Episode100・(Misaki side)
美岬視点、終盤、杏子も登場します。
嗚呼、嗚呼、嗚呼………。
美岬は、ただただ項垂れている。
軈て彼女の崩れ去った足許には、何本もの妊娠検査薬。
「………どうすればいいの………」
両手で顔を覆う。
虚像の良妻賢母を演じ、
夫を支え、娘の子育てに追われてこの数年間、癒し等、なかった。
真之助はただでさえ忙しい。
名家の当主であり今は将来有望な若手弁護士として求められている。
愛娘も可愛い盛りであると同時に甘えたい盛りだ。
忙しくも弁護士として凛々しくなっていく
真之助に寂しげさを覚えながら、それを吐露する事は赦されない。
その内にどんどん心は、愛情に渇望してゆく。
一度、覚えてしまった寂しさは忘れられない、消せないのだ。
そして思い出してしまったあの頃を。
家族を裏切り
人目を盗んであのバーに通い詰め、
密かにバーテンダーと密会を重ねていた。
(結局、愛情依存性からは、抜け出せていなかったのだ)
これこそが、求め
渇れ切って渇望していた心からの望み。
美岬が満たされる。この世の最もの“幸せ”だった。
自分自身が生かされてされるとさえ、感じた一時を。
幸福、自己満足、欲望が渦巻く中で。
真之助や七美の事等、どうでも良かった、とすら思ったのだ。
丁度、和歌の事も重なった。
それらの悲しみから現実逃避する様に、
美岬は現状から逃げ続ける様に、現実から目を背け、目先の快楽に溺れた。
“妻”にも“母親”にも成りきれぬ女。
ただ“千歳美岬の頃”に懐かしさ”に戻りたいと、
思い続けていた事は否定出来ない。
樹神真之助の妻、樹神七美の母親。
心の何処かで自ら
“樹神美岬は、不幸な女”だと嘲笑っていた。
結局は10年前の自分自身と、
現在の自分自身は何も変わっていないのだと痛感しても構わない。
この心の寂しさを埋めてくれる唯一無二のものを、
思い出してしまった以上、手放す事すら惜しい。
変わったのは、自身を取り巻く環境とストレスだけ。
そう考えながらも、
根本的な依存性から抜け出せなかった。
それよりも数年、我慢していた理性が
明るみになりどんどん底無しの沼の如く溺れていた。
それから暫くして体調不良が続いた。
その体調不良は初めて感じるものではなく、
何処かで覚えた様な感覚。
何処かで七美を身籠った時と似ている___そう思っていたが、和歌の事もあり、
精神的な体調不良だと思って込んで、逃げた。
何度も悩んだ。
何度も脳内で否定した。
そうではないと怖くて踏み出せなかったが、
この現在を“否定してくれるものが欲しかった”。
現実逃避をしたかったのかも知れない。
ただ誰かに、物理的に、否定して欲しかったのだろう。
けれども非情な現実は、純粋無垢な彼女を裏切った。
「きっと、不良品に当たってしまったのだわ」
そんな筈はない。
妊娠検査薬の結果が陽性だと
自らが妊娠しているなんて、認めたくなかった。
何度も悩んだ結果、
何度も試して繰り返した妊娠検査薬。
妊娠検査薬の結果は、全て陽性を示していて。
嘘だと、認めたくなく、信じたくなくて
何度も検査薬を試した。けれども、
検査結果は、全て同じ____。
自身は妊娠している。身籠ってしまった。
(どうして、こんな事に………)
満たされる自己顕示欲に溺れて
妊娠なんて滅相にも考えてもいなかった。
(此処まで来たら、もう後には引き返せない………)
自業自得、と言って済ましてしまえばそうだろうが、
美岬の今の立場は危ういのだ。
確実に、真之助の子供ではない。
愛情依存性という甘えに、甘えて、自分自身を赦してしまった過ち。
身籠っているのは、確実だ。
けれども、それをどうしてよいのか分からない。
真之助の子供だと偽り育てる事は出来ない。
真之助の血液型は稀なものであり、誤魔化しが利かないのだ。
それに樹神家には、“特殊な慣例”がある。
夫妻の生まれたばかりの子供を、すぐにDNA鑑定で樹神家の父子関係を調べるのだ。
夫妻の子供だと解っていても、樹神家は容赦しない。
実際、七美の時もそうだった。
これは嘗て、樹神家に嫁いだ娘が、
他の男の子供を身籠った事を隠した上で、
婚姻を交わし、その子供は、樹神家の子供として育てられた。
その子供が、
樹神家の子供ではないと分かったのは、
その子供が成人を迎える前夜だったという。
政治家や名家は、血縁を何よりも重んじる。
それは幼き頃けら目の当たりにしてきた美岬にとって、強く解っていた筈なのに。
美岬は無意識に、己の腹に手をあてた。
樹神家の血縁を持たない腹の子は、誰にも望まれない。
それに一人娘の子育てに精一杯の美岬には二人も育てる器も自信もない。
(結局___自分自身だけが可愛いのよ、あたしは)
(………だから、自分自身さえ良かった)
だから、
こんな望まない結果を生み出してしまった。
長年、妬み憎しみを抱いていた
“愛娘を傷付けていた”という事実を知ってしまった現在、
密かに千歳賢一、首謀者の千歳総司の
幼稚な思考を軽蔑し憎しみが煮え滾ぎっている。
杏子は、嘲笑にも微笑を浮かべる。
誰でもいい。賢一でも総司でも、その身内でも
誰かが不幸の渦中に突き落とされてくれないだろうか。
和歌が味わった何倍もの苦痛、恐怖心は、傷となり
煮え滾ぎる業火に游がされて。
(和歌の全てを奪ったのならば、
それ相応を報いを受けて、修復不可能な心の傷を求めるわ)
和歌がそうだった様に。代々の名家は消えつつある。
政界のパイプとバックボーンで
生かされていると言っても過言ではない千歳家。
賢一との思い出を闇の海に放っても、和歌の一件は絶対に許せない。
(和歌にした仕打ちを、どうやって換えそうか)
やっと、100.まで届きました。
皆様、大変お待たせ致しました。




