Episode101・(Misaki. mother Side)
長めかつ、少し過激な描写がありますので、
ご注意下さると、幸いです
この日は、七美の顔を見せる為に
美岬は愛娘を連れて、千歳家に訪れていた。
_____だが。
ずっと洗面所から、
出てこない美岬の後を心配して祥子は追った。
「………美岬、大丈夫?」
心無しか、顔色が少し青白い。
気分が悪いのか、一瞬だけ祥子を見てまた洗面所に視線を戻していた。
美岬の背中をさすりながら女の勘と直感が働いて、微笑む。
「もしかして………おめでた?」
____美岬は、硬直した。
(知られてしまった)
七美の時とは違い、
こんな気が重くて悲観的な悪阻を感じた事はない。
間違いであって欲しいと泣き腫らしたあの日から無情にも
間も無く体調不良と悪阻は訪れた。
(嗚呼、やっぱり)
まるで自身の存在を示すかの様にけれども当然ながら
美岬の心中は、どんどん複雑化した思いに変わる。
あの一夜の過ちを忘れるな、と言わんばかりに。
「落ち着いた?」
「………ええ、少し休みたいわ」
「そうね。ママの部屋に行きましょう」
今は妊娠何ヵ月目に入るのか、
出産予定日はいつ頃になるのか。
祥子は謳う様には愉しそうに聞いてきた。
祥子の気持ちとは裏腹に美岬の気分はあれから暗雲を込め、
どんよりとしている。
そもそも望まぬ妊娠だ。
そんなもの考えたくもなかった。
休憩のソファーに横たわる美岬は、少し視線を反らした。
美岬が浮かない顔をして、
何事の返答も黙秘しているのを祥子は不思議がった。
「ねえ、なんでそんなに不機嫌そうなの?
七美ちゃんの時は嬉しそうに話してくれたじゃない。………なのに」
ムッとした。
この心の苦悩を知らない癖にと。
きっと産む事になるだろう。
いつか嘘はバレてしまう。でも育てていける自信はないのだ。
樹神家から批判される心の体力を美岬は、備えていない。
かと言ってなかった事にしてしまえば、
人殺しという十字架の重荷を背負う事は美岬には耐えられない。
「………どうしたらいいのか、分からないのよ……」
「何が?」
「………だって」
絞り出す様な声。
「真之助さんの子じゃないもの………」
祥子はは、冷水を頭から浴びた気分になる。
最初は思考回路が混乱し付いていけなかった。
けれども、全てを悟った刹那___
「………じゃあ誰の子供だって、言うのよ!!」
「………分からない」
そう発した言葉に、祥子は絶句した。
美岬は、報復が怖かった。合意の上だったとはいえ、
千歳家の令嬢を孕ませたという事実に千歳家は相手を許さないだろう。
千歳家の報復は裏社会の行い以上だ。きっと相手の人生は破滅する。
相変わらず蹲りながら、頭を項垂れさせたままで、
ぽつりぽつりと呟き始めた。
「お母様が悪いのよ……」
「は?」
「本当は仮面夫婦の癖に
往生際悪く諦めもせず、いつもお父様に媚を売ってばかり。
あたし、ずっと寂しくて堪らなかった。
忙しいお父様もお母様も知らんぷりで、目にも暮れなかった。
だから、寂しさを穴埋めをしてたの」
「………穴埋め?」
「ずっと寂しくて堪らなかったから、
両親がくれない温もりを男の人に求めていたの。
夜な夜な街に歩いていたわ」
美岬の話は衝撃的だった。
まさか娘が夜遊びを繰り返していたとは。
祥子は知る余地もなかったのだが、回想してみれば、
変だと思っていた違和感の正体の整理が着いたのだ。
昔から娘は
自身に不釣り合いな大人なドレスやワンピースを好む。
彼女は可憐で愛らしいのだから、
ふんわりとしたパステルカラーの装いが似合うと思っていたのに。
彼女はそれを望んだ事はなく、いつも背伸びをしていると思っていた。
_____その答えは、“今”分かってしまった。
千歳家のブランドを棄ててまで、彼女の行いは
信じられなくて、信じたくなくて、
祥子は膝から崩れ落ちて両手で顔を覆う。
「嫌よ、貴女がそんな事……していたなんて認めたくない………」
「何処の馬の骨とも分からない。
男達と関係を持っていたなんて………。
そんな何処の馬の骨とも分からない男の子供を身籠っているなんて、
あたしの、娘が………そんな………!!」
祥子は泣き叫びながら、
感情のままにカーテンをカーテンレールから引き千切り
飾りつけの備品や名画、机の物を手当り次第投げる。
骨董品や硝子は音を立てて割れ、粉々になって床に散らばった。
轟音に耳を塞ぎたくなる。
荒れ果てた母親は暴れ馬の如く、泣き叫び部屋のものを壊して回った。
美岬はたじろいて引いている。
(そんな娘に育てた覚えはないわ)
どれだけ千歳家のプレッシャーの洗礼を浴びながら
一人娘を育てたと思っている。
「あたしの、娘は、美岬は、
品行方正で、可憐で愛らしいの。純粋無垢なの!!
