17話
明け方近くにルシアンは目を覚ました。隣には身体を丸めて眠るセフィリアの姿。顔にかかる髪を払ってその表情を見つめた。
無垢な表情につい頬が緩み、顔を覗き込む。こんな風にセフィリアが寝ている間に顔を見つめるのが、ルシアンの癖になりつつあった。
自分の妻。結婚してもう二年になるが、ルシアンにはその実感はあまりない。それは結婚以前の幼馴染み期間が長かったからかもしれなかった。
「綺麗になったな……」
寝顔を見つめながら呟く。本人が聞いたら顔をしかめて否定しそうだが、ルシアンは本気でそう思っていた。綺麗になった。初めて会った時よりも結婚した時よりも――今、この瞬間も綺麗になっている。
セフィリアを好きになったのはいつだろう。明確なきっかけは思い出せないけど、強いて言うならば、セフィリアの姉が結婚した瞬間かもしれなかった。
結婚式の準備。嬉しそうな横顔。純白のドレスをセフィリアが着たらどうなのだろうか。その時、彼女の隣に居るのは……。
そう想像した時、ルシアンの中に焦りが生まれた。セフィリアが結婚する時、自分はどうしているのだろう。もちろんセフィリアとは友達のままだとは思う。だけど人妻になったら、そう簡単にはいかないはずだ。
セフィリアは一緒になった夫を優先する。当たり前だ。そうしてきっとルシアンとは距離ができる。ルシアンが即位して結婚すれば尚更だ。
ルシアンは納得できなかった。だから即位して結婚相手を選ぶ時、迷わずセフィリアを選んだのだ。
その時にはもう、セフィリアと絶対に結婚したいと望むほど、彼女を好きだと思ったから。
「でも、それは間違いだったのかもな。お前には苦痛だったのかもしれない」
ルシアンにとってこの結婚は幸福だった。セフィリアが誰かの物になる心配もなくなった。だが同時に、セフィリアが自分に恋愛感情を持っていないことも知った。
好かれている自信はある。家族のようにも思ってくれているだろう。だけどそれはきっと、兄のように思っているとかそういうことなのだ。
そこに恋愛感情はない。悲しい事実に、ルシアンは寝台に突っ伏した。
「すやすや寝やがって……」
寝ている顔を見つめるルシアン。……うん。可愛い。
ルシアンはしばらくセフィリアの顔を眺めてから、ゆっくりと寝台から降りようとする。すると袖口を何かに引っ張られた。びっくりして振り返れば、セフィリアの手が袖をぎゅっと掴んでいた。
セフィリアの寝顔はどこか寝苦しそうで、袖を掴む手はますます力がこもる。
横に寝転がって頭を撫でてやる。そうするとセフィリアの顔は穏やかになって、再び深い眠りへと落ちて行くのだ。二年間そうやってセフィリアの頭を撫で続けた。
「よくない夢を見るのは、無理して俺といるからなのかな……」
夢見が悪そうなことはこれまでも何度もあった。不安そうというか、悲しそうというか。寝台で丸まって寝ているのを見ると、ルシアンは言いようのない罪悪感に襲われることがある。
王妃になって、セフィリアは無意識に重圧や責任を感じているのかもしれない。それならばせめて、夢の中だけでも穏やかに過ごして欲しいと願った。
全てルシアンの我がままの結果。そう思うから、それ以上のことができない。セフィリアの気持ちが見えないから、曖昧な態度しか取れなかった。
それを知ったラウルは悲しそうな顔をして溜め息をこぼしていたが。
「おやすみ。……良い夢を」
頬に軽く口を付けて今度こそ寝台から降りる。ガウンを羽織って寝室の外に出れば、部屋の外に控えていた侍従が入浴の準備をしてくれた。
身も心もしっかりと温まり、用意された服に着替えた後、執務室に入った。山と積まれた書類を片づけていると、ラウルが入ってくる。黙々と事務作業をこなすルシアンにラウルは目を細めた。
「今日もお早いですね」
「ふん。お前の嫌味などこたえん!」
「王妃さまは今日は大人しいと良いですねぇ」
「しみじみと言うな」
大人しいセフィリア。それは少し不気味かもしれない。あれは思いこんだらまっすぐだから。
そこまで考えて、ふと昔を思い出す。
セフィリアを引っ張って方々を駆け回っていたあの頃。文句を言いながらもセフィリアは付き合ってくれた。一緒に泥まみれになって遊んだっけ。女の子なら嫌がりそうなのに。それどころか面白そうだ、と思うとルシアンを置いていきそうな勢いだった。
「あれが大人しかったことなんてなかったな。昔から」
「…………陛下、」
「なんだ?」
「今の言い方、熟年夫婦みたいで良かったですよ」
綺麗な笑顔でそんなことを言うラウルに、ルシアンは溜め息をついて項垂れた。
セフィリアがルシアンのことを何とも思っていないと知っているからこそ、なんだか胸の奥に突き刺さる。嫌味ではないと分かっているが。
夫婦か。ルシアンは自分の両親を思い出してみる。
国王家の父と伯爵令嬢だった母。舞踏会で母を見染めた父が、しつこく追い回して結婚したと聞いている。主に父親に。当時の父親は軽く犯罪染みていた、と言っていた。主に母親の親戚に。
「…………」
「どうした? 顔色が悪いが」
「いや、ちょっとな……」
相手の意思を無視して突っ走ってしまうところは自分も似ているかもしれない。そう思ってルシアンは少し落ち込んだ。自分は間違いなく王家の男だった。
それでも前国王と王妃はおしどり夫婦として有名だった。王妃が違う男性と話すだけで前国王はヤキモチを焼いていた。それはそれは盛大に。王妃も前国王が違う女性とばかり踊っていると、ぷりぷり怒っていたものだった。 前国王はそれを見て、ますます嬉しそうに王妃を構い倒していたが。
「結婚って難しい」
思わず溜め息が出た。夫婦とはなんなのだろうか。少なくとも、嫁が愛人をあてがうのは違うはずだ。
セフィリアが目を覚ましたら、また愛妾の話をしてくるのだろうか。……憂鬱だ。
「今度の舞踏会のことも考えないといけませんね」
「それもあったか……」
舞踏会で愛妾候補を紹介されたのは苦い思い出だ。
今度は無事に終わればい良い。そう思いながら、ルシアンは新しい書類の山に手を伸ばすのだった。