第86話 縮まる距離
目が覚めると、天井が見えた。 自室の天井だ。
ーーということは、俺は寝台に運ばれたらしい。 後頭部が、鈍く痛む。
「……起きたか。 愚息よ」
「父上……」
声がした。 顔を横に向けると、寝台の脇の椅子に、養父が座っていた。
ーー俺は驚いて、跳ね起きる。
「……もう回復したのか?」
「……はい」
養父は、じっと俺を見つめていた。 そして、深い溜息をついた。
「……またか。 懲りない奴だな」
「……申し訳ございません」
「……いつも、こうなのか?」
「いいえ、誤解です!」
俺は、額に手を当てた。 なぜ、養父がここにいるんだ?
「……父上。 なぜ、ここに」
「なんだ? いつものことだろう?」
「いえ。 その、お忙しいでしょうに」
子供の頃。 俺が熱を出した時や、怪我をした時は、いつも養父は側にいた。
養父は、眉を寄せた。 心外とでも言いたげな表情だった。
「息子が倒れて、心配しない親がいるのか?」
俺は、言葉を失った。 ーーいや。 落ち着け、冷静になるんだ。
この人は、鵠沼の当主だ。 後継者が倒れれば、家の存続に関わる。 だから確認に来た。 それだけの話だ。 俺は、ただの鵠沼家の跡取りという駒でーー
『お父様は、貴方のことを心配していたわ』
『だって、灯磨とお父様は、似た者同士だもの』
俺は、じっと養父を見つめた。 白髪。 深い皺。 組まれた腕。 変わらない、厳しい顔。
だが、その顔を、俺は今まで一度も、まともに見つめたことがあっただろうか?
いつも、目を伏せていた。 叱られると思って。 見限られると思ってーー
「……どうした」
養父が、居心地悪そうに身じろぎした。
ーー珍しい反応だ。 この人が、動揺している。
「……父上は、俺のことを」
「なんだ」
「鵠沼家の駒として、心配しているんですよね?」
ーー沈黙。 部屋が、静まり返った。 窓の外で、蝉が鳴いている。 養父は、しばらく何も言わなかった。
「……ふん。 まさか、お前の口からそんな言葉を聞くとはな、小川望美の言う通りだ」
「望美の?」
ーー望美? 養父に、なにを言ったんだ?
「そんなお前こそ、どうなんだ? ……その。 儂のことを、目標を叶える駒だと思っているのだろ?」
「……え」
俺は、養父の顔を見た。 養父は、気まずくなったのか、立ち上がった。
「灯磨」
「……はい」
「私は、お前を駒だと思ったことは一度もない」
「え……父上?」
ーーそんな、馬鹿な。
「だが、お前がそう思っていたことに、気づかなかった。 ……それは、私の落ち度だ」
養父は、話を続けた。
「私は、不器用だ。 ……だから、これ以上のことは言えんが」
養父は、扉の方へ歩き出した。 そして、背を向けたまま、言った。
「お前の執念深さには、感服している。 ……離すなよ、絶対に」
「父上……」
養父は、部屋から出て行った。 俺は、天井を見上げた。
俺は、鵠沼家の駒では、なかったのか?
その時、扉が、控えめにノックされた。
「旦那様……お待たせしました」
ーー望美? お待たせってなんのことだ?
「……ああ?」
「はい、入りますね」
扉が開き、望美が入ってきた。 ーーいつも通りではない。
ワインレッドのドレスに身を包んだ、望美がいた。
「……灯磨」
「望美? その格好は?」
「勝負服です」
「別に俺はクマでも……」
「あれはダメです忘れなさい記憶からけせいいですね?」
俺は、溜息をついて、身を起こした。
ーーよほど、さっきのクマが不本意だったようだ。
望美が、ベッドの横に座る。 心なしか、さっきよりも近い。
「……望美」
「はい」
「父上と、何を話した」
望美の手が、止まった。
「……今、その話?」
「ああ」
「……私とお父様。 どっちが重要なのかしら?」
「え?」
「私、だよね? 灯磨?」
俺は、首を縦に振る。 振らないとマズイ。
「ふふふ、そうよね。 じゃあ、さっきの続き、しましょ?」
蝉の声が、遠くで響いていた。
ーーやれやれ。 夜が長そうだ。
俺と望美は、語り合った。 こんなに言葉を交わすのは久しぶりだなぁ。
「と、灯磨? そろそろ?」
「ああ、そろそろだな……」
「ええ! バッチこい!」
ーー望美は、目を閉じた。 寝る時間だ。
「おやすみ、のぞみ……」
「はぁ? せっかく、準備したのに〜 ……まあ、意識ある無しは、この際関係ないわね…… おやすみ、灯磨」