なのに……なのに……なんで、こんな事に……」
(親の心、子知らずめ)
自身が受けてきた仕打ちを蔑ろにしていると思った時、
初めて娘が憎いと思った。
可憐で愛らしい純粋無垢な娘。
そんな印象を持ち続けていたのは偽りで所詮は幻想____。
美岬はふしだらだった。
その事実が受け入れられない。
人目を憚はばからず、
泣き崩れた母親を見ていると、美岬はなんとも言えない気持ちになった。
けれども同時に浮かぶ思いが脳裏を掠めた。
(自業自得よ。もっと、わたしに振り向いてくれたら、
こんな事は起こらなかったの……)
きっとこれは身勝手な被害者意識なのだろう。
どれだけの物で埋め尽くされても、
心に空いたすきま風はもうどうにも出来ないところまで来ていた。
あの時、両親が少しでも目をかけてくれていたら、
という僻みにも似た懇願を未だに捨てきれずにいる。
そんな中、
祥子は美岬の肩をがっしりと掴んだ。
まるで魔女に掴まれたかの様に力は強く、爪が食い込んでいく。動けなかった。
不意に、母親に視線を遣った刹那、
美岬は背筋が凍り、心臓に止まりそうになった。
悪魔が憑依したかの様な般若の様な形相で、ぎりぎりと歯軋りを鳴らしている。
眉間に走る強烈な縦皺に、血走り据わった目付き。
これは母親だろうか、と錯覚してしまう程に。
美岬の目の前には、般若の形相をした魔女の姿だった。
「言いなさい。嘘よね。本当は辛いんでしょ?」
「………え」
「合意の上なんて嘘よね? 貴女、強姦されたのよね?
辛かったわよね。 傷付いたわよね。
その上、何処の馬の骨とも分からない子を………。
いつもそうよ。辛い目に遇うのは女ばかり。
今から被害届を出しましょう? ……ね?」
その悪魔の様な微笑みが怖い。
肩をがっしりと掴んでいる指先がどんどん食い込んで痛みを伴う。
荒れ果てた部屋。見た事もない母親の形相。
美岬には何も知らなかった。
母親もお嬢様育ちで
感情的になりやすいところはあると知っていたが、
こんな表情を浮かべ暴れる母親の姿を、美岬は自身の母親と同一視出来ない。
祥子ではないと心が拒絶する程に
目の前で微笑むのは、
母親ではない悪魔だと気付いた刹那に、途端に吐き気と腹部に痛みが走る。
たじろいて物言わぬ美岬に
痺れを切らした喜子は、据わった瞳を更にきつく睨ませた。
「言いなさい、強姦されたのだと!!
美岬がそんな事をするの様な子じゃないってあたしは知ってるわ。
ねえ、言いなさい!!なんで黙っているの!?」
肩をを強く揺さぶる、
祥子の瞳の色は喜色に狂う。
揺さぶられながら、美岬はショックと恐怖から現実の境目、
事実がどうなのか分からなくなっていく。
_____だが。
「………違うの、全部、本当なの!!」
恐怖の中でそう叫んだ。
そう叫びが部屋に残響した途端、揺さぶりも無くなった。
恐る恐る瞳を開けると、悪魔の形相はそのままにぴたりと祥子は動作を止めている。
鬼の形相をそのまま、固まっている姿が怖い。
地獄の様な時間は、
どれくらい、経過したのだろうか。
突然、
電池が切れた様にばたり、と祥子は倒れ伏せた。
鮮やかな夕闇のコントラストが、部屋を包む。
美岬は驚いて、祥子に駆け寄った。
「………お母様?」
祥子は、ぴくりとも動かない。
しかし暫くして、
何事もなかった様に祥子は身を起こした。
先程の形相が嘘だったかの様に穏やかな表情を浮かべている。
美岬はほっとした。でも、刹那に打ち砕かれた。
「………貴女、誰?」
「え…………」
「あたしの、娘はどこ………?」
その刹那、自分自身の身勝手な行いが
脳裏を走馬灯の様に余儀った。
夫と娘を裏切った事、
子供には罪はないのに身勝手な感情を抱いた事。
(わたしは何処まで自分本位なのだろう)
両親のせいにして、
自己顕示欲を満たす為に、身勝手な感情のままに行動をし、
真之助と七美を裏切って。
(わたしは、母親にもなれない。
………なるべきじゃなかった)
まさか
そして母は……祥子は……その全てを__。
理解した時、強烈な痛みが腹部に迸った。




