を伸ばす。
しばらく、虚空の双眸は白い天井を見詰めていたものの
不意に携帯端末を取ると、
和歌は、なんとなく不意に自分自身の名前を検索した。
あまり当時は精神的に混乱していて、当時の記憶はないけれど、
当時、自分自身の立場はどうなっていたのか。
それが気になったからだ。
母親や従兄に聞くのは、容易いけれど
そんな気軽に聞ける話ではない。そして2人は話さない。
ならば、自身で
確かめるしかない。
恐怖心と好奇心が心で混ざる。
しかし自分自身に起きた出来事を知りたい。
(あの頃、何があったのか)
誘拐未遂事件に遭遇し、9年をかけて、
心の整理が着き精神的にも成長した今ならば
客観的に自分自身を見詰める事が出来る。
少し引き気味に自身の名前を検索にかけると、
和歌は呆気に取られた。
自分自身の情報が出てくると思っていたものの
同姓同名のブログ等が人物が出てくる程で
自分自身の素性は全く出てこない。
(______どうして?)
少女誘拐事件として、
警察は大々的に捜査していた筈だ。
なのに、捜索の貼り紙や写真、ニュース記事等一枚も
ネットワークには浮上していない。
被害者少女のの情報は一切表沙汰にならず、
和歌の写真もデジタルタトゥーとして残っていない。
代わりに少女を誘拐した犯人の男の名前だけが
ニュースサイトの記事に取り上げられている。
犯人の顔は見たくなくて
犯人が映る画面を手で隠したが、和歌の中では疑問が残った。
ニュースや捜索のビラを貼られた場合、
その人物の名前が公となる為に、
元の日常生活に戻っても、噂の的とされやすい。
それに今はネット社会で
SNSが普及しているのが当たり前の今、
自分自身の素性がバレて拡散されてしまっても、仕方ない筈だ。
だが、疑問が残る。
(私は、普通に過ごす事が出来ている)
思い返してみれば
被害者少女だと後ろ指を差される事もなく、噂される事もなく。
母親の仕事の関係で転勤族だった為に、
様々な地に移転は繰り返していたが
事件後の今日に至っても、和歌は普通に過ごしている。
周りから見られても、寡黙で物静かな人としか思われていない。
挙げ句には、その優雅で優美な立ち振る舞いと
清楚な容姿から、何処かの令嬢と勘違いされている。
大学生になってから、気になって
何度か自分自身を検索にかけてみたが、
何度、検索をかけても結果は同じだ。
誰にも知られたくない辛い
“あの現実”を墓場まで持っていくと固く誓っているが、
誘拐事件に巻き込まれたと言わなければ、
決して和歌が過去に誘拐に遭った被害者だとは悟られる事はない。
加えて和歌自身も決して、悟られない様に生きてきたが
まるで最初から何もなかった様に、世間は認知している。
自分自身の身に起きた事は、
公にはなっていない。
それは、何故だろう。




